つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200412MS.

筑波で科学ジャーナリストの培養を!

ストーン(吉田) 睦美(カザフスタン在住)

 自分はとても研究者にはなれない――大学で将来の職業を考えたときに痛感した。私が考える研究者としての最低条件がいくつかある:

1) 一つのことを地道に続ける根気がある。
2) 手先が器用である。(不器用な外科医と不器用な研究者は役に立たない)
3) 実験を自分で組み立てるセンスがある。
4) 実験を遂行する能力がある。(時間管理能力から,正しく結果を読みとる能力まですべて)

このどれもが自分には欠けている上に,当時研究室の設置されていた走査型電顕に近寄っただけでフィラメントがなぜか切れるという原因不明の特殊能力もあった(研究室の先生方,先輩方が電顕使用中は,「おめえ,そばに寄るな」と嫌がられた。)

 当時,千原光雄先生の植物系統分類学研究室(D508)に卒研生としてお世話になっており,実際の卒業研究は井上勲先生にみていただいた。今や押しも押されもせぬ筑波大教授の井上先生も,当時は南アフリカから帰国されたばかり,新進気鋭の若手研究者であった。私の自慢は,この井上先生の「一番弟子」という点である。(注:井上先生の最初の弟子という意味で,「一番優秀な弟子」の意にあらず。)紳士然としておだやかに御指導くださる千原先生との対極にあって,井上先生からは連日びしびし鍛えていただいた。若さとは偉大なもので,物知らずを棚に上げて無謀にも反論する私を,井上先生はよくも見捨てず御指導くださったものだと感謝の念に耐えない。このときの経験は今も私の財産である。おかげで,大学という温室を出た後に,世間の荒波をぐいぐい乗り越えていくたくましさが身についた。

 研究室で学ぶのは楽しかった。日々の研究が,たとえ世の中の何の役にも立たないようにみえても,その本質はエキサイティングでわくわくするものだと知った。たとえば井上先生が昔も今も研究されているのは,全長数ミクロンというちっぽけな緑の藻類の細長いしっぽ(鞭毛)の表面についている,さらにちっぽけなウロコの形態である。重箱の隅をナノミクロンの針でつつくような研究だ。しかし一見せせこましくみえるこの研究の根底には,陸上植物の進化の起源を解明するという壮大な思想が流れている。(注:井上先生の研究テーマは,ウロコだけではありません。ほかにもいろいろあります。)この奥深い世界をもっと知りたいと思った。

 しかしながら上記のような致命的欠陥のため研究者にはなれないと実感した私は,卒業後の進路を出版に選んだ。「自分で研究できないならば,科学の面白さ,素晴らしさを一般の人に伝える伝道者になろう」と大それたことを思ったのである。

 東京の学生に比べて何かにつけて出足の遅い(のんびりしている)筑波大生の典型で,私も就職活動ではきわめてスロースターターだったが,幸いにも「教育社」という出版社に入社することができた(現在の社名は「ニュートンプレス」)。家庭学習教材の理科部門に始まり,生物関連専門書の翻訳版編集,そして一般向け科学雑誌『ニュートン』の編集を担当した。翻訳書では,Bruce Alberts博士らによる生物学の名著 ”Molecular Biology of The Cell” (『細胞の分子生物学』)第2版,第3版を担当し,同書を何度も読み返したことは,生物学の動向を理解する上でも非常に勉強になった。(厚くて重くて,読みこなすには気力・体力共に必要な本ですが,絶対に役に立つので,学類・大学院生でまだ読んでいない方はぜひとも読み通してください。現在,第4版の翻訳版が発売されています。)『ニュートン』では,生物分野だけでなく,天文学,物理学,人類学,考古学,コンピューターサイエンスなど科学分野全般にわたってトップクラスの研究者の方々からお話をうかがい,それを一般読者向けの記事にまとめるという仕事の楽しさと難しさも経験した。

 米国の科学雑誌『Science』のニュース部門で記者兼編集を務める夫と研修を通じて知り合い,7年前に結婚し,退職,渡米。その後は,出産,子育て,英国への引っ越し,さらに昨年夏はカザフスタンへ引っ越し,という思いもよらぬあわただしい人生となった。出産後も細々とながら翻訳・編集の仕事を家で続け,夫の出張時には極力くっついて回り,時に取材の写真係もしている。とはいえ2歳と4歳の息子は今まさに「怪!獣!大!進!撃!」状態。家では落ち着いてコンピューターに向かうこともままならない日常である。

TJB発刊の快挙に拍手!

 英国である日,ウェブサーチをしていて驚き,喜んだ。「つくば生物ジャーナル」(TJB)なるオンライン雑誌が発刊されたという。オンラインでありながら,ただのウェブサイトでなく,雑誌としての体裁を備えたものを一学類が発刊するという発想に感嘆した。紙の媒体であれ,オンラインであれ,毎月継続して雑誌を発行していくというのは,膨大な作業と人手を要する。個人のホームページならともかく,仮にもジャーナルと銘うっていると「今月は忙しいから発行をやめよう」というわけにはいかない。国立大学という限られた人手の中での創刊を英断された編集委員の方々に敬意を表したい。

 現在のTJBは,主に研究室紹介や講義内容評価,卒業研究紹介など,生物学類関係者に向けた情報が主体のようだ。しかし,私としては将来的にはこのジャーナルが,学類内にとどまらず,大学内,さらに大学外への情報発信媒体として飛躍してくれることを期待している。そのためには,研究動向の最新のニュースレポートをぜひとも入れていただきたい。『理研ニュース』のように,研究機関がニュースレリースを発行している例は多いが,大学ではまだほとんどないのではなかろうか。大学,学部(学類)がニュースを発信することは,大学の活動の宣伝にもなり,またフィードバック効果として学内研究者への刺激,励みにもなる。オンラインであるから誰でも読むことができ,中高校生,受験生が大学の活動を知る貴重な情報源ともなる。少子化の今,優秀な受験生を集めるのは大学の存亡に関わる問題である。ありきたりな受験情報でなく,大学の生きた活動を世に広く知ってもらえる魅力的なジャーナルは,この問題解決に一役かうだろう。

TJBを「科学メディエーター」養成の場に

 米国,英国に数年間住んで気づいたのは,日本では一般の人々や子供たちへ良質の科学情報を提供する専門家,すなわち「科学ジャーナリスト」を養成する機関がない,という点である。大学でのジャーナリズム課程については,日本が後進国であることは拒めない。科学ジャーナリズムとなると皆無に等しい。私もそうであったが,新聞の科学部や科学雑誌の記者・編集者は,会社に入ってから実践で学ぶしかない。大学で学ぶ場がないのは科学先進国として残念至極だ。米国の場合,UCSC(カリフォルニア大学サンタクルズ校)やニューヨーク大学にScience Journalismの大学院課程があり,学部で自然科学系の分野を専攻した学生が科学ジャーナリストへの道を歩むための養成機関となっている。Science Journalismのコースには,紙を媒体とする記者,編集者だけでなく,科学イラストレーターやフィルム製作者(科学映画,科学番組)養成のためのコースもある。

 日本では子供の理科離れが深刻だというが,子供たちに科学の面白さを正確かつわかりやすく伝えてくれる大人(科学ジャーナリスト)を養成する土台さえない現状では,いたしかたないといえる。同じ理由で,テレビの科学バラエティ番組で,タレントさんが面白おかしく話す内容――間違いとはいわないまでも極論に走った内容,しかしわかりやすい――に,視聴者は振り回されるという状況が成り立つ。我が母も,医者(専門家)のいうことは聞かなくても,みのもんたさんの言葉は信じる。

 「科学ジャーナリスト」といってしまうと,新聞,雑誌,テレビなどマスメディアだけが媒体と限定される。むしろ今の日本に必要なのは,「科学メディエーター(媒介者)」とでも呼んだほうがよいかもしれない。科学記者・編集者にせよ,科学イラストレーター,理科教師,科学博物館員にせよ,その本体は「科学情報の一般への媒介者」という点で等しい。用いる手段が異なるだけだ。

 科学の面白さは,それが記事という形であれ,授業という形であれ,生半可な知識では伝えられない。1ページの記事を書くのにも,専門家に会って話を聞き,参考資料を何冊も読みこなし,「100を知って1を書く」のである。教師でも,知っていることを100%出しきってしまうとボロがでる。雑多な情報から抜粋・要約し,エッセンスを伝える余裕が欲しい。では,いかにその能力を備えた「科学メディエーター」を育てるか――これには,ぜひとも筑波大学に,科学ジャーナリズム講座を設置してもらいたい。一大学に講座ができたからといって,日本の科学ジャーナリズムが一気に豊かになるわけではない。だがまず「隗より始めよ」である。頭が固いといわれる国立大学が動くことで,世間も注目するだろう。それも講義だけではなく,実習との二本立てが望ましい。通常の理科系科目に講義・実験があるのと同じパターンだ。講義で,科学ジャーナリズムとは何か,どうやって情報を集め,どう処理するのかなどの理論を学ぶ。そして,それを実習で実践するのだ。

 幸いにも,筑波大学生物学類には「つくば生物ジャーナル」という実習のための格好の母体がすでに存在する。これを利用しない手はない。学生は実習において「つくば生物ジャーナル」の記者として,科学ニュースをレポートする。学内あるいは学外から話題を取材し,それを生物学の知識がない人にもわかりやすく書く練習をするのだ。膨大な情報を集め,それを自分の中で整理・加工し,要点を吐き出す,という作業を繰り返すことは,研究の焦点を第三者的に見極める訓練になる。将来,科学ジャーナリストの道を選ばずとも,教師になって魅力的な授業を行う上でも役に立つだろうし,研究者になれば,その研究はどこが重要なのか,どこに焦点を当てるべきか,など自らの研究を冷静に分析・判断する基礎にもなりうる。

 今,ここに「つくば生物ジャーナル」というメディウム(培地)がある。この培地を利用して,魅力的な情報発信のできる科学ジャーナリスト,科学メディエーターの培養をぜひとも行ってもらいたいと期待している。











【Aral Sea】
夫との取材で訪れたウズベキスタンの町ムイナックは,かつてアラル海沿岸の漁港として栄えていた。ソ連時代の無計画な灌漑のため,アラル海はかつての2分の1以下に縮小してしまい,今は行き場を失った船がむなしく荒地に残されるばかりである(1999年撮影)。(c)Mutsumi Stone








【Yemen】
イエメンのMahram Bilqis寺院遺跡(2001年撮影)。シバの女王時代の建造物と考えられる。取材当時,イエメン国内では部族抗争が頻繁に起きていたため,マシンガンで武装した警備隊の護衛と共にこの地区を訪れることとなった。(c) Mutsumi Stone 

   

Communicated by Isao Inouye, Received December ,2004. Revised version received January 19, 2005.

©2004 筑波大学生物学類