つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200412TT4.

「生き物としての人間」の教育の原点を考える

W.「生き物としての人間」の教育の担い手

城 忠(東京学芸大学自然科学系生命科学分野)

 これまで、生物学を研究しながら筆者が関ってきた義務教育、特に、小学校教員養成中心に話を進めてきた。日本の教員養成制度は、開放制といって、教員免許状の取得に必要な免許科目の単位数をオプションで個人的に履修し、都道府県の教育委員会から教員免許状を取得するのが原則である。しかしながら、国の教育政策として義務教育段階の教員養成においては、教員数を確保するために計画養成という政策が取られ、これに基づき、いわゆる教員養成系大学・学部において、教員の目的養成が行われている。これらの大学・学部では、卒業単位数の中に教員免許状を取得するための免許科目の単位数が組み込まれているのが特徴である。小学校教員の大半は教員養成系大学・学部の出身者であり、中学校教員の場合は、40%程度が教員養成系大学・学部の出身者であり、残りの60%は、いわゆる課程認定を受けた一般大学の出身者である。高等学校教員の場合は、大半は、いわ一般大学の出身者で占められている。このように、開放制の教員免許制度の原則の下、実質的には、二重の教員免許制度が動いているというのが日本の現状である。

 このような状況の下で、教員養成系大学・学部は、大学として教員養成を行うことが責務であるが、これらの大学・学部では、全教科を担当するのが原則の小学校教員の養成に関して、小学校教員養成全体に対して責任を取れるような教育組織ができていないのが現状であり、個々の大学教員の考えや価値観に基づいた教育が行われているといっても過言ではない。個々の大学教員は、自らの研究者としての責務もあり、特に自然科学関係では、急速な学問の進歩の中で研究者として生きてゆくために、先端的研究を重視する傾向が強いのが特徴である。研究能力ある教員は、優れた卒業研究の指導ができ、そのような指導を受けた学生は、たとえ小学校教員になる場合でも、1つの教科についての深い見識を得ることで、予定調和的に他の教科の指導力もついてくるという考え方が、今も根強く残っている。筆者からすれば、このような考え方は、基本的に理学部などでも同じことで、研究内容の性質や位置づけが変らない限り、教員養成系大学・学部の特質とはいえないのではないかと思っている。むしろ、今、教員養成系大学・学部に求められているものは、学部や大学院の教育だけでなく、学習指導要領のあり方や具体的なカリキュラムの提案を含め、教員の生涯をサポートするシステムの構築をすることだと考えている。

 一方、中等教育の教員養成を、結果的ではあるかもしれないが、中心的に担っている一般大学においては、大学全体で教員養成を考えるということは行われておらず、教員免許状の取得を希望する学生個人の責任に任されている。最近の学校の状況や教員需要の関係から、教員志望者は減る傾向にあるものと思われるが、大規模な国立大学ほどこの傾向は強く、理学部出身者などでは中学校教員や高等学校教員の教員免許状を所得する学生数は少なくなっているものと思われる。特に、中学校教員の場合は、現行の教免法で教職科目の単位数の取得が大幅に増えたことと、介護等体験が義務付けられたことから、この傾向はより強くなっているものと思われる。

 現状では、一般の大学、特に、自然科学の分野においては、研究者養成という価値観が強く、生物学や生命科学の分野では、国の政策で大学院の充実が図られ、即戦力として大学院生が実質的に研究の中心を担っている場合が多い。大学院生の立場からすれば、大学院時代にどれだけの研究業績をあげておくかが、就職などを含め大きな問題であり、研究内容の面白さ以上の比重を占めている場合が大きいと思われる。しかし、現実は、大学院の充実とは裏腹に、大学院博士課程修了後、パーマネントの職に付くことは極めて困難で、いわゆるポスドクと称して、研究所において期限付きで研究に従事しているのが一般的である。研究所でも、プロジェクト型で期間を限って特定の課題の研究を進めているところも多く、研究所によっては、研究所そのものが期限付きで作られているものもあるような現状もあり、国立大学の法人化によって、大学教員数は減らさざるを得ない状況とも相俟って、若い研究者の将来は、全く先が見えないといっても過言ではないと思われる。もし、このような状況が続くならば、研究者を目指す若者が少なくなり、結果的には研究の先細りを招く危険すらあるのではないかと危惧している。   

 このような状況を考えると、大学での研究教育をもう一度根本から考えることが必要で、特に、大学の使命と大学教育とは何かということを改めて考えることが重要であると考えている。その意味において、筆者なりに言わせてもらえるならば、大学教育の中では、それぞれの専門性の中で、本当の意味で次世代を育てるという哲学や価値観も必要と思われ、例えば生物学の分野であるならば、これまで述べてきたように、将来的には、今よりもっと大きな問題を孕むと思われる「生き物としての人間」をどのように捉え、どのような教育が必要かといった問題にも、優れた研究を収めた若い研究者が、広い視野と見識を持ちながら、教員という立場で、学校という現場を通して、指導的に且つ研究的な視点を持って、積極的に関ってゆくことが重要ではないかと考えている。このような有為な教育者を育てることによって、本当の意味で、人間の経験が、単に情報を通じてだけではなく、人間と人間のかかわりの中で、次の世代へ適正に伝えられてゆくことこそ、これから考えなければならないことの重要な要素であると認識している。

Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received December ,2004. Revised version received January 29, 2005.

©2004 筑波大学生物学類