野生動物を素材とした環境教育 ―地域とのつながりの中で生徒を育てる―
岡崎 弘幸 (東京都立久留米高等学校)
黒目川の野生タヌキ。人間の与えたエサでタヌキの環境は汚染されていく...(ビデオより)
地元に現れた野生動物 −タヌキとの出会い−
2000年の初夏、本校のある東京都東久留米市黒目川の河原に、野生のタヌキが出現した。タヌキの出現情報はそれ以前にもあったが、観察しやすい河原に出てきたのは、初めてであった。河原にタヌキの親子がいるという噂を
聞き、本校生物部員を連れて観察に出かけると、遊歩道に沢山の人だかりがあった。見ると、子ダヌキ5頭が河原
で遊んでいる。またとないチャンスなので、生徒にタヌキの様子をビデオで記録させることにした。慣れない手つきでの撮影は困難もあったが、次第に子ダヌキの成長記録映像が貯まってきた。
観察できる遊歩道には日増しに見物客が増え、やがて交流も出来はじめ、マスコミの取材も多くなってきた。しか
し見物客が増えるに連れ、子ダヌキにエサを与える人が出てきた。残りエサで河原は汚れはじめ、タヌキの生息地
はゴミだらけと化していった。生徒たちと話し合い、タヌキだけでなく、それに関わる人間模様も撮影していこうと決め、エサを与えないで欲しいという看板を作った。この看板には反響が多く、エサを与えることの是非をめぐ
り、賛成派と反対派がミニコミ誌や電話、手紙で意見を言ってくるようになった。生徒たちは大人の様々な意見に動揺もあったが、動物との共存は難しい問題ではあるが、地域がうまく付き合えば、一時的なブームでなく、野生動物と人間とが共存できる街作りができると励ました。やがて看板の影響か、投げるエサは減りはじめ、タヌキの生息環境は綺麗になっていった。
タヌキの死と地域とのつながり
秋のある日、大雨が降り、川は増水した。その後下流で、二匹の子ダヌキが死んでいた。その死をめぐり、「エサを与えないから弱って逃げ遅れたのでは?」、また、「子別れの時期だからしょうがなかった」など様々な意見が来た。これを受けて、生物部員を中心に、”タヌキに何故エサを与えてはいけないのか”を、遊歩道で説明したり、文化祭などを利用して発表した。タヌキが出現したお陰?で街は活性化し、生徒たちは地域の人々と交流するようになった。街の人はタヌキの情報を連絡してくれるようにもなり、市の健康祭りでこの一連のタヌキの出来事を劇にして発表した。これも反響が多かった。生徒たちも多くの市民に励まされ、成長していった。地元の幼稚園からは、この劇の公演を幼稚園でもして欲しいという依頼があった。タヌキ出現から撮影したビデオは、高等学校総合文化祭放送部門のビデオ部門に出品し、都で1位を受賞、NHK会長賞も頂き、全国大会まで出場できる機会に恵まれた。 タヌキ出現からずっとニュースステーションが取材をし、放送してくれたのがきっかけで、地域の小中学校や自然 団体からビデオを貸して欲しいという依頼が増えた。埼玉県朝霞市の小学校からは、総合学習で、タヌキの生態を講演して欲しいという依頼があり、荒川の土手で生徒が説明した。ビデオ番組でも、公演でも、人と野生動物はどのように共存していけば良いのかをテーマとした。共存は難しい問題であるが、年齢を問わず、多くの方々にこの問題を考えるきっかけを与えたことは意義があったと思う。この一連の活動で、東京都教育委員会から表彰を受けた。自分たちの活動が評価され、広く環境教育の一端を担っていることは、誠に嬉ばしいことである。
現在でもタヌキの情報は時々寄せられている。地域と学校(高校生)が相互に情報を共有し、意見を交換していくことは大事なことである。温暖化などのマクロな地球環境問題だけが環境問題ではない。身近な環境問題をクローズアップし、生徒たちに自ら考えさせていくことから、意識の改革が起こるのではないだろうか。
「街とタヌキ」で全国大会に行く生物部員と筆者
平成14年度、アライグマの生態と移入問題をとり上げたビデオ作品で都大会1位、NHK会長賞受賞(受賞式にて)
幼稚園で、タヌキとどうつき合うか?をテーマに劇を演じた。「タヌキレンジャー」園児にとてもうけた。
埼玉県朝霞5小へ総合学習の講師として招かれた。野外で授業する生物部員。
Communicated by Ryohei Kanzaki, Received February 4, 2003.