つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200606SS1.

特集:筑波大学植物発生生理学研究室の歩み

はじめに

佐藤  忍 (筑波大学 生命環境科学研究科、生物学類長)

 私が生物科学研究科に入学し、植物発生生理学研究室のあった第2学群棟(2D320)で暮らし始めたのは1980年のことです。以来、2003年に総合研究棟Aに研究室が移転するまで、23年間も2D320にお世話になろうとは思いもしませんでしたし、そんなに長い時間が経った実感がわきません。それでも大変お世話になった原田宏先生、藤伊正先生が退官されて10年が経ち、私も当時の先生方の年齢になったことを思えば何かの間違えというわけでもなさそうです。

 私が入学した当時は、原田先生が筑波大学において研究室を創設されて6年目、藤伊先生が赴任されて3年目で、私には研究室立ち上げ時の苦労などみじんも感じられませんでした。父親のような優しく頼りになる原田先生(教授)、いつも研究室に居て何でも相談に乗ってくれる母親のような藤伊先生(助教授)、外国帰りの伯父さんといった雰囲気の内宮博文先生(講師)、学類中央室で実験の虫と化している飲み会好きな谷本静史さん(技官)、夜中まで一緒に研究に遊びにつきあってくれる鎌田博さん(準研究員)といったそうそうたるスタッフが、それぞれの個性を発揮しつつ、一つのまとまりある集団として植物発生生理学研究室を運営していました。皆で何でも共有する、当時あたりまえと思っていたこのことが決して標準ではないことを知ったのはずっと後になってからです。

 そんな環境のなかで、大学院生であった私は、研究に遊びにスポーツにお酒に、研究室生活を100%エンジョイして過ごしました。また、私は当初、藤伊先生の元で細胞壁(伸長)の研究をするつもりで入学したのですが、これからの植物生理学はタンパク質の時代だ!の言葉にころっとなり、入学から2年近く国立公害研究所(現在の国立環境研究所)の近藤矩朗先生の研究室で、渡辺恒雄先生についてプロテアーゼインヒビターの精製を指導していただきました。またその後は、生物科学系の平林民雄先生にご指導いただいて2次元電気泳動と抗体に関する実験手法を、大学院の終盤には食品総合研究所の深澤親房先生の研究室に出入りさせていただいて試験管内翻訳系を教えていただきました。これらの多くの先生方からは実験手法はもちろんですが、研究に対する考え方、研究室の運営、人間関係など実に多くのことを学ばせていただきました。実にラッキーな大学院生活であったと思います。

 1990年には北海道大学に転出された内宮先生の後を受けて酒井愼吾先生が埼玉大学から赴任され、研究室に新たな植物ホルモン学の風が吹くことになりました。その後2000年には、酒井先生とペアを組んで大学院の新専攻・生命共存科学専攻に参加することになります。このように先生方を頼りに大学生活を謳歌していた私は、気がついてみると、この伝統ある研究室に残り、研究室を運営して学生を育てていく立場になってしまっていました。そこで自然にわき出してくるのは、25年間におよぶ植物発生生理学研究室において培われた自分自身の人間性と研究に対する姿勢にほかなりません。今まで出会わせていただいた先生方や先輩方、後輩達によって作り出されてきた自分です。

 最近我々の研究室では、タバコの半数体植物を用いて変異体を作出し、細胞壁に関する遺伝子研究を行っています。その半数体タバコは、原田先生のフランス時代の弟子のマーク・ジュリアン氏によって作出されたものです。私自身でフォローできる範囲などたかがしれていると認識し、必要とあれば学生をどこにでも派遣して指導をお願いするのは、藤伊先生が私たちにしてくれたことです。我々の研究を見て、藤伊先生の弟子なのか原田先生の弟子なのか分からないという人がいますが、私は植物発生生理学研究室の弟子だと思っています。

 今回、つくば生物ジャーナルに研究室紹介の特集記事を企画するにあたり、鎌田先生と相談して、退官された先生方をはじめ多くの先輩、卒業生の皆さんに原稿をお願いしました。研究室が始まって30年の歴史を書きとどめておくと同時に、これから将来、植物発生生理学研究室をになっていく方々へのささやかな道標となれば幸いと思います。原稿をお寄せいただいた方々へこの場を借りて心より御礼申し上げます。

(教授、生物学類長、1985年生物科学研究科修了)


筑波山セミナー 2006年7月

Contributed by Shinobu Satoh, Received June 12, 2006. Revised version received July 7, 2006.

©2006 筑波大学生物学類