つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200404SH.

〜タイでの日本語教師を体験して〜

林 聡子(生物学類 2年)

1,はじめに

 私は1月7日から2ヶ月間,タイ・バンコクにあるカセサート大学附属学校 (通称サティ・カセ)で日本語教師として働く機会に恵まれた。人間学類の授業「比 較教育文化論」を履修中,担当教官の村田翼夫先生にこのプログラムを教えて頂いた のがきっかけだった。もともと,人間学類・生物資源学類とカセサート大学との間で は,筑波大生がタイを訪問して大学やUNESCO事務所,寺院などを見学し現地の学生や 教員と交流を深める研修旅行が行われていた。97年,ある先生から「来年度から高校 で日本語教育を始めるので,筑波大生を補助教員として派遣して欲しい」との意見が 出されたのがこのプログラムの始まりだった。なので,現地の先生方が不安に思って いる日本語の発音や表現の点で補助をするのが一番の目的なのだが,私達学生にとっ ても,タイの文化・教育を肌で感じる事が出来ると同時に,自分の国を見直す機会が もてるという点で,非常に意味のある貴重な機会であろう。

 日本はアジアよりもむしろ欧米に近い,とよく言われる。日本人は欧米の文化 に憧れ,服から食べ物から,西洋にならってきた。そして,少なくとも私は,同じア ジアの中の国であるタイについて何も知らなかった。タイの人はどのように日本を見 ているのか,人々の考えや習慣はどのように異なっているのか――私は興味がわい た。ホームステイさせて頂く事で日常の生活を体験でき,日本を違った視線で見,教 壇に立つ事まで出来るこの機会を,逃してはならないと強く感じた。そして,不安は いろいろあったが,自分を奮い立たせ,タイに飛び込んでいった。

2,先生になって

 サティ・カセでは小学校から高校までの12学年,約3千人が在籍しており, 教員の数は3百人を超える。みんな裕福な家の生徒・教師であり,とても教育熱心 だ。朝7時にもなると先生1人に生徒10人位がついて,いろんな場所で勉強会を開 いていた。この光景は放課後も変わらない。

 私達がいたのは校内にある小さな建物・日本語センターで,朝から夕方5時前 後まではここで仕事をした。生徒になるのは高校1年生から3年生で,彼らにとって 日本語は選択科目の中の1つである。文法・漢字・読解に文化と,週に5,6時間も 日本語の授業があり,第2外国語として受験にも使われる。漫画や音楽を通して日本 に興味を持って始めたという子が多く,中には本気で翻訳家を目指している子もいる し,日本の大学生が入れ替わりで教えに来て楽しそうだからという理由で選択した子 もいた。 

 授業は今までの筑波大生が少しずつ作り上げてきた手作りのワークシートに 沿って進行される。筑波大生はタイ人の先生とペアで1学年1クラス(20〜30人程) を受け持ち,毎回授業の前には,どのような説明でどんな順に教えるのかを2人でよ く話し合った。私達はほとんど授業を任せられる。タイ人の先生から助言や注意を受 けつつ,自分はこのように話をしたい,この教材を使ったらどうか,など意見交換を した上で授業にのぞんだ。先生は生徒個人の性格や理解度をしっかり把握されてお り,授業を進める上でとても参考になった。例えば,日本語を口にするのが苦手な子 に文章を読ませたり,ついていけない子に気を配り「日本語は自分には難しすぎる」 という嫌悪感を抱かせないようにした。   

 生徒はいつも元気だ。「せんせー」とよく話し掛けてくる。日によって全体的 にうるさい時と眠たそうな時があり,その点は日本の学生と変わらなかった。「ハ イ,次はどうなりますか,○○さん?」「ハーイ,では○○さん,ここを読んで下さ い」・・私は常に大きな声で,笑顔で授業を行うよう心がけた。また,一人の授業に ならないようによく話し掛け,漢字の成り立ちや日常表現など授業関連の余談をして 関心を持ってもらおうと工夫した。生徒に問題を間違えられて初めて,私がその文法 の難しさ,不思議さに気づく事も多く,戸惑った。「つい」と「うっかり」の使い分 けは,「さびしそうです」「さびしいそうです」の違いは・・?生徒は懸命に頭で整 理しようとし,私達も口練習を何度も繰り返させてしつこく教えた。自分の説明の曖 昧さや不完全さが身にしみ,改めて普段何気なく使っている日本語の複雑さを感じた ものだった。   

 生徒は宿題が多い。毎日,授業で解いた問題の残りや漢字の練習が宿題として 出される。私はそれを次の授業までに添削する。時間が限られていてどうしても慌し い普段の授業に比べ,宿題への書き込みは大切な復習&生徒とのコミュニケーション の場である。できるだけ簡潔で分りやすい説明を書き込んだつもりだが,それはとて も難しかった。しかし,参考書で調べたり筑波大生同士で話し合ったりと本当に自分 への勉強になったと思う。私の言葉が知識としてこの子達に蓄積されていく,その責 任の重さを私は何度も自分に言い聞かせた。

 タイに来て間もない頃,緊張していた私を励まし,元気付けたのは,笑顔で明 るく迎えてくれた生徒の皆だった。同じ年の日本の生徒と比べて彼らは全くすれてい ない。素直でかわいらしく,よく日本の芸能人や好きな映画,漫画の話に花が咲い た。長期休みには一緒に遊びに行き,学校では見られなかった個性を垣間見たり,日 本語を履修していない子とも仲良くなったりと,楽しい思い出が沢山できた。

 帰国する前に何かこの子達にお礼をしたい。日本の事ももっと知って欲しい。 そう思った私は最後のお別れ会で浴衣を着,お茶会を開いた。今まで14年間習ってき た茶道を通じ,私は日本文化の素晴らしさを感じられるようになった。それは人の心 に教えを導いてくれるものであり,是非外国の人々にも紹介したいという気持ちが常 にあった。実際,ホストファミリーの皆さんには2回,茶をたてた事があり,自分な りの考えを伝える事ができたと思う。このお別れ会においても,本当はプリントを作 成してゆっくり説明したかったのだが,期末テストの添削などに追われ,結局,口で さっと説明しただけになってしまった。時間がない,は言い訳,もっと努力すべき だったと今でも後悔している。

 それでも,生徒は茶道を興味深そうに見つめ,「私もやりたい!」と何人かは 実際にお茶をたてた。挨拶や,お辞儀の仕方,道具の説明にも耳を傾け,一生懸命それに習ってくれた。前日に私がホストファミリーの子供達と作った苺大福(初めて見 る不思議なお菓子なのだろう,粘土遊びをするように皆楽しんでお手伝いしてくれ た)もおいしそうに食べてくれ,失敗は多々あったものの,いい文化交流ができた。 私のような未熟な者が「文化を伝える」なんてとんでもない事は十分承知だが,そこ であきらめていては誰が,いつ教えるのだろう。普段の授業だけでなくこうした課外 授業としても,生徒達に様々な日本文化を紹介していって欲しいと思う。   

3,ホストファミリー

 私のホストファミリーは大家族であった。サティ・カセは王立の名門学校であ り,その権威も大きい。そして,裕福な家の子達ばかりが通っている。その為,派遣 される前から,大きくて裕福な家に滞在する事になるだろうとは知っていた。しか し,実際に行ってみて,その程度には驚いた。ホストマザーは5人兄弟姉妹なのだ が,各々同じ敷地内に家を持ち,各々の家族と一緒に住んでいた。車も,そして別荘 も各々が別に持っている。また,お手伝いさんまでもが家族で住んでおり,大人と子 供が常に沢山いる環境であった。

 料理や洗濯,そうじはすべて,お手伝いさんがやってくれた。私の服は一つ一 つアイロンがかけられ,箪笥にいつのまにか戻されていた。食事は,朝は冷蔵庫から 好きなものを取り,昼は給食だったが,夕飯は毎日お手伝いさんが作ってくれてい た。ホストマザーがこれらの家事をすることは全くといっていい程ない。マザーは仕 事から帰ってくると料理ができているのだから,日本の主婦に比べてかなり楽であろ う。同じ時期に行った友達のホストマザーも家事はせず,料理は配達で届られてい た。ほとんどの家庭でそうであるようだが,お手伝いさんはタイ語しか話せない。私 はもっとお礼も言いたかったし,会話もしたかった。料理を傍で見ていたり,タイ語 の本を片手に話し掛けたりするうち,仲良くなる事が出来た。遊びに連れていって頂 いた事もあり,私はその温かい人柄に胸があつくなった。

 お手伝いさんがちゃんと家を持ち,雇う側の家族と仲良く暮らしているという のはタイでもめずらしいらしい。友達のホームステイ先では,お手伝いさんは外同然 の,見るも気の毒な家に住んでいる,との話だった。自分より年下の子が店で労働者 として働いていたり,やせ細ったお年寄りや幼い子どもが道路でただうずくまり,紙 コップを差し出してお金が恵まれるのを待っていたり,盲目のお年寄りがラジオ片手 に歌いながらお金を求めている姿を目にすると,なんてホームステイ先の暮らしと 違っているのだろうと,タイの貧富の差がしみじみと感じられた。時代の先端を行く 人々が暮らす国際都市バンコクだが,まだまだ,板を張り合わせただけの家や,学校 に行けず,薄汚れた服を着て街を歩いている子どもも多く存在している。発展途上国 でもあり世界の市場経済で大きな存在でもあるタイは,2つの面を持つ,刺激的な国 だった。

4,宗教

 タイの宗教は仏教である。人々は僧侶に対して敬意を示すし,普段から,家に 備えられたタイ風の仏壇や寺院の前を通るとき手を合わせる。誕生日には寺へ行き, 僧侶から教えを請う。ホストファミリーのおばあさんはよく,泊りがけで遠くまで参 拝に行っていた。

 また,タイの人々は国王にも深い敬意を示す。店に入ると必ず国王の肖像画が きらびやかな額に入って飾られている。朝と夕方の1日2回,ラジオやテレビ,公共 施設の放送では一斉に国歌がながれ,その間,人々は立ち止まり,気をつけの姿勢で 敬意を示すのである。映画館ですら,映画が始まる前には国王がタイの地方を訪ねて いる映像と共に国歌がながれ,人々は立ち上がり,じっと聞いていた。

 同じ仏教を宗教とする国とはいえ,全く違う文化・習慣を持つ国だということ が改めて感じられた。そして自分は日本人なのだという事も。初めの頃はタイの人々 が一つの宗教団体のように感じ圧倒されてしまったが,母国を担っていく若者に国へ の忠誠心を育てていくのは大切であり,真似するまでいかなくとも日本ももう少し国 への誇りを育てる教育などを行ってもいいのではと感じた。

5,最後に

 私はこの2ヶ月間,日本語教師となりタイの文化を体験できた。私は日本人で ありながら日本のことをよく知らない。文化についても歴史や言葉についても勉強が 足りないし,知らないものが多い。料理だってまだまだ覚えなくては恥ずかしい。自 分の国について学ぶ事の大切さを私は改めて感じた。そして,そう気づかせてくれた 今回のプログラムに感謝したい。タイで出会った人々との思い出は,私の将来に大き な勇気を与えてくれるだろう。皆,本当に温かかった。これからも筑波大学とサティ ・カセとが交流を深めていくことを願う。    

Communicated by Mihoko Takahashi, Received , 2004.

©2004 筑波大学生物学類