つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200606TF.

特集:筑波大学植物発生生理学研究室の歩み

城壁のない城:2D-320研究室

藤伊  正 (元 筑波大学 生物科学系)

 この項では私が筑波大学に赴任し、原田 宏先生の下で2D-320研究室を立ち上げた当時の想いを記してみたい。

 東京大学理学部の助手時代に、昭和51年4月から一年間筑波大学第二学群生物科学系に非常勤講師として勤務した後、52年4月から当学系の助教授として教鞭を取り、教授職を経て定年退官までの約二十年を2D-320研究室で過ごしてきた。 赴任当初は原田研究室、藤伊研究室の二研究室が共存する体制であったが、やがて植物生理学研究室、植物発育生理学研究室、植物発生生理学研究室等さまざまな研究室名が提案され、議論された後、可成りの時を経て最終的に『植物発生生理学研究室』と決まったような気がする。 研究室の中枢に居た私が“気がする”などと他人事のように云うのは可笑しいかもしれないが、当時私は研究の方向性を規定する研究室名よりも、自由に自分の研究生活を展開している「2D-320」と云う場所に強い執着を持っていたのかもしれない。そして、研究と云う闘争の中で厚い強固な壁を構築し、その中で自己主張に明け暮れている研究室が多いのに対し、壁を感じさせない自由な2D-320研究室の雰囲気に楽しみと誇りを持っていたのだと思う。

 昔の平城(ひらじろ)が、村の中に創られ、簡単な囲い塀しか持たず、その村や近隣諸国を統御して行く事が出来たのは、ひとえに周囲の人々から尊敬を受けるに値する城主の人格によるものであったのではないだろうか。我々2D-320が城主として仰いだ原田 宏教授は国際感覚を持ち、他からの信望を集める人格、学問的・政治的能力を兼ね備えた城主であった。だからこそ2D-320研究室は城壁を築かなくともそこに原田教授が居るだけで城を十分に発展させ、維持する事が出来たのかもしれない。

 もう一つ、この城の発展に欠かす事の出来ない存在、それは自慢する訳ではないが、逆説的に云えばこの城の家老を演じていた私-藤伊 正-の存在であったかも知れない。当時植物生理学も生命科学の急速な発展の中で、分野は細分化され、より専門化され新しい局面を迎えている最中でもあった。筑波大学に新しい分野を立ち上げ、進展を望んでも、勉強嫌いの私には荷が重い事を知っていた私は、城壁を築けば外からの知識の流入を減少させるばかりでなく、学生達も知恵を求めて外に出る事が少なくなると考え、城壁を築かず、他の研究機関の研究者達とセミナーを共にし、多くの研究者を2D-320研究室に取り込むと同時に、学生達を他の研究者の下に送り込み、専門知識・専門技術の指導をお願いした。この方式はそこの教授一人が指導教官としてその任を果たすよりも、どれほど学生の為になったかを考えると研究者のあり方、教育者としてのあり方、技術者としてのあり方としてばかりでなく、社会人としてのあり方を学ぶ上で学生にとって意義深いものであったかもしれない。むしろ大学での研究教育はこうあるべきだと云う誇りすら感じている。2D-320研究室の発展は国内外の多くの研究者の援助が在って達成されて来たものである事を忘れてはいけない。そして、常に学生の成長を期待して来た原田・藤伊による創設期の想いが、いま、鎌田・酒井・佐藤教授に受け継がれ、更にその次の世代に受け継がれ発展の道を進んで行く事を期待している。

(筑波大学名誉教授、1996年退官)

Contributed by Tadashi Fujii, Received June 12, 2006.

©2006 筑波大学生物学類