つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2007) 6: TJB200701200200755

ゾウリムシの苦味物質受容機構に関する研究

鈴木 健太郎(筑波大学 生物学類 4年)  指導教員:大網 一則(筑波大学 生命環境科学研究科)

導入
 ゾウリムシは多くの繊毛を打って遊泳する単細胞生物である。その細胞表面にはイオン濃度や機械刺激など外界の環境情報を受容する受容器を持つ。ゾウリムシは障害物にあたった場合や有毒な化学物質に遭遇した時には後退遊泳を行い、その後、旋廻して方向を変えて前進遊泳に戻ることによってそれらを回避する。ゾウリムシの後退遊泳は、Ca2+依存性の繊毛逆転機構が活性化する事により生じることがわかっている。細胞膜の脱分極によって電位依存性Ca2+チャネルが開き、外液のCa2+が繊毛内へ流入する。これによって繊毛内のCa2+イオン濃度が上昇し、繊毛内の逆転機構が活性化する。
苦味物質であるキニーネもゾウリムシにとっては有毒であり、ゾウリムシは回避反応を示す。この際、Ca2+チャンネルの活性化による脱分極性のキニーネ受容電位が生じ、反応を誘起している。しかし、現在、キニーネ受容体の活性化からチャンネルの活性化に至る情報伝達機構は明らかにされていない。高等動物では苦味物質受容の情報伝達機構の研究が行われており、GタンパクやcAMP、IP3等が介在する複数の経路の存在が報告されている。
この実験は、ゾウリムシの苦み物質受容機構を明らかにする目的で行い、その初期段階として、高等動物で知られている情報伝達機構が関与するかどうかを検討した。

材料・方法
 ゾウリムシ(Paramecium caudatum)は麦藁の抽出液で培養した。今回の実験で用いた薬剤は高等動物の苦味受容系で働いているGタンパク質の阻害剤NF023、PDEの阻害剤Theophylline、IP3受容体の阻害剤2-APB、および、細胞内Ca2+ストアからのCa2+放出の阻害剤HEP,Liである。ゾウリムシの遊泳行動は2種類の溶液(10mm×10mm×1.3mm)が境界面で接する実験水槽を作り観察した。

結果
 (1)初めに、キニーネ溶液に対するゾウリムシの行動反応を調べた。標準溶液と0.3mM以上のキニーネ溶液が接する条件では、キニーネ溶液との境界に到達したゾウリムシは回避反応を示しキニーネ溶液に入らなかった。以後の実験では、キニーネの効果が現れる最低の濃度である0.1mMから0.3mMのキニーネ溶液を用いることとした。(2)次に、Gタンパクの阻害剤として知られるNF023(100μM)の効果を時間を追って調べた。薬剤を与えた直後から60分後までは、すべてのゾウリムシはキニーネに対して回避反応を示した。しかし、薬剤を与えて90分経過後に調べると、一部のゾウリムシが回避反応を起こさずキニーネ水槽へと入った。NF023存在下でキニーネ溶液に侵入したゾウリムシはほとんど後退遊泳を示さなかった。(3)PDEの阻害剤として知られるTheophylline(10mM)を与えたゾウリムシは0.3mMキニーネには全ての個体が忌避行動を示したが、0.2mMキニーネを用いると、ごく一部がキニーネ水槽に入った。(4)Ca2+ストアからのCa2+放出の阻害剤HEP .Li(100μg/ml)の効果を調べた。ゾウリムシはHEP.Liを与えた直後ではキニーネに忌避行動を示したが、75分後に実験を行なった時には一部がキニーネ溶液中に入った。(5)IP3リセプターの阻害剤として知られる2-APB(0.01mMと0.05mM)はゾウリムシのキニーネに対する行動反応に影響しなかった。0.1mM以上の濃度では、ゾウリムシの遊泳は停止し、死亡した。(6)NF023とHEP,Liの混合溶液をゾウリムシに投与すると、キニーネ溶液に対するゾウリムシの忌避行動反応が、それぞれ単独の薬剤投与で見られた時よりも、顕著になった。(7)TheophyllineとHEP.Liの混合溶液投与では、ごく一部の個体で0.2mMキニーネに対する忌避反応が起こらず、キニーネ水槽に入った。

考察
 高等動物では苦み物質の受容には主に2つの情報変換経路が知られている。一つは、リセプターの活性化からGタンパクのαサブユニットの活性化、PDEの活性化を介してcAMPの減少が生じ、その結果、イオンチャンネルが活性化する物である。もう一つは、リセプターの活性化からGタンパクのβγサブユニットの活性化、PLCの活性化を介したIP3の産生、細胞内CaストアーからのCaの放出、それによる細胞内のCa濃度の上昇により、伝達物質が放出される系である。ゾウリムシの苦み物質受容機構にこれらの経路が関与しているとすると、反応経路に含まれる物質の阻害剤を投与することにより回避反応が生じなくなると考えられる。
 今回得られた結果では、NF023とTheophyllineがゾウリムシのキニーネに対する回避反応をわずかながら阻害した。これらの阻害効果は、時間とともに現れており、投与直後には見られない。今後、さらに長い時間投与した後の反応を調べたり、濃度を変えることにより、実際に阻害効果があるのかどうかをさらに検討する必要がある。これらの阻害剤が回避反応を実際に阻害している場合、ゾウリムシの苦み物質受容機構にはGタンパクのαサブユニットやcAMPが関与している可能性が指摘される。


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