つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2, 38     (C) 2003 筑波大学生物学類

ヒカリモ(黄金色藻綱)における浮遊細胞の微細構造と分類学的研究

池上 陽子 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官:井上  勲 (筑波大学 生物科学系)


■背景

■ヒカリモは、国の天然記念物(千葉県富津市竹岡)に指定されている淡水産の微細藻で、不等毛植物門、黄金色藻綱(Heterokontophyta, Chrysophyceae)に属する。生活史のステージの一つに、疎水性の柄を持ち、水面に立ち上がる浮遊期があり、これが洞窟や木陰の水溜りの水面上で、光を反射して黄金色に輝く。
■海外でも同様な浮遊相をもつ微細藻が報告されている。Chromophyton rosanoffii はその一つで、原記載は1880年に遡る。日本のヒカリモはこれを基礎異名とするChromulina rosanoffii と同定されることが多い。このような浮遊期をもつ黄金色藻の分類は混乱しており、類似点の多いOchromonas 属やChromulina 属との関係も明確ではない。COUTE(1983)は微細構造学的調査から、Chromophyton 属は他の黄金色藻とは区別できるとし、特徴的な浮遊期の存在も併せて属の独自性を認めている。
■これまでヒカリモは日本国内において、竹岡以外にも、兵庫県、長野県、千葉県、茨城県と全国各地で知られており、文化財などに指定されて保護されている例が多い。しかし、その分類に関しては、兵庫の例を除いて詳しい検討がなされておらず、さらなる研究が望まれている。

■目的

■浮遊期の細胞の微細構造を明らかにし、また、浮遊期を持つ他の黄金色藻と形態、分子解析などの手法を用いて比較し、ヒカリモの系統および分類学的位置を検討する。

■材料・方法

■水戸市、つくば市、日立市、館山市よりヒカリモを採し、マイクロピペット法で単離、AF-6培地により15℃、L:D=14:10で培養した。
■水戸の株について、光学顕微鏡観察、whole-mount法、凍結置換処理または同時固定処理をした超薄切片法による透過型電子顕微鏡(TEM)観察、凍結乾燥処理をした走査型電子顕微鏡(SEM)観察を行った。また、PCRによって18S rRNA 遺伝子を増幅し、塩基配列を決定して、これをChromophyton rosanoffii と報告されている種を含む30種の様々な黄金色藻とともに系統解析を行った。

■結果および考察

■遊泳細胞は球形、直径3〜5μm、眼点はなく、黄色を呈する葉緑体を一つ有する。光学顕微鏡観察、SEM観察、whole-mount法によるTEM観察から、マスチゴネマを持つ長鞭毛の他に短鞭毛が確認された。浮遊期の細胞は、水面が揺れたときに水中の遊泳細胞が瞬時に水面に立ち上がって形成され、柄の上に1〜多数の細胞がまとまり、細胞の周りの物質とともに滴となって乗っていた。浮遊期の細胞の持っている柄は、直径が約2μm、高さ約3μmの円柱状で、滴の大きさによって各滴ごと1〜数個あった。
■超薄切片法によるTEM観察から、細胞は椀状の葉緑体を1個持ち、その中に三重のチラコイド、ガードルラメラおよびピレノイドを持つことが確認された。ピレノイドには、葉緑体膜がチューブ状に陥入していた。浮遊期の細胞は、水面が揺れたときに水中の遊泳細胞が瞬時に水面に立ち上がって形成され、柄の上に1〜多数の細胞がまとまり滴となって乗っていた。
■本研究において凍結置換を行った試料で浮遊期の細胞の微細構造がはじめて明らかになった。すなわち、細胞の後端伸張部がコップ状の柄におさまっており、1〜数個の細胞が電子密度の低い物質に覆われていた。
■浮遊期をもつ2種の黄金色藻を研究したCOUTE(1983)は、チラコイド貫入型のピレノイドを持ち、電子密度の高い細胞周辺物質が、1〜8個の細胞を膜状に覆う浮遊相を持つ藻類を、C. rosanoffii (=Chromulina rosanoffii )、他の一種をC. vischeri と同定した。C. vischeri のピレノイドの存在様式、浮遊期の細胞周辺物質の状態は、上記の水戸の株の性質と一致する。このことから水戸のヒカリモは、これまで言われていたようなChromulina rosanoffii ではなく、C. vischeri と同定するのが適当である。
■分子系統解析では、C. aff. rosanoffii(Andersen:1999)とヒカリモC. vischeri は別のクレードに位置し、Chromophyton 属は単系統群ではない可能性が示唆された。C. rosanoffiiC. vischeri間の形態的差異が明瞭であることもこれを支持する。

■今後の課題

■今回TEMによる詳細な観察を行ったのは水戸の株のみである。日本のヒカリモは光学顕微鏡による観察からC. rosanoffii と同定されてきたが、微細構造レベルの再調査が必要であり、今後も研究を進めていきたい。また、Chromophyton 属の妥当性と黄金色藻綱内での位置、浮遊期の形態進化について検討していきたい。