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ショウジョウバエ脳の解析  −突然変異を使わずに何ができるか、何をするべきか−

伊藤 啓1、鈴木和美2,3、粟野若枝1、山元大輔1,2

(1: 科技振・山元行動進化プロジェクト、2: 三菱化学生命研、3: 東京農工大)


 ショウジョウバエを実験動物に用いる最大の醍醐味は、いうまでもなく突然変異系統を駆使した遺伝子レベルの解析にある。体節や体軸の形成機構、眼、肢、翅の発生メカニズムや神経系の初期発生などは、このアプローチで近年急速に解明が進んだ。だが脳の研究については、同じような成功はすぐには期待できそうにない。突然変異によって生じた異常を解析したり、クローニングされた遺伝子の脳内での発現細胞を同定したりするのに必須な、正常な脳の構造と発生に関する基本的知識が、現時点ではまだ絶望的に不足しているからだ。

 正常な脳の構造を細胞レベルで理解するために、我々はGAL4エンハンサートラップ法を用いた発生解剖学的な解析を進めている。エンハンサートラップ系統の大多数は特別な表現型を示さず、突然変異の研究には使えないが、むしろこのような「突然変異でない」系統を分子マーカーとして積極的に利用することによって、脳を構成する数万個の神経・グリア細胞の形態と発生過程を、網羅的・体系的に解析することが可能になる。

 正常な脳を構成する複雑な回路網がどのように形成されてくるのかも、ほとんど調べられていないことの一つである。我々はFRT-GAL4法を利用して、胚でなく成虫の脳で細胞系譜の解析を行なうことにはじめて成功した。この結果、神経幹細胞の多くは単に未分化な細胞集団を作るのではなく、脳内の少数の決まった領域のみに投射する細胞集団を作ることが分かりつつある。成虫脳の神経回路網のかなりの部分は、これら細胞系譜で規定された回路モジュールが、モザイク状に組み合わさってできた構造だと考えることができる。