佐藤 紀弘 指導教官:宮崎 淳一 責任教官:林 純一
[目的と導入]
骨格筋細胞は、細胞の分化に伴う変化を経時的に顕微鏡下で確認できるとともに、分化・決定に伴って特徴的な蛋白
質を発現するため、組織学だけではなく分子生物学でも解析が進んでおり、ここから得られた知見は筋細胞以外の細胞
の分化・決定機構の探求のために利用されている。筋肉の収縮には収縮装置としてミオシンとアクチン、収縮調節装置
としてトロポニン複合体とトロポミオシンに代表されるいくつかの蛋白質が関わっており、トロポニン複合体成分の一
つであるトロポニンT(TnT)はトロポミオシンと他のトロポニン複合体成分(トロポニンI、トロポニンC)とを結
びつける働きを担っている。TnTは種々の脊椎動物で速筋型(fTnT)、遅筋型(sTnT)、心筋型(cTnT)の3種に大別される。
中でもニワトリ速筋型TnTは二次元電気泳動パターン上での分子量と等電点の差から組織特異的なアイソフォームであ
る胸筋型(B type)、肢筋型(L type)に分けられ、B typeはさらに発生段階特異的なサブタイプであるBA subtype、
BC subtype、BN subtypeに細分化される。これらのアイソフォーム各種が収縮調節に与える影響を明らかに
することは興味深いとともに、細胞の分化機構を明らかにする上でTnTアイソフォームの発現を支配する要因を知るこ
とは重要であると考えられる。
当研究室において、成鶏上腕二頭筋の基部、中間部、先端部それぞれのfTnTアイソフォームの発現を調べ、B typeと
L typeとの量比(B/L比)を算出したところ、基部から先端部にかけてこの値が徐々に減少していくという結果を得た。ま
た、孵化後2日目のヒヨコの上腕二頭筋の除神経操作を行うことにより、BA、BC、BN subtypeの発現遷移時期が遅延す
ることも明らかにされた。本研究では、基部から先端にかけて減少するB/L比の値が上腕二頭筋がもつ収縮特性の形成
に必要なものと仮定し、除神経操作により収縮運動を行わなくなった上腕二頭筋の基部-先端部の間におけるB/L比の変
化を調べることにより、fTnTアイソフォーム発現の多様性の意義とTnTアイソフォームの発現調節要因に関する知見を
得ることを目的とした。
[実験材料と方法]
孵化後1日~3日目のヒヨコの右腕の上腕二頭筋を支配する正中神経を熱したピンセットで切除し、30日、45
日、60日後に上腕二頭筋を摘出した。摘出した筋の基部側と先端部側を切り出し、尿素抽出液を用いてそれぞれの蛋
白質を抽出し、二次元電気泳動法とイムノブロッティングを組み合わせることによりニワトリfTnTアイソフォームを検
出した。FUJIFILM Science Lab Image gauge Ver.3.1 を用いてイムノブロッティングパターンの画像解析を行い、ここから
B/L比を算出した。なお、コントロールとしては除神経操作個体の左腕の上腕二頭筋を使用し、除神経操作の指標として
除神経操作筋とコントロールの双方において筋重量と組織切片像の比較を行った。
[結果と考察、今後の展開]
正常な成鶏と術後45日、60日の除神経操作筋及びコン
トロールのイムノブロッティングパターンを画像解析し、B/L比
を算出した。右図は縦軸に上腕二頭筋基部側のB/L比の値を1と
した時の筋先端部側の相対値を示す。ニワトリ上腕二頭筋のB/L
比の相対値は術後45日、60日でそれぞれ0.2、0.5であり、各々
のコントロールの値の0.5、0.8より小さくなった。したがって、
基部-先端部に沿って存在するB/L比の差は除神経操作によってよ
り顕著になることが示された。この結果は、除神経操作によって
fTnTの発現調節要因に何らかの変化が生じたことを示している。
また、成鶏上腕二頭筋基部側の長頭と短頭(上腕二頭筋の腹側の
腱接合領域を長頭、背側の腱接合領域を短頭という)のB/L比を
比較したところ、長頭では基部側で主にB typeアイソフォームの
みが発現しており、基部-先端部間のB/Lの差が顕著であるが、短
頭ではむしろL typeアイソフォームの方がB typeアイソフォーム
より多量に存在し、筋先端部におけるB/L比の相対値が1より大
きいという結果が得られた。このことは、B/L比は基部側から先
端部側にかけて単純に減少するのではなく、その様相はより複雑
であることを示している。
以上の結果から、除神経操作によって生じたB/L比に対する効果について考察する。術後45日、60日のB/L比
は長頭と短頭を分離せずに得られたものであり、発生に伴って長頭先端部ではB/L比の減少が、短頭基部ではB/L比の
増加が起こる過程で、除神経操作により、短頭側におけるB/L比の増加が抑制され、長頭側におけるB/L比の減少のみ
が進行したと推定した。このために、基部-先端部間のB/L比の差がコントロールより大きくなったと思われる。した
がって、神経は少なくとも短頭側におけるB/L比の上昇に影響をもつと予想された。これは上腕二頭筋の基部側の二つ
の腱接合領域がfTnTの発現に関して正中神経という同じ神経束から異なる支配を受けているということを示唆する。
今後は同実験において実験個体数を増やし、個体差を考慮に入れた結果を出した上で、本文の考察に関する確証を得
るため、除神経操作筋において長頭と短頭とを分離した解析を行うと共に、筋組織と神経組織との関連性をより深く理
解するためmRNAレベルでのfTnT発現を調べ、筋成熟過程におけるfTnTの発現調節機構についてより詳しい知見を得た
いと考えている。