つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2007) 6: TJB200701200310755

新世界ザルにおける社会的認知―注視時間を指標とした解析―

兼子 峰明(筑波大学 生物学類 4年)  指導教員:松崎 治(筑波大学 生命環境科学研究科)

<はじめに>
  もっとも不可解で興味を惹きつけてやまない生命現象の一つ、それは「心」である。 心にはどういったあり方が存在し、またどのように進化してきたのかという問いに答えようとする学問がある。 ヒトを含めた動物の心の働きかたを調べ、比較することにより、それぞれの種の心の独自性や共通性を明らかにすると同時に、 その進化史の解明を目指す。このような立場を比較認知科学という。 さらに、ある心の働きが何故進化したのかという進化要因にまで迫ろうという所まで比較認知科学の探求は及ぶ。 そこで議論されている問題の一つに、「他個体を認識する」という心の働きがある。 このような心の働きは他者認識や社会的認知と呼ばれている。 我々ヒトでは、他者の行為を理解する際、他者の持つ意思や、欲求といった心的状態を認識する。 このような認識のあり方は、どのような進化的起源を持つのであろうか。 また「他個体を認識する」には、他にどのような認識のあり方が存在するのだろう。 これらの問いに答えていくには、あらゆる系統群に属する動物の社会的認知のあり方を調べていく必要がある。 本研究では、ヒトの属する霊長目の中でも特に新世界ザルに焦点をあてることにした。
  ヒト乳幼児の他者認識の発達的な変化を調べた研究では、しばしば馴化−脱馴化法と呼ばれる手法が用いられてきた。 近年、この手法は、ヒト以外の動物を対象とした場合にも有効であることが報告されている。 これらの背景を踏まえ、本研究では先に述べた比較認知科学的な観点から、新世界ザルにおける他者認識のあり方を調べることを目的とし、 馴化−脱馴化法の新世界ザルを対象とした適用可能性から検証を始めた。
  馴化−脱馴化法は、言葉を発する以前の乳幼児を対象とした心理学研究から生まれた手法である。 ある2つの対象が乳幼児にとって、異なるものとして認識されるのか否かを検出する。 この手法の一般的な手順では、まず、乳幼児に対しある刺激を一定時間呈示する。 次に、別の刺激を一定時間呈示する。 新奇な環境刺激に対しては探索行動を増加し、馴れとともに探索行動が減少するという特徴を利用する。 したがって、2つ目の刺激が初めの刺激と異なるものとして認識されていれば、減少していた探索時間が回復する。 このような、馴れに伴った探索時間の減少(馴化)、新奇な刺激に対する探索時間の回復(脱馴化)を注視時間を指標として観察する。 新奇環境刺激に対して探索をよく行うこと。馴れとともに探索行動は減少すること。この2つの特徴を持つ生物が対象であれば、 基本的手順は同じままこの手法が有効であることが期待される。

<方法>
  京都大学霊長類研究所において飼育されている 新世界ザル2種(コモンマーモセット(Callithrix jacchus),8頭、ヨザル(Aotus trivirgatus),11頭)を対象とした。 ディスプレイ上で動画を再生し、それを刺激としてサルに呈示した。 10秒間を1試行とし、同一の刺激を5回連続で呈示した(馴化試行)。 次に2試行連続して前半とは異なる刺激を呈示した(テスト試行)。 各試行間に7秒の間隔を設けた。 実験中、2台のビデオカメラでサルの行動を録画し、後にコマ送りで画面への注視時間を検出した(図1)。

<結果・考察>
  馴化試行では、試行が進むにつれ、いずれの種でも注視時間が減少する馴化現象が確認された(図2)。 馴化試行の最後の試行と、テスト試行の1試行目を比較すると、 いずれの種でもテスト試行の方が統計的に有意に注視時間が長かった(図3)。 これは新世界ザルにも2つの動画は異なったものとして認識され脱馴化が生じていることを示す。 以上の結果は、新世界ザルにおいても馴化-脱馴化法が有効であることを示す。 


<展望>
  ヒトの社会的認知の一つの要素として、他者の行為に「目標」を認識するという機能がある。 つまり、走る人を見て、ただ「走っている」と認識するのではなく、「どこかに向かっている」と認識するような場合である。 新世界ザルがこのような認識をするのかを馴化―脱馴化法を用いて明らかにできるかもしれない。 馴化試行では、画面上でボールがある目標物にむかって、障害物を迂回しながら最短でたどりつく動画を呈示する。 テスト試行では障害物が取り除かれた状態で、ボールが一直線に目標物に向かうもの、 もしくは先と同じ軌道を描くもののいずれかを呈示する。軌跡の変化に対して脱馴化を示すのか、 目標を認めた場合に不合理な軌跡の動画に脱馴化するのかを確認する。

<謝辞>
  本研究を進めるにあたって、多大な指導、協力を受けた友永雅己先生はじめ、京都大学霊長類研究所思考言語分野のみなさまと 人類進化モデル研究センターの方々に感謝を申し上げます。


©2007 筑波大学生物学類