つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2007) 6: TJB200701200310730

温度感覚誘起物質に対するゾウリムシの反応行動

井崎 悠太 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教員:大網 一則 (筑波大学 生命環境科学研究科)

【導入】
 温度感覚誘起物質とは、実際の温度変化を伴わずに、感覚として温度変化を生じさせる化学物質である。冷感を誘起する代表的な物質として、ハッカの主成分であるメントールが挙げられる。メントールは「スーッとする」感覚をもたらす。一方、温感を誘起する物質としてはトウガラシの辛味成分であるカプサイシンが挙げられる。辛いものを口にした際、熱さを感じることは古くから知られている。これらの感覚的に生じる温度変化には、陽イオン輸送チャネルであるTRP(Transient Receptor Potential)チャネルが重要な働きを担っている事が分かっている。TRPファミリーの内、TRPM8と呼ばれるチャンネルは冷刺激によって活性化する温度受容体であり、メントールの受容体を兼ねている。またTRPV1と呼ばれるチャンネルは熱刺激で活性化する温度受容体であり、カプサイシンの受容体を兼ねている事が分かっている。従って、感覚的な温度変化は中枢で生じるのではなく、受容器細胞に於いて受容体が複数の刺激に対応する事により生じている。これらの受容体はヒト、マウスなどの哺乳類の他、ショウジョウバエでも発見されている。
 ゾウリムシは繊毛虫類に属する原生動物である。ゾウリムシは多数の繊毛の運動によって水中を活発に遊泳し、様々な刺激に対して遊泳行動を変化させる。その結果、刺激に対して集まったり、あるいは遠ざかったりする行動反応を生じる。ゾウリムシは高濃度のカリウム溶液中では繊毛運動を逆転させて後退遊泳を示すが、その他にも、各種化学物質や温度変化に対して行動反応を示す。
 単細胞生物は一つの細胞が一つの個体を構成する単純な体制の生物である。それゆえ、一つの細胞の中に生命活動に必要なすべての物質や機能を持っていなくてはならない。このような制約から、単細胞生物では、様々な刺激に対する反応系をある程度共有している可能性が指摘される。即ち、異なる刺激を受容できる受容体は、単細胞生物にその起源がある可能性がある。
 今回の実験では温度感覚誘起物質を用いて、ゾウリムシがそれらの物質を受容できるかどうかを調べ、次に、TRPチャネル様の複数の異なる刺激を受容できるチャネルを持つ可能性について検討した。

【方法】
 麦藁の抽出液で培養したゾウリムシ(Paramecium caudatum)は標準溶液(4mM KCl、1mM CaCl2、1mM Tris-HCl ;pH7.2)で3回洗浄した後、30分以上放置してから実験に使用した。
 今回調べた温度感覚誘起物質はメントールとカプサイシンである。両者共に水に難溶解性のため、ethanol(最終濃度は1%)を用いて標準液に溶解し、実験に用いた。これらの物質に対するゾウリムシの行動反応は、実体顕微鏡下で観察した。また、カリウム溶液中で生じる後退遊泳反応に対する温度感覚誘起物質の効果は、高濃度カリウム溶液(32mM KCl、1mM CaCl2、1mM Tris-HCl ;pH7.2)を用いて調べた。

【結果】
 初めに、ゾウリムシのメントールに対する行動反応を調べた。ゾウリムシを10μM以上のメントール溶液に移すと、直後から自発的な方向転換が生じた。この自発性の方向変換は時間とともに頻度が落ちて、約20秒を経過すると、ゾウリムシは標準溶液中と同様な前進遊泳に戻った。メントールにより生じる自発的な方向転換の頻度は、メントールの濃度が増すに従い大きくなった。
 次にカプサイシンについて調べた。ゾウリムシを50μMカプサイシン溶液に移すと、後退遊泳と方向転換を行った。与えるカプサイシン濃度を100μMに増すと、約30秒間頻繁に方向転換を行い、その後頻度は落ちるものの約2分間自発的な方向転換が見られた。移してから4分以降は全く自発的な方向転換は観察できなかった。初めに頻繁に後退遊泳が生じる時間はカプサイシン濃度が高い方が長かった。カプサイシン濃度が500μMでは、ゾウリムシは顕著な後退遊泳を高頻度で繰り返したが、約1分で死亡した。
 ゾウリムシを高濃度カリウム溶液に移すと約27秒間持続的な後退遊泳を行った。その後約25秒間その場で旋回し、ゆっくりと前方遊泳を始めた。このカリウム溶液中で生じる後退遊泳の持続時間はカプサイシン存在下では短くなった(100μMでは約15秒、500μMでは約12秒)。これに対し、旋回時間はカプサイシン存在下では長くなった(100μMでは約40秒、500μMでは約35秒)。

【考察】
 今回の実験から、ゾウリムシはカプサイシンとメントールに対して行動反応を示すことが明らかとなった。反応は濃度依存的であり、ゾウリムシが2種類の温度感覚誘起物質に対する受容系を持つ可能性を強く示唆する。反応に有効なカプサイシンとメントールの最低濃度(約10μM)は高等動物で知られている閾値濃度(およそ1μM)に近い。
 カプサイシンは高濃度カリウム溶液に対する行動反応に興味深い効果を示した。カリウム溶液で生じる後退遊泳と旋回は、刺激を増すと、両者ともに長くなるのが普通であるが、カプサイシンを与えると、前者が短縮し、後者は延長した。このような特徴的な反応のメカニズムには興味が持たれる。
 今回の実験で明らかとなった温度感覚誘起物質に対する受容系が複数の刺激に対応するかどうかは現在検討中である。全塩基配列が決定されているテトラヒメナのデータベースからTRPチャンネルのホモログを検索したが、類似性の高い塩基配列は見つからなかった。テトラヒメナと近縁なゾウリムシにTRPチャンネルがある可能性は低いが、ゾウリムシに複数の刺激を受容できるチャンネルが存在する可能性は否定できない。今後、ゾウリムシの温度感覚誘起物質に対する反応系を明らかにするためには分子生物学的な手法を含めた、更なる実験、研究が必要である。


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