つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2, 45     (C) 2003 筑波大学生物学類

ショウジョウバエ触角葉発生機構の遺伝学的解析

戸谷 洋子 (筑波大学 生物学類 4年)  指導教官:古久保―徳永 克男 (筑波大学 生物科学系)


 

〈導入・目的〉

 ショウジョウバエは、匂い情報を触角に存在する嗅受容細胞で感知する。嗅受容細胞は中大脳の一次嗅覚中枢である触覚葉に神経投射する。触覚葉は糸球体という球状の単位構造が多数集合している神経繊維群であり、嗅受容細胞から触覚葉に投射された嗅覚情報は、神経活動のある糸球体の組み合わせにより、脳内で空間地図としてコードされる。触覚葉には二種類の介在神経が投射している。一つは抑制性介在ニューロンである局所介在神経(LNs) で、糸球体内の情報を再構築し、もう一方は投射神経(PNs)で、触覚葉で構築された嗅覚情報をキノコ体などの二次中枢に出力する。

 ショウジョウバエ嗅覚系は、触角葉が糸球体構造を有する点、一つの嗅受容細胞が単一の嗅受容体分子を発現する点、同じ嗅受容体分子を発現する嗅受容細胞は共通するの糸球体群に投射する点などで、脊椎動物の嗅覚一次中枢である嗅球との構造的にも機能的にも共通性が高い。この事は、嗅覚系の発生段階において進化的に保存された遺伝子プログラムが働いている可能性を示唆しており、ショウジョウバエ嗅覚系の解析が、ヒトを含む高等動物の嗅覚系の理解にとっても極めて重要であることを支持している。

 本研究では、触覚葉/嗅球の普遍的発生機構を探究する事を目的に、ショウジョウバエ触覚葉の初期構築過程に関わる遺伝子の探索とその機能解析を行った。

 

〈方法&材料〉

GAL4-UASシステムの利用

 酵母の転写因子GAL4は、ショウジョウバエの中においてもその標的配列であるUAS配列を認識し、下流に接続された遺伝子を活性化することができる。投射神経(PNs)で発現しているGAL4エンハンサートラップ系統にGH146、局所介在神経(LNs)で発現しているGAL4エンハンサートラップ系統にOK107を用い、触覚葉や触覚葉を構成する投射神経(PNs)や局所介在神経(LNs)をGFPで可視化した。

脳の抗体染色

 胚を解剖・固定した後、様々な候補転写因子の抗体(一次抗体)を用いて抗原抗体反応をさせた。さらに蛍光抗体(二次抗体)を用いて候補タンパク質を発現する神経細胞を蛍光標識し、共焦点レーザー顕微鏡を用いて発現パターンを観察した。

 

〈結果〉

幼虫触覚葉構造の検証: 幼虫触覚葉の構造を明らかにするために、成虫触覚葉のGAL4エンハンサートラップ系統(GH146、OK107)

をもちいて、幼虫触覚葉の解剖学的検証を行った。その結果、三齢幼虫でも成虫同様、投射神経(PNs)と局所介在神経(LNs)をあわせ持つ微細な触覚葉を確認出来た。

触覚葉で発現するGAL4driverのスクリーニング: 投射神経(PNs)や局所介在神経(LNs)で発現のあるGAL4エンハンサートラップ系統を得るために、成虫触覚葉で発現のあると予想された14種のGAL4driverを用いてスクリーニングを行った。その結果、幼虫では7種類が触覚葉構成細胞体で発現が確認出来た。成虫では8種類が触覚葉構成細胞体で発現が確認出来た。

触覚葉のマーカーとなる遺伝子のスクリーニング: 脳内の様々な神経繊維で発現のある遺伝子が、触覚葉で発現しているか否かを検証するために、マウスモノクローナル抗体(アイオワ大学ハイブリドーマバンクから購入)を用いて抗体染色を行った。その結果、検証した30の遺伝子のうち9の遺伝子が触覚葉で発現していることが確認出来た。

触覚葉で発現している転写因子のスクリーニング: 将来触覚葉になる領域で胚期に発現している転写因子が、三齢幼虫触覚葉構成細胞において継続して発現しているか否かを抗体染色法で確かめた。その結果、投射神経(PNs)でHomothorax、局所介在神経(LNs)でEyelessという転写因子がそれぞれ発現していることを確認した。また、これらの発現は成虫でも確認することが出来た。

 

〈考察〉

 この研究により、幼虫触覚葉は成虫触覚葉に比べてその規模は極めて小さいが、糸球体構造も持ち合わせていることが明らかとなった。幼虫においても成虫と類似の嗅覚情報処理メカニズムが働いていると考えられる。ショウジョウバエ脳は変態により大きな再構成を受けるが、幼虫から成虫に移る変態期をとおして成虫触覚葉の神経回路網がどのように変化し再構築されるのかということも、とても興味深い問題である。今回のスクリーニングで同定した触覚葉で発現するGAL4エンハンサートラップ系統と神経繊維抗体は、今後触覚葉の機能解析を進める上で役立つツールになる事が期待できる。今後は、これらの候補遺伝子の過剰発現や機能欠失を調べる事により、嗅覚神経発生における機能を調べる予定である。