つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200606MW.

特集:筑波大学植物発生生理学研究室の歩み

ツールドボーソー

和田 雅人 ((独)農業・食品産業技術総合研究機構果樹研究所)

 先日自宅で、ビールを飲んでいたら不意に気分が悪くなった。酒をたしなみ始めて以来、アルコールで気分が浮かれこそすれ悪くなるなんて、大学の新歓から数え20数年ぶりのことだったので、これは日頃の悪行がたたりついに私の寿命もこれまでかと観念して居間にひっくり返っていたのだが、家族はそんな私を無視して楽しい夕餉を続けていた。全く人生は無常である、と久しぶりに哲学的な思索に耽りたかったのだが、いかんせん気分が悪くてそれどころではない。ヒトは人生の最後に今までの来し方を走馬燈のように振り返るのだそうだが、私はひたすら気分が最低に落ち込んで振り返ることも出来ない。そんな時、全く唐突にあの夏の日を思い出した。人生の最後に思い出すにふさわしいような思い出でもないが、あの旅の延長に今があるような気もする。しかし無いような気もする。どっちでもいいような気もする、ああ気分が悪いと、小1時間ほどウンウン唸り続けていた。

 幸い、気分が悪かった理由は、風邪気味なのに街で暴飲暴食した後で、帰宅してからまたビールを飲んだために急に酔いが回ったせいだった(らしい・・)。一晩寝たら直ってしまった。ああ、頑丈な体が恨めしい、ひ弱だったらさぞかし哲学者向きと自惚れているのだが。

 話が変わるが、私は30代はじめまで喫煙していた。それはそれは立派に毎日税金を納めていたのだが、ある年の1月にひどい風邪を引いた(また風邪ネタで申し訳ない)。愛煙家の常として、のどが腫れていてもニコチン中毒には勝てない、ついつい美味しくないと分かっていても吸ってしまう、その結果とても気分が悪くなってしまった(吐きそうで吐けないような感じ)。あまりに強烈なその感覚は条件反射になってしまった。たばこを見ただけで気分が悪くなる(もしくは気分の悪さを思い出す)というところまで行ってしまったのだ。吸えないので、2,3日中に禁断症状が現れたがそれでも吸えない、禁断症状が消えるまで2週間ぐらいだったろうか、その2週間の間、私のフラストレーションは溜まりっぱなしで捌け口を求め、自ずと周りの皆様へ八つ当たりするようになってしまった。その頃、いわれもなく私に怒られたり、ガンとばされた研究室の皆様(特に私が指導していた学生諸氏)にはこの場を借りてタバコって怖いねと伝えたい。吸わずにすませられるなら吸わない方がいいよ。今ではすっかり私も禁煙大賛成派である。

 今回アルコールでそれと似た体験をしたのだが、幸か不幸か条件反射までには至らなかった、今後皆様からの酒宴のお誘いはむろん喜んで受けさせていただく、正直ほっと胸をなで下ろしている。

 こうして奇跡の復活を遂げた私にはあの旅を語る責務が生じたように思えてならない、いやそんな必要はないとおっしゃる方々もいらっしゃるだろうが、どうしてこうして私と猪口雅彦君、佐藤恵美さん、吉岡さん(名前を失念した)4人が繰り広げた阿鼻叫喚、空前絶後、大スペクタクル、房総半島1周、自転車旅行はあなたの人生に光をもたらすかもしれない(闇かもしれないが、それは発送をもって替えさせていただく)。とにかくこの先何が書かれていようと皆様の自己責任に帰するのである。座して待つべし。

 さて、事の発端はというほど大それたものではないのだが、アメリカのロサンジェルスで夏のオリンピックが開かれた年の7月、同級の猪口君といつものおしゃべりを研究室でしている時に思い付いたことだったように覚えている。「昔は」という言葉で始めるとその後には「・・・良かった」と付きそうなものだけど、そのころの研究室は狭くて、薄暗くて、汚くて、何もなくて、それでも人々がたむろしているようなところがあった(まるでスラム?)。

 閑話休題。

 「自転車で房総半島を一周しようじゃないか、細かい計画はたてずに気の向くままに行動しよう。」今でも猪口君の弾んだ声が聞こえるようだ(猪口君は今も岡山に健在です、心配なく)。とにかく、そんなお気楽な2人の会話から事は始まってしまったのだ。偶然2人とも新品のサイクリング自転車を手に入れたばかりなのでそんな話が進んだのかもしれないし、吉岡さんが自転車の経験者だったために話が持ち上がったのかもしれない。計画はすぐに決まり、日時もコースも決められた。コースは、つくば(松見公園)から木更津、館山と内房をたどり、外房へ抜け、勝浦、東金を巡り内陸へ戻り成田を経由し霞ヶ浦まで北上、そのまま学園都市に戻りゴールは出発地点と同じ松見公園ということにした。宿泊場所は決めずにその日に進んだ場所で宿を探すということにした(これは後々とっても面白い事態を生むことになった)。研究室の仲間と旅をする機会はその後もちょくちょくあった、婚約中の忍さん夫妻と穂高に登ったり、鎌田さんとイワナ釣りに出かけたり、院生だけの勉強会と称して下田の研修センターでダイビングに熱中したりした(横浜先生にはお世話になりました)。しかしこの房総自転車行は、私が自発的に行った研究室発の初めての旅だった。

 その当時、私と猪口君は研究室でも一番若いメンバーであり(2人ともまだ髪は豊かで、黒々)、理不尽な言動を奏でる先輩諸兄もいて、研究室という特殊な閉鎖空間からもっと違った場に身を置くことに飢えていたのだと思う。当時の院生は一人1テーマを与えられており、学生間にはっきりとした徒弟関係はなかったように思える。そういう意味では、上下関係は緩やかではあったようにも思うが、教官や院の上級生の一家言は独特で、それぞれが微妙に異なっているのが我々若いメンバーには悩ましたかったのも事実である。人数が少ないせいもあり、人々のアクは煮込まれ濃縮されており、研究室内にはそのにおいが漂っているようだった(それは忍さんが頻繁に使っていた、メルカプトエタノールの臭いに似ていた様にも思う)。私は、昔から場所には愛着を持たない。むしろ人に愛着を持つ方である。320と呼ばれた植物発生生理の研究室自体には、さほど郷愁を感じないが、あの部屋でともに生活した人々についてはとても言い尽くせないほどの愛着を感じている(今でも久しぶりに会えば、食事をおごってもらうのに頓着しない)。

 しかしである、この自転車ツアーに参加を表明してくれたのは、当時の内宮研にポスドクで来ていた吉岡さんと一つ上の先輩になる佐藤恵美さんのふたり。他の先輩はと言うと、「えーっ、すごいねー、ほんとー・・・」(途中から裏声で言ってみるととても感じが出る、で結局行くの行かないの?)、 「おじさん体力なくて」(当時嫁捜しに夢中)、「O型ばっかり集まるとろくな事はねーぞ」(メンツが決まった後の言、血液型信奉者ではないのに、こういう嫌みがよく聞かれた、まあ、後になって当たってることもあったんだけど)、とにかく傍観者ばかりであった。

 この年になってみると、自分の人生を振り返って客観的に考察することが出来るようになった。あの時に傍観者だった先輩諸兄はやはりその後の人生でも傍観者だったのだろうか?それとも虎の子を得るために虎穴に挑んだのだろうか。人の一生は短く、学者としての活動期はもっと短い、古来より、「少年老いやすく月日は百代の過客にして行き交う年もまた矢のごとし」と言うほど時間は貴重である。しかしヒトはそれぞれに与えられた時間の中で生き抜くことしかできない。そんなことを想わずにいられないが、はたしてあの旅の経験者は何を得たのだろう(…..zzz)。

 さてとにもかくにも、研究室諸先輩、教官の方々から暖かいお言葉を賜って、4人は出発することにあいなった。待ち合わせ時間は午前4時、場所は松見公園せんぬきタワーの下に決めた。サイクリング自転車に取り付ける専用バックは、吉岡さんの助言でそろえていたので、必要な着替えや、地図、薬、修理道具、携帯食料などを詰め込み、準備万端すべて整った。前の晩は早めに就寝したのだが、やはり興奮して寝付きが悪かった。しかし3時半に起床し、軽く食事をしながら天気情報を聞いてみると、台風が関東に向かって北上中であることが分かった。まだ暗かったので、外の様子が分からなかった。しかしまだ雨は降り出してはいなかった。ニュースによるとその日の内に関東は暴風圏内にはいると告げていた。今では携帯で簡単に連絡が取れるが、当時は電話すら自宅のアパートにはついていないので、集合地点に向かうことにした。

 4時、若干白みはじめて来たが、空は予報通り灰色の雲に覆われていた、夏とはいえ水分を含んだ空気はひんやりとして、自転車をこいで温まった体には心地よかった。松見公園に4人が集まったのは4時を少しばかり回った時間だった。当然のように全員行く準備をしていた。

 「台風が来てるね」、「台風だね」、「今日上陸するかもしれないって」「行くところまで行ってみようか」この単純明快、無思慮分別に満ちた会話の後われわれは、西大通りを牛久めがけ猛スピードで突き進んでいった。気圧が下がってテンションが上がるとは聞いたこともないが、4人が4人とも気分は充分に高揚していた。この後、この4人にいかなる試練が降りかかるのかは、この4人にお会いした折りにビールでも奢って語らせてみると、一興だろう。「藪の中」ではないが、4人4様のストーリーになること請け合いである。人生は旅であり、われわれはあの旅を未だに続けているのかもしれない。皆様の旅に安寧を。

(1989年生物科学研究科修了、1996年転出)

Communicated by Shinobu Satoh, Received June 12, 2006.

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