つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200404JH.

特集:入学

平成16年度、生物学類新入生の皆さんへ

林 純一(生物科学系 生物学類長)

 85名の生物学類新入生の皆さん入学おめでとう。皆さんは、センター試験や個別試験、面接試験など、入学まで厳しい道のりがあったにもかかわらず、これまでのたゆまぬ努力と英知によって見事それを乗り越えた。これは本当に素晴らしいことで心からお祝い申し上げたい。

 筑波大学生物学類入学にあたり、皆さんは現在どのような目標を抱いているのだろうか。希望大学の希望学部(学類)への入学は、おそらく中学生や高校生の時からの長年の夢であり、その夢が叶っただけでなく、受験戦争からも(そして多くの場合親からも)解放され、生まれてはじめて訪れた自由を満喫していることと思う。したがって目標どころではく、中には大学をレジャーランドと間違えてこれから何をして遊ぶか今からワクワクしている人もいるかも知れないが、一旦緊張の糸が切れてしまうともとに戻すのが不可能な場合が多い。ここは緊張したまま気持ちを入れ替えて、新たな目的意識をもって大学生活をスタートしなければならない。希望大学への入学で勝負が終わったのではなく、本当の勝負はこれから始まるのである。

 自分のこれからの目標を設定する場合、高校までと同じ価値観で大学生活を捉えることは避けてほしい。なぜなら従来の価値観では、とてもこれから広がる途方もなく長い4年間を乗り切ることができず、すぐに何をしていいのかわからなくなり漂流し始めることになりかねないからである。いわゆる「五月病」の原因はこの辺に潜んでおり、休学や退学につながる可能性が十分に出てくる。そこで皆さんには、以下に述べるような高校までとは全く違う新しい三つの価値観に基づいて自分の目標を再構築していただきたい。

 第一は大学の授業に対する価値観である。高校までの授業の最大の目標は、与えられた(決められた)内容を完全に理解することであった。そして余計なことを考えず、また多少釈然としないところがあっても知識を「鵜呑み」にせざるを得なかったに違いない。なぜなら、希望の大学の希望の学部に入学するため、入学試験でより良い点数を取ることが最も重要なことだからである。しかし、大学の授業は、試験で良い点数を取ることを目的としているわけではない。しかも、教えるべき内容は無限にあるといっていい。その中から限られた時間で何を教えるかは、その学部(学類)のカリキュラムと授業担当教官の裁量(個性)に任されている。したがって、これまでのように全ての授業内容を完全に理解したからそれでいいということにはならない。重要なのは自主学習なのである。大学での授業の目的ははあくまでも皆さんの好奇心を刺激し、皆さんが自ら進んで興味ある分野の自主学習を行い、その中で自分の専攻分野、卒業後の進路を見つけるきっかけを与えることなのである。

 第二は生物学の既存の概念に対する価値観である。そもそも科学の世界、とりわけ先端科学の世界に正解はない。先人たちの研究成果、つまり授業で提供する生物学の情報はあくまでも「仮説」である。高校までで習った生物学は、この「仮説」が正しいと「仮定」した上での一種の「やらせ」なのである。これは入学試験の問題を解く上での「約束事」として重要であるが、大学で科学を学ぶ上では本当に邪魔になる。なぜならこの「仮説」は必ずしも正しいとは限らないからである。これまで皆さんは「やらせ」を「鵜呑み」にするという、科学にとっては最悪のトレーニングを受けてきたため、「疑う」という大切なことがなかなかできない。そこで高校までで習った生物学の既成概念を一旦すべて正しくないかも知れないと疑ってほしい。さらに、これから生物学類の授業で提供される情報の一つ一つにも疑念を持って対応し、その概念の真偽をめぐって教員や学生間で大いに議論すること、そして興味を持った内容に関してはさらに自ら積極的に調査し、その結果自分が本当に納得したものだけを貪欲に消化し吸収することをこころがけてほしい。そうすればその過程で科学の真の醍醐味を味わうことができるはずである。

 第三は勉学に対する価値観である。大学では良い成績を取っても、自ら積極的に素晴らしい学習を展開しても、今までと違って誰もほめてくれない。そもそも、皆さんは先生や親にほめられるために勉強しているわけではないので、自分でこっそり自分をほめるしかいが、それは決して空しいことではない。もちろん勉学以外のこと(サークル、アルバイトなど)に興味を持つことも大切だが、それにのめり込んでしまって学業に対する情熱が消え、結局卒業できずに退学したのでは本末転倒である。多少我慢しても本分から目をそむけず将来の自分に投資するつもりで勉学に励んでほしい。そして是非これらの価値観を認識した上で皆さん自身の目標を再構築していただきたい。

 大学では自主学習を通して自分の進路を決めることが重要だと言ったが、だからといって専攻分野、卒業研究の研究室をすぐに決めないでほしい。何も慌てる必要はない。さまざまな生物学の分野、特に興味のない分野の学習も敢えてきちんと行い、つまり食わず嫌いをやめて貪欲に学習し、その上で少しづつ専門分野をしぼっていくのである。早くから専門馬鹿になっては、その分野の袋小路に入ってしまう。進化の袋小路に入った下等動物のように、あらゆる可能性を早々と放棄することは避けるべきではないだろうか。

 一方、大学生活全体から見ると、私たちが提供するカリキュラムの履修は大学の教育目標のほんの一部である。授業だけでなく、ボランティア、サークル、アルバイト、自主学習を通してさまざまな失敗、逆境からはい上がる経験をすることで自分の個性を思い切り伸ばし、「豊かな人間」になることを大学生活の目標にしていただきたい。その過程で本当に自分のやりたいこと、プロとしての自分の本当の進路を見つけてほしい。また自分にとってだけでなく社会にとっても魅力ある豊かな人格を構築する努力をすることで、結果として就職戦線も有利に戦えることになる。

 筑波大学の年報や学生生活実態調査報告書によると、生物学類生は例年、全学でもトップクラスの「卒業率」、「進学率」、「授業満足度」を誇っている。したがって、新入生の皆さんは安心して生物学類のカリキュラムをクリアしていただきたい。昨年度は特に卒業率、進学率、授業満足度のいずれも例年よりさらに高くなった。生物学類生の授業満足度が常に全学のトップクラスであり続けることは生物学類担当教職員にとって、また生物学類のカリキュラムの評価としても大変名誉なことは言うまでもない。一方、生物学類生の高い進学率や卒業率に関してはこれまでほとんど注目されることはなかった。しかし、筑波大学が大学院大学となり、「大学院の教育・研究」にその軸足を移行しつつある中で、各学類生の大学院への進学率はこれまで以上に重要視されるようになっている。因みに今年度の生物学類の進学率は86%で、これは他の学群・学類の中で群を抜いている。さらに卒業率(卒業する学生数/4年生在籍学生数)が高いことが教育組織にとって重要な課題であることは言うまでもない。しかし学生によっては4年では短すぎて自分の進路を決めることができない場合、また休学や留学などをすることで、自らを見つめ直す時間が必要な場合もある。このため何も新入生全員が4年間での卒業を目指す必要はなく、6年かけて卒業する学生がいてもそれはむしろ当然のことだろう。個人個人が持つ個性の多様性こそ重要視されるべきである。しかし進学率が突出している生物学類では、進路が決まらなくても先ず4年で卒業し、大学院に進学することでそこにたっぷりと広がっている時間を使って自分の進路をじっくり考えることを推奨してきた。つまりどうせ同じ時間を使うのならば6年間をかけて学士号をとるのではなく、はじめから6年かけて修士号をとるという戦略が可能なのである。このため生物学類では、学類が提供している学習プログラムを4年間できちんと修了し、けじめを付けるよう指導してきたし、皆さんの先輩たちはこの方針に見事に対応してくれたと思っている。

 では、退学せずに卒業することにどのような意義があるのだろうか。たしかに卒業証書はただの紙切れでしかない。しかし、生物学類の卒業証書には社会に対し少なくとも二つの重要なメッセージが込められている。この証書を持つ人間は、第一に物事を途中で投げ出さず最後まで遂行できる能力を持つこと;第二に創造力を持って問題解決できる能力を持つことである。これらはいずれも社会でリーダーシップを発揮する上で極めて重要な能力である。

 最後に、一つ誤解してほしくないのは、私たちの役割についてである。生物学類の担当の教員は高校までの教員と違い、授業や生活指導に関わる比重は極めて低い。生物学類担当教員の最も重要な仕事は、生物学の先端的研究を推進することにある。すでに確立された情報や知識をまとめて魅力ある授業や実験実習を行うことも確かに大切な仕事の一つである。しかし、私たちの最も重大な使命は、まだ誰も見つけていない生命現象を見つけその仕組みを解き明かすこと、そしてクオリティーの高い研究を推進することで皆さんに魅力的な卒業研究テーマを提供し、ワクワクするような科学研究の醍醐味を味わってもらうことなのである。筑波大学生物学類が提供しているこの素晴らしい学習環境を思う存分活用し豊かな人格を構築していただきたい。     

Contributed by Jun-Ichi Hayashi, Received April 22, 2004.

©2004 筑波大学生物学類