つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200406MO.

特集:OB教官による総合科目「人生の達人が語る生物学のススメ―今甦る幻の名講義―」

今浦島の感慨

岡田 益吉(元 筑波大学 生物科学系)

 法人化すると大学はマジックも扱うらしく、生物学類長は一度消えた老兵に魔法をかけて再び総合科目の壇上に出現させた。かくして定年後そろそろ一昔になろうという私が、まるで孫のような可愛い学生たちに話をすることになり、それでもパワーポイントの準備に時間をかけるのが苦にならなかったのは、孫たちに話をするのが楽しみであったからに違いない。しかし、余りに話したいことが多くて2回分では時間が足りず、最後の方は端折りに端折って脱兎のごとくであったのは、久し振りの学類の講義で時間配分の勘が狂っていたのか、我ながらお粗末であった。

 それはともかく、私が話したかったのは、「バイオ」ともてはやされている現代生命科学の果実が日常生活にも提供されて、我々の生活を大いに豊かにしてくれている。しかし、この果実は紀元前数百年より人類が知的好奇心を肥やしにして育て上げてきた学問の大樹に生ったもので、我々の住む宇宙や我々自身の生命、などを考えるための貴重な宝物であって、実用のみを目的とする、お手軽な促成栽培の結果ではないということであった。そうは云っても、ギリシャ時代から話すのはとても時間がかかるし、私が適任者とも思われない。近代から始めて、現代発生生物学が誕生し育ってきた過程を話そう、具体的には自分の経験や、関与した研究も例にひいて見よう、などというのが準備の段階で浮かんだ考えであった。

 聴衆は学類の一年生、しかも生物学に直接の関係がない学問を専攻する学生や、高校で生物を履修していない学生も多く含まれていることは知っていたが、彼らは、知識は無くても理解力はある(ignorant but intelligent)と信じて「程度は落とさずに、説明は平易に」を心がけることにした。

 実際に話をしてみて、いくつか感じたことや驚いたこともあるし、何かタイムマシーンで未来の大学に着陸したような気もしたことは事実である。しかし、教室が狭すぎるくらい大勢の学生が集まって、静かに聞いてくれたのは有難いことであった。混雑に起因する気温の上昇と、酸素不足のために、睡魔を払いのけるのに悪戦苦闘している人もいくらか見受けられたが、これは途中でdiscussionを挟まないlecture形式のクラスではある程度やむを得ない。時間ごとに、自ら理解した講義の概要と、質問、コメントなどを書いたカードを提出して貰うのは、話しをする側とすれば、学生との対話の代用にもなり、大いに役に立った。またカードを読むのは面白かった。ここでも、浦島太郎の心境が理解できた。

 質問やコメントを、重複を除いて書き出してみた。1回目が44項目、2回目が48項目、実に様々な疑問やらコメントやらが寄せられており、集中して話を聞いてくれた証拠と嬉しく思う反面、注意していても無意識に学術用語を説明なしに使っていたらしい。これが反省その1で、これに基づいて用語集を作って配ることにした。幸いにして、第2回のカードには、この種の質問はほとんどなかった。

 話の内容に関する質問には、予測の範囲内のことから、エー!と声を出してしまったものまで、色々で楽しませて貰った。第1回のものは出来る限り第2回の話の中で答えることにしたし、講義後の質疑応答で取り上げたものもある。しかし、答えるとすると何時間もかかりそうなものもあって全てに対応することは不可能であった。実は、学類長から、この文章の中でいくつかの質問に答えて欲しいと要望されているのだが、自分でも満足出来るような答えを書くには、可成りの時間とページ数を必要とするのでここに完全な答えを書くことは出来ないと思う。勉強の指針程度で勘弁して頂きたい。それでも、合計92項目の中から私が勝手に選ぶので、自分の質問に答えてくれないと不満に思う人も多いはずで、予めお詫びしておく。

 コメントの中に、再生のメカニズムや、クローン家畜生産などの詳細、再生医療や、クローン技術と再生医療の組み合わせなどについての詳細、これらの問題の生命倫理の面からの議論、などをもっと詳しく話して欲しかったという要望が多かった。時間が足りなくて話しを簡単にしてしまったこともあるが、多くの学生が興味を持ち、知りたいと願っていることが伺われた。この分野の専門家による集中講義を学類として企画するよう提案したい。それと、私は全く触れなかったので質問は出なかったが遺伝子診断、遺伝子医療、生殖医療なども、生物学類のみならず21世紀に生きる人達はすべて基本的に知っていることが要望されると思うので、医学群の協力を得て、集中講義、あるいは公開講演会も有益であろうと思う。

 さて、質問に移ろう。

・極細胞が生殖巣に移動するメカニズムを知りたい。
 極細胞は内胚葉細胞の間をすり抜けて体腔側に出ると、その付近には生殖巣の細胞が待っていて、その細胞と仲良く手をつないで生殖層の中に入り込みます。内胚葉細胞では wunen遺伝子が発現し、これが極細胞を内胚葉から追い出す働き(repulsion)をします。生殖巣の中胚葉細胞にはcolumbusと呼ばれる遺伝子が発現して、これが極細胞の誘引(attraction)を行うことが分かっています。鳥類では始原生殖細胞の移動は血流に乗るのでちょっと違います。

・ショウジョウバエで分かったことはヒトにはどの程度通用するのか。
 眼のマスター遺伝子であるpax6やウルトラバイソラックス、アンテナペディアなどのホメオティック遺伝子などの、ホメオボックスを持つ遺伝子が有名ですが、そのほかにもショウジョウバエと哺乳類(ヒトを含む)は驚くほど多くの類似遺伝子を持っています。それ故、遺伝子の働き方についてはショウジョウバエで分かるとヒトでも分かることは多いのです。また、ヒトの遺伝子をショウジョウバエに導入して発現制御や、他の遺伝子との相互作用の様式などを調べることが出来るなど、ショウジョウバエで分かるとヒトでも分かるという面は少なくありません。

・異種間キメラは可能か?
 動物では、ごく近い種類の間(例えば羊と山羊)では出来ないことはないとされていますが、キメラの語源となったギリシャ神話に出てくるようなものは出来ません。植物では「個体」の定義が難しいですが、もしも一本の木を個体とすれば「接ぎ木」は一種のキメラでしょう。

・ヒトのミトコンドリア・リボソームRNAにも極細胞形成能はあるのか。
 実験してみたことはないので、分かりません。しかし、極顆粒の所にミトコンドリア型のリボソームが出来ることが重要というのが現在の考えなので、ミトコンドリア・リボソームタンパク質もないといけないので、それほど簡単な実験ではないでしょう。

・プラナリアを縦に切るとどうなるか。
 完全に切り離さずに、例えば前半部だけを縦に切って、傷口が互いにくっつかないようにしておくと、どちらの半分も失った部分を再生して、頭が2つ、胴体が1つのプラナリアになります。

・ES細胞は何の略か。
 Embryonic stem cell (胚性幹細胞)の略語です。

・ヒトが生殖年齢以後も生きるのは子の教育のためだとすれば、教育という文化面は進化における環境要因といえるのか。
 ヒトの進化、特に脳の進化のことはやっと研究が始まったところで、まだよく分かっていません。教育を受け入れて、脳内の細胞同士が新しいネットワークを作ることが出来るために、どんな遺伝子の働きが必要なのか。もしもそのような遺伝子をある時期に獲得した(あるいは既存の遺伝子が変わった)とすれば、その時から教育は環境要因の一つになったと考えることも出来るでしょう。
(マット・リドレー著(中村桂子・斉藤隆央訳)やわらかな遺伝子 紀伊國屋書店 はこの問題に関わりがある、読む価値のある本だと思います。)

・寿命も遺伝子で決まっているのか。
 動物の種によって寿命が全く違います。これは寿命が遺伝的に決まっていることを強く示唆しています。しかし、一個の遺伝子を導入すれば、ハツカネズミが100年も生きるようになる、そんな遺伝子があるとは思われません。

・プラナリアの再生芽だけを切り出して育てたらプラナリアが出来るか。
 出来ません。プラナリアの再生については、理研、発生・再生総合科学研究所のホームページhttp://www.cdb.riken.go.jp/en/index.htmlの、阿形先生の研究室を覗いてみて下さい。

・クローン技術で臓器だけを作れるのか。
 これについても、理研ホームページが参考になるでしょう。

・共生でミトコンドリアの受ける利益は何か。
・人体からミトコンドリアを全て取り除いたらどうなる。
・ミトコンドリアの共生は偶然一度だけ起こった現象なのか。

 この3つについては、林純一「ミトコンドリアミステリー」 講談社Blue backsを読んで下さい。あるいは、原先生の講義で出てくるかも知れません。

Contributed by Masukichi Okada, Received June 2, 2004.

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