つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2007) 6: TJB200701200310792

後肢懸垂中の再接地が萎縮筋に与える影響

野口 実穂 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教員:中野 賢太郎 (筑波大学 生命環境科学研究科)

【背景】
 骨折時のギプス固定あるいは疾病時のベッドレストなどは、治癒過程には必要不可欠な処置であるが、それによって二次的な退行性の変化が生じ、リハビリテーション医療の分野では課題となっている。このような二次的障害として著しいものが廃用性筋萎縮であり、例えば四肢骨折後の筋量の減少とそれに伴う筋力低下はしばしば見られることである。生体内で骨格筋萎縮を誘導または抑制する分子機構に関する研究を行うことは、廃用性筋萎縮を阻止あるいは軽減する効果的な手段の開発に結びつくものと期待される。
 骨格筋は、筋タンパク質の同化と異化の平衡により維持されるが、ギプス固定やベッドレストなどの状態においてはこの平衡が崩れ、タンパク質合成が抑制、タンパク質分解が促進され、結果として筋量が減少する。先行研究によって骨格筋の肥大と萎縮を仲介するシグナル伝達経路が描かれてきており、骨格筋萎縮時のタンパク質の分解は、タンパク質のユビキチン化により促進されるといわれている。筋タンパク質のユビキチン化を触媒する骨格筋特異的ユビキチンリガーゼであるMuscle Ring Finger 1 (MuRF1)とMuscle Atrophy F-box (MAFbx=atrogin-1)が、筋萎縮を引き起こすタンパク質分解に関与していると考えられている。
 本研究では、筋萎縮に対する運動療法を想定し、廃用性筋萎縮のモデル実験系としてラットに後肢懸垂を施し、その際の再接地が、骨格筋の形態と、同化と異化に関わるシグナル伝達経路に与える影響を調べた。

【方法】
 Wister系ラット(♂)を以下の3群に分けて実験を行った。
 @ コントロール群:常時接地(通常飼育)
 A 後肢懸垂群:7日間の後肢懸垂
 B 後肢懸垂‐再接地群:7日間の後肢懸垂中、1日当たり4時間の再接地
 実験期間終了後、麻酔下でラットの体重を測り、続いて後肢の抗重力筋であるヒラメ筋を摘出し、重量を測定した後凍結保存して以下の分析を行った。
(1)ウエスタンブロッティング
 ヒラメ筋からタンパク質を抽出し、同化に関わるタンパク質(Akt, mTOR)と異化に関わるタンパク質(IκB, FOXO, MAPK p38)のtotalタンパク質、リン酸化タンパク質のウエスタンブロッティングを行い、各タンパク質のリン酸化レベルの変化を調べた。
(2)RT Real Time PCR
 ヒラメ筋からtotal RNAを抽出して逆転写を行い、MuRF1とMAFbxのmRNA量の変化をReal Time PCRによって調べた。内部標準にはcyclophilinを用いた。

【結果・考察】
 7日間の後肢懸垂によりヒラメ筋の湿重量は減少したが、後肢懸垂‐再接地群ではこの減少が完全に抑えられていた(図1)。後肢懸垂‐再接地群においてヒラメ筋湿重量/体重の値がコントロール群よりも大きくなっているのは、筋萎縮が抑制されたことに加え、後肢懸垂による体重の減少と、接地刺激によるヒラメ筋の浮腫が原因として考えられる。タンパク質合成に関するシグナル伝達経路を構成しているAktとmTORは、リン酸化されることでより下流の物質の活性を変化させ、結果としてタンパク質合成を促進し筋肥大を引き起こすといわれている。今回、後肢懸垂によってAktとmTORのリン酸化レベルは低下したが、後肢懸垂‐再接地群ではこの低下は回復していた。さらに、後肢懸垂群において骨格筋特異的ユビキチンリガーゼMuRF1とMAFbxのmRNA量が増加したが、後肢懸垂‐再接地群においてはこの増加が80%以上抑制されていた(図2,3)。
 これらの結果より、後肢懸垂中の再接地によって骨格筋萎縮が抑制され、そのプロセスにユビキチンリガーゼの関与が示唆された。廃用性筋萎縮に対する運動療法の効果は、同化を促進するシグナル伝達経路の活性化と、異化を促進するシグナル伝達経路の働きの抑制の、両方の働きでもたらされたと考えられる。














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