カブトエビの後腸における周期運動についての研究
氏名:大渕佐和子
指導教官:山岸宏【目的と方法】
甲殻類の腸における糞の排泄運動は,主としてエビやカニの十脚類を用いた研究から,他の多くの動物の場合と同様に,中枢神経性の制御によって生じることが知られている。しかしながら,原始的な甲殻類である鰓脚類に属するカブトエビで,中枢神経系から単離した標本においても,後腸および肛門の周期的運動が観察され,腸の排泄運動が筋の自動性によるもの(筋原性)である可能性が考えられた。そこでカブトエビの後腸および肛門の周期的運動が筋原性かどうかを明らかにすることを目的として研究を行った。 材料としては,主に埼玉県鴻巣市,行田市,熊谷市の水田より採集したアメリカカブトエビ Triops longicaudatus,およびアジアカブトエビ Triops gnariusの成体(体長約25mm−35mm)を用いた。1)排泄器官の構造を調べるために,尾節部のパラフィン切片(ヘマトキシリン−エオシン染色,7μm)及び、封入標本(エオシン染色,1mm)を作成し,観察した。2)メチレンブルー生体染色法により,排泄器官の神経支配について調べた。3)排泄運動の生理学的研究:尾節部の単離標本を,チャンバー上に背側を上にして固定し,常時生理的塩類溶液で灌流した。灌流液を試薬を含む生理的塩類溶液に交換した際の肛門開閉頻度の変化を,実体顕微鏡に接続したビデオに録画して解析した。【結果の概略】
形態および組織的観察 カブトエビ消化管は口と肛門を直線的に結ぶ1本の円筒状の管で,前腸,中腸,後腸から成る。後腸の後端にあたる肛門部は明らかに腸とは異なる形態的特長を示していた。肛門の内壁を構成する細胞の外周には筋繊維が局在しており,さらに,肛門の周りには、肛門の外壁と尾節上皮をつなぐ放射筋が存在し、放射筋には明らかな横紋構造が見られた。梯子状の中枢神経系は尾節の手前で収束し,尾節に走行する神経組織は観察されなかった。 生理的実験 カブトエビ成体個体における肛門開閉運動は,ほぼ一定のリズムで常時観察された。開閉頻度は毎分6〜12回の範囲であった。解剖時や,ピンセットで腹部や尾節に機械刺激を与えた際に,その頻度は一時上昇したが、やがて回復した。その傾向は,尾節の単離標本でも同様に現れた。長時間実験を続けていると,肛門の開閉頻度は徐々に減少した。 単離標本における肛門開閉運動は,甲殻類の神経における活動電位の発生を阻害することが知られているナトリウムチャネル阻害剤,テトロドトキシン(TTX)を10-6Mの濃度で投与しても,その頻度は変化しなかった。アセチルコリンを投与すると,10-5M以上の濃度で,開閉頻度を増強する作用が観察され,その効果は濃度に依存して増大した。GABA(γ-アミノ酪酸)は,10-3M〜10-2Mで,促進効果を示したが,個体間のばらつきが大きかった。グルタミン酸の効果も,個体による差異が大きかったが,10-6M〜10-4M濃度で,筋が拘縮する例もあった。アミン類では,オクトパミン,セロトニン,ノルエピネフリン,エピネフリンで,促進効果があった。特にオクトパミンの効果が最も顕著で,約10-7M以上の濃度で,頻度が2〜3倍に上昇した。逆に,ドーパミンでは,10-8M程度以上から抑制効果が観察された。【考察】
ザリガニでは,第6腹部神経節に由来するニューロンが肛門の律動的な開閉運動と,それと協調する後腸の蠕動運動を制御し,さらに胸部神経節に存在する抑制中枢が,排泄運動の制御に関与しているが,カブトエビの肛門部では,それに相当する神経組織は観られず、肛門開閉と後腸の蠕動運動との同調性も明らかではない。また,単離した尾節でも,正常個体同様の肛門開閉運動を継続すること,また,神経阻害剤であるTTXを与えても,活動に変化が見られなかったことから,肛門開閉のリズムは,放射筋の自動性に依存するものと考えられる。泥と一緒に有機物を摂るデトリタス食性(detritophagous)のカブトエビでは,消化管の中は常に泥で一杯になっているため,筋の自動性によって常時排泄運動が生じているのかもしれない。 また各種薬物の投与実験から,排泄運動のペースメーカーは放射筋であり,それは,オクトパミンやドーパミンなどのホルモンによって修飾される可能性が示された。