つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2007) 6: TJB200701200310785

ショウジョウバエ幼虫を使用した学習・記憶の分子遺伝学的解析

田中 麻美 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教員:古久保−徳永 克男 (筑波大学 生命環境科学研究科)

<背景・目的>
 学習・記憶はヒトの脳の代表的な高次機能であり、そのメカニズムの解明にむけて様々な研究が行われている。とりわけ、その遺伝子メカニズムの解明には、ヒトや猿のような大型脊椎動物よりも、ショウジョウバエのようなより単純な脳構造をもつモデル生物が積極的に利用されてきた。
 一般に、記憶の獲得には動物にとって好ましい状況によって誘導される報酬条件付けと忌避的な状況によって誘導される忌避条件付けの2つの方法が存在する。これまでに、本庄らにより、ショウジョウバエの幼虫を用いた嗅覚連合学習では、報酬条件付けでは忌避条件付けではみられないCREB依存性の安定的な記憶が形成されることが確認されている。また、報酬記憶と忌避記憶の形成過程は、それぞれオクトパミン、ドーパミンという異なる神経伝達物質に依存していることが報告されており、2つ記憶の形成には異なる情報伝達システムが関与していることが示唆されてきた。
 本研究では、これらの神経伝達物質の中で報酬記憶の形成に重要な機能を持つことが示唆されているオクトパミンの作用様式を明らかにするために、オクトパミン産生ニューロンの神経活動を、分子遺伝学的手法を用いて特異的に阻害し、学習・記憶におけるその機能を明らかにすることを目的としている。

<方法>
1.オクトパミン産生神経で特異的発現を示すGAL4系統の探索
 オクトパミン産生神経において、神経伝達阻害物質を特異的に発現させ、その機能を阻害するために、オクトパミン産生神経で特異的発現を示すGAL4系統を探索した。GAL4エンハンサートラップ法は、GAL4/UASシステムと、転移因子(P因子)を組み合わせた技術であり、UAS配列に接続した遺伝子を、P因子の挿入領域の近傍の遺伝子が示す組織特異性に応じて発現させるシステムである。
 この発現システムを利用し、いくつかのGAL4エンハンサー系統にnlsGFPをUAS配列に持つハエを掛け合わせ、GAL4制御下でGFPを発現するハエを作成した。
 作成したハエについて、TβHのRNAプローブを使用した蛍光in situ hybridizationとGFP抗体染色を同時に行い、共焦点顕微鏡で発現神経を観察した。

2.オクトパミン産生神経をマークするGAL4系統を用いた嗅覚連合学習実験
 学習実験 条件付け:1Mスクロース溶液、もしくはDW(コントロール)を広げたアガープレート上に、幼虫を200〜500匹程置き、匂い物質(リナロール)とともに30分静置した。
 検定:条件付けの後に、50-100匹の幼虫を内径8.5cmの2.5%アガープレートの中心に置き、プレートの両端に置いたろ紙片の片方にだけ2.5μlリナロールを滴下し、3分後にそれぞれのろ紙から半径3cmの円弧内に移動した幼虫の個体数を数えた。匂い物質を滴下した側の円弧内に移動した個体数をNs、コントロールのろ紙側の円弧内に移動した個体数をNcとし、 Response Index =(Ns-Nc)/(Ns+Nc) を算出した。


<結果・考察>
オクトパミンの合成経路にはTβHとTDCと呼ばれる2つの酵素が関与している (図2)。これらの酵素遺伝子の近傍にP因子挿入部位を持つGAL4エンハンサートラップ系統及び、これらの酵素タンパクの発現パターンと類似した発現を示すGAL4系統の中から、よりオクトパミン産生神経の発現パターンに近い系統を選択するために、in situ hybridizationとの二重染色により発現パターンの比較を行った。その結果、TβH-mRNAを発現している細胞を十分にマークするGAL4系統を見つけることができた。また、TDCの発現を制御するプロモーター領域を利用したTDC2-GAL4と呼ばれるGAL4系統も最近報告され、今回観察したGAL4系統とTDC2-GAL4の2つを、オクトパミン産生神経をマークするGAL4系統として絞り込んだ。さらにこれらの系統を使用して、シナプス小胞の分泌を阻害する温度感受性Shiタンパクの発現によるオクトパミン産生神経の特異的な活動阻害をおこない、学習・記憶における神経機能を検討している。
 


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