つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2007) 6: TJB200712JO.

サイエンスライターにとって研究経験は最大の強み

大西 淳子(医学・生物学ジャーナリスト)

* はじめに

 2007年の夏のおわりに、筑波大学で、サイエンス・ライティングをテーマとする2日間の集中講義を担当した。生命環境科学研究科の特別企画集中講義の一環で「今日から役立つ実践講座」と銘打っての講義の中心は、実務に関連する話題と実習だったが、論理的思考の大切さにも多少は触れることが出来たと思う。
 ここでは、ライターとして必要なものについて概説し、研究経験との関係を探ってみた。現在卒業研究中の学生、修行真最中の院生のやる気を少しでも高めることが出来たら幸いだ。
 さらに、現役研究者の方々にも、科学的な情報を正確に伝えることを目指すライターの仕事についてご理解いただいたうえで、ライターに任せず自ら発信することの重要性に気づいてもらえれば、と思う。

* サイエンスライター稼業とは

 ライターやジャーナリスト、それもフリーランスとくれば胡散臭さが付きまとう。いったい何をする人なのか。
 私の仕事は最先端の科学を伝えること。現在、価値の高い科学的成果のほとんどは、学究的または商業的な研究室で生まれる。日本からの発信であっても報告は英語で、学会発表、論文発表、プレスリリース、といった形で行われる。その内容を、読者となる人々が理解できる言葉に直して伝えるのがライターだ。もちろん、読者が求めるもの、関心が寄せられている分野の情報を提供することも大切だが、画期的な発見に繋がる最初の一歩は見落とさないといった注意も必要だ。

* ライターの勝負は書く前に決まっている

 英文のリリースや論文を日本語にする仕事の仕上がりの差は、何によって決まるか。英語の読解力、日本語を書く力よりはるかに重要なのが、正確さへのこだわりとサービス精神、そして批判的視点だ。
 提供する情報は「科学的に」正確でなければならない。
 余りにも当然ではあるが、あえてその理由をあげれば、第一は、誤った情報が社会に与える影響は小さくないことだ。結果的に怪しい健康法の宣伝になるような記事や、ニセ科学を支持する記事を書くことはできない。
 第二に、文学とは異なり科学の領域では、書かれた記事の多くが紙媒体に加えてインターネットを通じて提供されるため、誤った情報をアップしてしまえば何十年もネットの中を流れ続ける可能性がある。自分で気づいて、または読者から指摘されて訂正しても、元の文章が引用されたブログなどはそのまま残る。記名記事なら、不名誉に加えて信用を失うことになる。
 次に、サービス精神とは何か。親切心といっても良いかもしれない。
 論文などの専門性の高い報告の場合、原文を日本語にしただけでは、その研究の重要性や研究者の主張を専門外の人間が理解することは難しい。背景を解説し、さらに読者に役立つ関連情報を追加しようという親切心が、読んでもらえる(ネットの場合には閲覧回数という過酷な評価が待っている)記事を作る。
 三番目の批判的視点の有無が、顔(個性)のあるライターになれるかどうかを決めると私は思っている。個々の事象の本質を見抜くためには、提示された情報を批判的に見なければならない。著者のロジックにだまされて質の低い研究を称賛することは避けたい。ここで物を言うのが研究経験だ。

* 研究者修行のたまものは現場に関する知識と論理的思考技術

 卒業研究から大学院博士課程、それに続く数年間のポスドク経験のなかで、研究者という人種がどのように物を考え、どのように行動するのかを知った。一言で研究者といっても、実際には様々なタイプの人間がいることも見てきた。
 自らは、仮説を立て、実験計画を立案、実行し、得られた結果をもとにさらに前進して、学会で発表、論文を書くという作業を繰り返した。
 余談じみてくるが、大学院生活が後半に入ったころ、偶然チャンネルを合わせたクイズ番組を見ていて、三択式、四択式のクイズの正答率が以前よりずいぶん高くなったと感じた。知識が増えたわけではない。選択肢の中から正解を推測する能力が向上していた。まず、「引っかけ」的な答えを除き、さらに残る選択肢同士を比較、理由をつけながら不正解である可能性の高い答えを削っていく。残った一つが正解候補、という一連の思考をほとんど無意識のうちに素早く行えるようになっていたことに、ひどく驚いた。
 消去法を用いて論理的に考える習慣は、人生における大きな選択に直面したときに悩む時間を短縮してくれる。選択肢を上げ、それぞれの利益とリスクを書き並べれば、最善はどれかが見えてくる。この方法を用いれば、昨日いったん決めたのに今日になったらまた悩み始めるという事態にはならない。
 私が大学院生だった当時も「学位なんて足の裏の米粒。取らないと気持ち悪いけど、取っても食べられない」といわれた。しかし、いつの間にか論理的な思考ができるようになっていたという事実は、大学院が、単なる研究職人要請コースに留まらず、基本的な物の見方と考え方を身につけさせてくれたことを意味する。

* 大学院で学んだ批判的な論文の読み方

 卒業研究生も大学院生も、論文セミナー(今はジャーナルクラブといった方が、通りがよいのかもしれない)で、痛いところ、すなわち、理解があやふやなところを見事に突かれて、恥ずかしい思いをした経験があると思う。失敗を繰り返すうちに、突っ込まれないよう準備ができるようになる。
 自分が論文を書く段になると、投稿前に指導教官その他先輩方からの厳しい指導をうけ、科学論文として通用するレベルになるまで何度も書き直すことになる。やっと投稿できても、ほとんどの場合、査読者とのやりとりが待っている。つっこみどころを残さないように書こうとするのだが、ちょっと弱いな、と思っている部分は必ず誰かから指摘される。
 こうした修行を経て身につけた論文に向かう姿勢は、先に述べた論理的思考能力とあいまって、書かれている仮説のあやしさや、仮説を証明するために組み立てられたはずの実験と仮説の間の隔たり、得られたデータの印象を良くするために使われた表現上のトリック、ディスカッションのなかのすり替えや飛躍に「ピンと来る」体質を作ってくれた。もちろん、著者が突っ込まれると弱いと思っている部分を見過ごさない意地悪な目も育った。
 ライターは、受注する際に分野を限定していては商売にならない。しかし研究論文の本文は、基本的に背景説明と仮説の提示に始まり、データに基づくディスカッションで終わる。
 現在、発注をうけて年間300本程度の論文を読んでいる。著名な専門誌ばかりだが、完成度の高い研究は医学領域には少ない。人々の健康と直結する領域だけに、元研究者としては落胆する半面、日本人にも大きなチャンスは残されていると、現役研究者に代わって安堵している。いい仕事をしていますね、と感心するような論文は全体の1%未満、というのが正直な印象だ。

* 書く段階でのこだわり

 以上のように、英文読解を超えて論文を詳細に読み(実際には下書きを作りながら読み進める方がはるかに効率がよい)、関連する情報を集め、伝えたいポイントと評価の切り口が決まれば、読者層にあった書き方で伝えればよい。
 この段階では、正確な用語の使用に細心の注意を払う。英語の専門用語には、複数の日本語が当てられていることが多い。どれを選択するかもまた、正確さへのこだわりの程度を明確に示す。同じ論文を紹介する場合でも、対象が医師か患者かで使う言葉は大きく変わる。納得のいく日本語をたったひとつ探し出す作業に30分を費やすことさえある。
 なお、プロとして当然求められるのは著作権の尊重だ。インターネットを利用する人口が増えて、一般の人々が気付かぬうちに著作権を侵害しているケースが多々見られるようになった。著作権について基本を理解することが、ネット生活におけるトラブル回避に必要な時代になっている。

* 英語、日本語も、ネット検索も練習次第

 研究経験とやる気があれば、英文読解能力や執筆技術は努力次第で短期間でも上達するだろう。
 ネット検索もまた、経験を積めば迅速かつ的確に行えるようになる。が、ある程度「センス」と「カン」が物を言うので、調べ物が上手な人が周囲にいれば、ノウハウを聞いてみると良い。驚くような裏技を持っている可能性がある。が、いずれにせよ習うより慣れろ、こうした能力の差はライター間でさほど大きくないと思う。

* 疑う者だけが真実を知る

 これまで述べてきたように、研究現場を経験している人は、既にライターとして必要な基礎を身につけている。
 日常生活でライターが心がけるべきは、読者となる集団の関心の所在をモニターすること、そして、一般メディアの科学領域の報道を批判的に読むことだ。
 TVニュースも新聞記事も、論文から直接情報を得ているものは少ない。ほとんどが論文を紹介したリリースなどを元に作成されている。ほぼ広報活動化した記事を見るたびに、諸手を挙げて受け売りすることに何の疑問も持たない報道者になってはいけないと、思いを新たにしている。

* ライターになりたいと思ったら

 もし、フリーのサイエンスライターを目指そうという方があったら、インターネットで求人を探し、トライアルを受けることをお勧めする。古典的な方法ではあるが、コネを頼りに探してもらうのもいいかもしれない。
 仕事がもらえるかどうかは最初の1本の出来ばえ次第。しかしその後も、1回手を抜いたら次は無いかもしれないという綱渡り感覚の仕事で、常時全力投球が原則だ。
 この仕事の醍醐味のひとつは、ジャーナリスト特典により、公表前に一部の論文が読めること。日本で誰よりも早く最先端の研究結果を知ることができる立場にある。また、自分が書いた記事が国内の研究者や医師、患者の役に立つ可能性があることも、やる気の源になっている。共感できる人なら、サイエンスライター稼業を楽しめると思う。

* 研究者と研究者を目指す方に

 医学の世界では、医者兼研究者がメディアを使って成果を公表(宣伝)したり、現場世界で起きている問題(たとえば医療崩壊)を明らかにして協力を求めることが少なくない。医療自体が日常生活に直結しているせいもあるだろう。メディアの協力も、一般からの注目も得られやすいのだと思う。
 これに比べ、大学に在籍するサイエンティストが一般の人々に最先端のサイエンスを易しく解説したり、科学の楽しさ、難しさや、やり甲斐を語ることは少ない。しかし、もはや機会がないとは言ってられない状況にある。
 近年、理科が苦手な子供が増え、理科離れが進んでいるといわれる。日本人の科学リテラシーは先進国の中でも著しく低い。改善に向け進み始めるために必要な努力の一つが、介入者の手を借りずに、研究者が直接、子供たちや一般市民に語りかけることではないか。現場からの発信のインパクトは、報道を凌ぐはずだ。
 2007年12月、BMB2007(日本分子生物学会/生化学会合同大会)の公開講座「日本から発信する生命科学の最先端」で、質量分析関連技術の開発によりノーベル化学賞を受賞した田中耕一氏の講演を聴いた。田中氏は、「理系」の人間に「伝える努力」が必要であると強調した。研究者は説明責任を負っている。説明することにより異分野の研究者との接点が生まれ、独創のタネを発見できるかもしれない。責任を果たせば、理解、やりがい、資金が得られるだろう。そのために、人を説得する能力を持たねばならない、と語った。
 研究者自らがライターに代わって広報することで得られる利益は、広範囲に及ぶだろう。ゆえに、研究者も自分から機会を見つけて、積極的に伝えていっていただきたい。

* おわりに

 玉石混淆というよりは嘘八百と言うべきか、インターネットを流れる情報の多くは、怪しい。そんな時代だからこそ信用できる正確な情報が求められる。より多くの研究者、元研究者が、一定レベル以上の精度を保って質の高い情報を社会に提供していけば、科学の進歩を間接的に加速することができると私は信じている。

Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received January 21, 2008.

©2007 筑波大学生物学類