つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200406EW.

生物学類で学んだこと

蕨 栄治(東京大学先端科学技術研究センター)

 私が筑波大学生物学類に入学したのは1993年、今から11年前になります。初めての独り暮らしと新たな生活への期待と不安、入居日に初めて学生宿舎の扉を開けたときの驚き(独房?)、今でも昨日のことのように思い出されます。それから9年もつくばに住むことになること、また「研究する人生」を選ぶことなど、物理・化学選択での受験で入学当初満足な生物の知識もなく、また、卒業後の将来像など描いていなかった私は全く想像していませんでした。そんな私にとって生物学類の講義は当然のことながら大変難しいものであったのですが、それと同時に、生物っておもしろい!と感じさせるとても魅力的なものであり、そうした生物学広汎にわたる充実した講義が現在の私に繋がっているのだと思います。
 以下、生物学類、大学院と9年間の学生生活と修了後の生活について記させていただきますが、これが筑波大学生物学類への入学を目指す方、現在在籍されていている方達に少しでも参考になれば幸いです。

 学類4年の卒業研究時に松本宏先生の研究室の門をたたき、そこで植物培養細胞が持つ除草剤抵抗性についての研究テーマを選ばせていただきました。生物学類は伝統的に大学院への進学率が非常に高く、93年入学組の同期も8割くらいが進学したのではないでしょうか。無事?に学類を卒業後私も大学院農学研究科に進学、同研究テーマを続けさせていただくことにしました。大学院に入学した頃は、修士号を取得した後に就職しようと決めておりまして、地元の公務員試験でも受験しようかなども考えましたが(結局中途半端になってしまった)、研究の傍ら就職活動を行い、とある食品会社に内定が決まり、実際内定式にまで参加しました。ところが、就職活動中もずっと感じていたことなのですが、自分のやりたいこと、目指すものがはっきりしない、なんとも典型的なダメ学生でしたので(もちろん周りには自分の夢に真っ直ぐと突き進んでいる人もいて、そういう人たちにはある種尊敬の念を感じていました)、いざ就職が決まってみると、「本当にこれでいいのか」、「本当はもっとしたいことがあるのでは」、「それって研究?!」という気持ちが日増しに高まり、さんざん悩んだあげく食品会社に辞退の電話をして松本先生に研究を続けたい旨を申し出ました。今思えばこの選択が私のこれまでの人生における最大の分岐点であったように思えます。今度は3年後いったいどうなるのか、という不安もありましたが、内定辞退の電話を入れた後の何とも言えない気持ちは今でも鮮明に憶えています。それから3年間、いわば覚悟を決めて吹っ切れた気持ちで研究を行い、その間様々な苦労、喜びを経てそれなりの成果を出すことができ、2002年3月に無事修了することができました。

 博士課程に進んだ学生のほとんど全員が抱える不安は先ほども触れましたが、その後の就職ってどうなるのか、ということだと思います。順調に進んでも修了時には27,8歳ですし、一般的にはほとんどの人が職に就いている(いた)年齢ですから、世の中からの距離を少なからず感じるのではないでしょうか。修了後の進路としては、
・大学の助手等になる
・日本あるいは海外でポスドク研究員として働く(日本学術振興会特別研究員、NEDOフェロー等 ・企業に就職する
・大学、研究所の研究補助員等
多くの場合これらのうちのどれかになると思います。いわゆるアカデミックポジションや学振特別研究員に就くには相当の実力と運が必要だと思われますが、その他については未だに不景気が続いている世の中といえどかなりの募集がありますから、いろいろな選択肢があるかと思います。それから、ほとんどの場合これらのポジションは3-5年程度の任期付であることが特徴です。ですから任期が終わった後はまたどこか新たな研究場所を探さなければなりません。これは年齢を重ねるにつれ大きな不安となるものですが、私はむしろそのことを楽しむつもりで受け止めています。任期があることでその期間内に何かしらの業績を残さなければならないことは大変なプレッシャーですが、それはまた研究を進める上で大きな原動力にもなります。良い意味で考えれば、その不安定さは人生の楽しさ、一生懸命に生きる強さをもたらすのではないでしょうか。また研究は本来非常に楽しいものです。これまで誰も知らなかった複雑な生命の仕組みの一端を自分が解明することができたらどんなにすばらしいことでしょう。それがどんなに小さな発見でも、人類の知的財産として永遠に残っていくわけです。私はまだまだ未熟者ですが、そのような大きな希望と誇りを持って研究生活を楽しんでいます。

 現在私は東京大学の先端科学技術研究センターというところで、あるプロジェクトのポスドク研究員として働いており、今年で3年目になります。ヒトの培養細胞を使ってそのストレスに対する応答を分子レベルで解析する研究をしています。大学院の頃の研究テーマとは大きく異なりましたので、始めはかなりの苦労がありましたが、先生方、研究者、実験補佐員、学生の総勢100名近くの方たちのご指導、ご協力の下楽しく過ごしています。 ある一日の様子を大まかに示しますと、
 10:00 研究室に到着、メール、自分が注目している分子、現象についての新しい論文をcheck 〜11:30 雑用、実験の準備
 12:30 学食で昼食
〜15:00 実験
〜16:00 研究グループミーティング
〜17:00 実験
〜18:00 研究進捗状況発表セミナー
〜19:00 学食で夕食
〜22:30 実験、データ整理、帰宅
 どうしても朝は遅くなってしまいがちですがだいたいこのような様子です。朝型の人、夜型の人いろいろいて、私はその中間でしょうか。早朝から実験している方もいれば、日付を越えて実験している方もおられ、大学ではありますが学生が少ないことから研究所のような雰囲気です。もちろん長くいれば良いと言うわけではないでしょうが、他人から評価されるためにはやはり人一倍の努力が必要なようです。

 研究はとかく独り善がりになりがちで、ディスカッションの場で自分では思いもしなかったsuggestionを受けたり、大きな勘違いに気付くことがあります。これは私がまだまだ未熟であるためだと思われますが、様々な分野の人から自分の研究を客観的に見てもらい、それを謙虚に受け止める姿勢はどんな場面においても非常に大切であると感じます。研究において、無から有は生まれない、つまり研究のスタートは殆どが模倣であって、その先に新たな発見が隠されているのだと思います。そこで重要なのはまず問題を見つけだす力、そしてその問題を解決する能力であり、多くの人からの刺激によってその力は養われるのではないでしょうか。もちろんまずは自分の努力が必要でしょうが、松本先生がよく「他流試合をしなさい」と仰っていたことが思い出されます。
 生物学類は、専門的な知識を学ぶことを通して、物事を様々な角度から捉える能力、問題解決能力を身につけることができる、あるいはその重要性に気付くことができるすばらしい場であると思います。もちろんそれだけではなく周りを見れば気の置けない仲間達がいると思います。大学生活はそんな仲間達との出会いの場でもあり、何ものにも代えられない貴重な時間です。学生のみなさんには、どうかすばらしい学生生活を送られること、そして良き仲間と巡り会えること、かけがえのない経験をされることを願っています。最後に、松本宏先生を始めお世話になったすべての先生方にこの場を借りて改めて感謝申し上げると共に、生物学類の益々のご発展をお祈りいたします。

Communicated by Hiroshi Matsumoto, Received July 9, 2004.

©2004 筑波大学生物学類