つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2, 47     (C) 2003 筑波大学生物学類

カイコガ嗅覚系一次中枢における神経修飾物質の作用の光学的計測

斎藤 光浩 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官:神崎 亮平 (筑波大学 生物科学系)


<背景・目的>

昆虫が受容した匂い情報は、触角の嗅受容細胞によって神経信号に変換される。その神経信号は、触角神経を介した脳内の嗅覚系一次中枢である触角葉に伝達される。触角葉では、触角神経が局所介在神経や出力神経とシナプスを形成し、糸球体と呼ばれる多数の球状構造を形成する。カイコガの糸球体は、大糸球体(MGC)と常糸球体(Gs)から構成され、MGCは雄特異的である。MGCは、toroidとcumulusの2つの区画からなる。toroidで分枝をもつ神経は、フェロモンの主要成分であるbombykolに特異的に応答する。このように、個々の糸球体は、匂い識別における機能的単位として存在していると考えられている。

セロトニンなどの神経伝達・神経修飾物質は、脳内の神経活動を修飾し、行動の活性化に影響を与えることが知られている。カイコガでは、これらの効果が触角葉内の領域によって異なることが、膜電位感受性色素(RH414)を用いた光学的計測によって示唆されている。

このようにセロトニンの効果が、触角葉の領域において異なることは、匂いの識別や行動の閾値調整にとってもきわめて重要な要因と考えられる。そこで、本研究では、膜電位感受性色素(RH414)を用いた光学的計測により、セロトニン効果の空間的な相違と、匂い識別や行動閾値との関係を明らかにすることを目的に実験を行なった。また、より長時間の光学的計測を可能とするためのプレパレーションの改善にも努めた。

<方法>

カイコガ(Bombyx mori)の雄の頭部を切除し、解剖台で頭頂部のクチクラを切開し、脳周辺の気管、筋肉および触角葉の神経鞘を除去した。触角葉周辺の神経をRH414で5分間、暗所で染色した。染色後、脳を頭部から取り出し、光学計測装置を設置した倒立顕微鏡上で触角神経をガラス電極で吸引した。この電極により、触角神経に50uA、0.5msの電気刺激を与え、神経活動を誘起した。光学計測装置は、10倍の対物レンズを用いて、各ピクセルが7um×7umとなるようにした。蛍光励起は、535±25nmと>615nmとした。計測は、0.6ms/frame、8回加算平均により行なった。

 

触角神経への電気刺激により誘発される触角葉の光学的応答は、以下の3つの条件下で計測した。

1.リンガー中で触角神経に対して電気刺激を与えたときに生じる触角葉の神経応答。

2.10-4Mセロトニンで触角葉を5分間還流後、触角神経に与えた電気刺激によって生じた神経応答。

3.リンガーで15分間還流することで、セロトニンの効果をなくした後に、触角神経に対して電気刺激を与えたときに生じる触角葉の神経応答。

1,2,3で得られたデータは、蛍光色素の退色カーブの補正、-僥/F(F;蛍光強度、僥;蛍光変化量)などを計算した後、セロトニンの効果の大糸球体、常糸球体における相違を詳細に調べた。

 

<結果・考察>

1)プレパレーションの改善:従来は脳を頭部から分離した後にRH414で染色していたが、頭部に残した状態で染色した。これにより、より長時間の神経応答の計測が可能となった。また、還流装置の導入により、従来よりも容易にセロトニンを添加・除去できるようになり、-僥/Fの大きさも改善され、従来は1%以下であったものが、最大1.5%程度の応答を観察できた。

2)計測結果の1例を下図に示した。セロトニンにより、触角葉における神経応答の明瞭な増強効果が確認できた。セロトニンは触角神経の電気刺激に対する触角葉内の神経応答強度を増加させ、神経応答時間を長くすることがわかった。

3)神経応答強度の変化には領域差が存在し、特にMGCのToroidと思われる領域がCumulusと思われる領域よりも強い反応を示した。これはセロトニンが、フェロモン構成成分の中でも、特にbombykolに対する神経応答の増強に、深くかかわっていることを示唆している。

 

図  (A)リンガー中での触角神経への電気刺激に対する触角葉の神経応答(コントロール)。触角神経での神経応答で刺激強度を正規化した。(B) 10-4Mセロトニン下に於ける神経応答。(C)触角葉におけるセロトニンの神経応答の増強効果。(B)と(A)の応答の差分を示した。触角葉の領域によってセロトニンの神経応答増強効果に違いがあることがわかる。AN;触角神経、MGC;大糸球体、Gs;常糸球体。(A)図中右下の数字は刺激後の時間(msec)スケールバーは200um。

 

<今後の展開>

セロトニンの濃度を変えて、データを追加するとともに、更に詳細に領域による応答の相違を調べる。セロトニンの評価後には、オクトパミン,ドーパミンなどの他の生体アミンに関して同様の実験を行い、評価する。また、これらの阻害剤投与による実験も行なう。