つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2, 60     (C) 2003 筑波大学生物学類

ニンジン体細胞不定胚を用いた胚発生能力発現に関与する因子の探索

田中 元気 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官:鎌田  博 (筑波大学 生物科学系)


[背景・目的] 

高等植物は動物のような生殖系列の細胞を持たず、配偶子は組織・器官を構成している体細胞から直接形成される。また、植物は環境に対する可塑性が高く、環境の著しい変化に対応して様々な分化・発生プログラムを駆動させる。そのため、高等植物では、特定の機能を持つように分化した体細胞であっても、特定条件下では胚へと発達することができる。このような体細胞における胚発生能力の発現機構を解明するためには、胚発生能力の発現に関与する因子が何であるかをまず初めに明らかにすることが必要である。体細胞不定胚形成は、植物ホルモン処理のほか、浸透圧、熱、重金属などの各種ストレス処理によって誘導することができる。これまでの研究により、ストレス処理中に体細胞が胚発生能力を獲得することが示されており、胚発生能力発現に関与する因子はストレス処理中に発現すると考えられる。本研究は、ニンジン体細胞不定胚のストレス誘導系を用い、ストレス処理時に特異的に発現してくる遺伝子を網羅的に解析することで、胚発生能力の発現に関与する因子を同定することを目指している。

 

[方法]

ストレス不定胚誘導時に特異的に発現する遺伝子の網羅的解析は、蛍光ディファレンシャルディスプレイ法(Fluorescence Differential Display)によって行った。まず、播種後9日目のニンジン幼植物体から、茎頂部を含む外植片を切り出し、高濃度のショ糖による高浸透圧ストレス処理を行った。4日間もしくは2週間のストレス処理を行った外植片と、ストレス処理を行わなかった外植片から、Total RNAを抽出した。このTotal RAN を用い、Fluorescence Differential Display Kit(宝酒造)を用いてRT-PCR反応を行い、その発現パターンを比較した。この比較により、ストレス条件下で特異的に発現する遺伝子について、その精製とクローニングを行い、シークエンス解析によって塩基配列を決定した。この配列解析の結果をもとに、単離遺伝子と既知遺伝子との相同性を検索することで、単離遺伝子の機能を推定し、目的とする候補遺伝子を選抜した。

 

[結果]

RT-PCRで検出された約20000種類のDNA断片のうち、ストレス処理時に特異的に発現したものが約200種類あった。現在までに、そのうちの60%について塩基配列の解析が終了した。その半数は、他の植物で単離されている遺伝子と相同性が見られたが、残りは既知遺伝子との相同性が見られなかった。既知遺伝子と相同性が見られたものの中には、ストレス応答性遺伝子に加え、LEAタンパク質など、ストレス不定胚誘導系で発現上昇することが知られている胚特異的遺伝子もあった。さらに、転写制御因子など、遺伝子の発現制御に関わっていると考えられる遺伝子をいくつか単離することができた。胚発生能力の発現時にはさまざまな遺伝子の発現制御がなされているはずであり、遺伝子の発現制御に関与していると思われるものは、目的遺伝子として有力な候補である。そこで、単離遺伝子のうち、クロマチンの構造変換に関与していると推測されるシロイヌナズナ・SUVR4と相同性のみられたものに着目した。SUVR4は、ショウジョウバエのSET ドメインタンパク質であるSu(var)3-9のホモログとして単離された遺伝子である。SUVR4の機能はいまだ明らかにされていないが、Su(var)3-9は、クロマチンの構造変化を引き起こすことによってホメオボックス遺伝子群の発現を制御していることが知られている。また、SETドメインを持つタンパク質はこの他にも多数存在しているが、Su(var)3-9と同様、発生、分化に深く関わっているものがあることが動物と植物の双方で明らかにされている。そのため、今回ニンジンで単離した遺伝子も、他のSETドメインタンパク質と同様、クロマチン構造変化を引き起こすことで他の遺伝子の発現を制御し、これが胚発生能力の発現に繋がるのではないかと期待される。そこで、この遺伝子の全長 cDNAを単離したところ、アミノ酸レベルでSUVR4と高い相同性を示した。特に、SETドメイン領域のアミノ酸相同性は60%と高かった。このことから、単離した遺伝子はニンジンのSETドメインタンパク質のひとつをコードする遺伝子と考えられる。さらに、この遺伝子の発現プロファイルをノーザン法で詳しく解析したところ、ストレス未処理の状態ではほとんど発現していないが、ストレス処理を行うとストレス処理7日目から急激に発現が上昇し、その後、ストレス処理期間に応じて発現量が増加することが明らかとなった。

 

[考察]

現在、単離された約200種類の遺伝子のうち、SET ドメインタンパク質をコードしている遺伝子を有力候補として解析を進めている。体細胞不定胚の形成率がストレス処理の長さに応じて上昇し、この遺伝子の発現プロファイルも同様の傾向を示したことから、この遺伝子の発現が不定胚の形成と関連していると思われる。これまでに明らかになっている他のSETドメインタンパク質の機能から、今回単離した遺伝子も、発生、分化における遺伝子の発現制御に何らかの形で関わっていると思われ、この遺伝子が胚発生能力の発現に関与している目的遺伝子であることが期待される。今後、この遺伝子が、胚発生能力の発現を制御する因子であることを証明するため、この遺伝子の発現を変化させた形質転換体を作成することを検討している。また、他の単離遺伝子についても解析を進めていきたい。