紅藻フクロツナギに内在する新種珪藻

演者:岡本典子 ; 指導教官:井上 勲
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導入と目的
大型藻を生育場所とする藻類には着生(epiphytic)のものや細胞間隙または細胞内に入り込む内生(endophytic)のものなどさまざまなタイプがある。珪藻の場合、着生のものの報告が多い一方で、内生のものの報告はほとんどない。
 演者らは1997年4月、静岡県下田市田牛の打ち上げで得られた紅藻フクロツナギCoelarthrum opuntiaの藻体中、一部の節間部で、内部の粘性の高い物質で満たされた腔所に、珪藻が生育しているのを見出した。光学顕微鏡による予備的な観察から、これらの珪藻群集は単一種からなると判断された。大型藻に珪藻が内生する例はまれなので、この珪藻の同定と生態の解明を卒業研究とした。

材料と方法
 材料として静岡県下田市田牛(4〜5月)および東京都新島村式根島地鉈(5月下旬)で採集したフクロツナギの節間部中に見いだされた珪藻群集(単一種からなる)を用いた。
この珪藻を後述の観察に用いるために、ESM培地・ダイゴIMK培地(和光純薬)に珪酸ナトリウム(NaSiO3)を10mg/L添加したものを培地とし、温度20℃、明暗周期L:D=14:10で単藻培養した。
 その単藻株を用いてまず光学顕微鏡と蛍光顕微鏡による生体の観察を行った。次にパイプユニッシュ法で有機物を除去して得られた珪藻の被殻を光学顕微鏡、透過型電子顕微鏡(ホールマウント法)および走査型電子顕微鏡で詳細に観察した。
 また、フクロツナギにおける本藻の分布と、節間部のサイズ、および傷害の有無との相関を調べた。

結果
【形態観察】

 細胞は単体性で、細胞の形はS字形で線形、長さ100〜120μm、幅5〜6μmであった。板状の葉緑体が二個あり、殻縁に沿って配置していた。
 上下蓋殻の外套縁は非常に浅く、蓋殻面はなだらかなドーム状で、中央付近に縦溝を持っていた。縦溝はほぼ全長にわたって蓋殻の中央を走り、両殻端付近で殻縁に偏っていた。中心裂は単純に途切れており、特別な構造は見られなかった。縦溝の極裂は蓋殻のS字の方向と同方向に内側に隆起していた。両殻端付近の縦溝の脇で内面側に向かって殻が肥厚していた。縦溝の両側には条線が長短軸方向に位置し、密度は長軸方向44本/10μm、短軸方向22〜24本/10μmであった。条線を構成する小室は縦方向に細長く、表面観はスリット状(一部ではV字状)で、内面観は角の丸い長方形であった。また、帯殻は幅0.9〜1.1μmの開帯片で、V字状の模様があった。
【分布調査】 フクロツナギ藻体中0〜30%の節間部に本藻の内在が見られた。また、調査した325節間部中、本藻が入っていたものは38個だった。フクロツナギ節間部の容積は、本藻が内在するものでは全体的に中間から大きい方に偏った。また、肉眼レベルの傷害(およびその痕跡)がある節間部の割合は、本藻が内在しないものに比べ、内在するものの方が高かった。

考察
【同定】S字形の珪藻にはPleurosigma属、Gyrosigma属の全種とその他の属の一部の種があるが、主に条線の方向と葉緑体の形態から本藻はGyrosigma属珪藻であると判断された。さらにGyrosigma属珪藻と本藻を比較したところ、(a)細胞の形と大きさ、(b)縦溝の形、(c)横条線の密度から、中でもG. tenuissimum var. angustissimaが本藻に最も類似すると考えられた。しかし、縦条線の密度がG. tenuissimum var. angustissimaでは21〜24本/10μmであるのに対し、本藻では44本/10μmであることから、両者は同一種ではないと判断された。生育場所が特殊であることも考慮すると、本藻は新種である可能性が高いと考えられる。
【分布状況】 フクロツナギ藻体全体における本藻の分布には規則性は見いだせなかった。一方、節間部の形質(容積と傷害の有無)と本藻の分布には相関が見られた。本藻の内在と節間部の容積との相関から、節間部の新生の際に古い節間部から本藻が持ち込まれることは考えにくい。さらに、節間部の傷害(またはその痕跡)の有無との相関から、本藻の侵入はフクロツナギの傷害を利用したものである可能性が示唆された。  また、フクロツナギ節間部内での生育が確認された珪藻が単一種であることや、その内在が、異なる2地点のフクロツナギで観察されたことは、周辺海域におけるこの現象の一般性を考える上で興味深い。