つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200503KI.

特集:卒業

学内フロラ調査を行って

今井 清太(生物学類 4年生)

 私にとって、この4年間で最も充実していたのは2年次、フロラ調査を行っていたころだと思う。卒業に当たり、その頃の話を思いついたままを記し、投稿することで、私にとっての4年間を締めくくり、来年以降につなげる作業を行いたいと思い、パソコンの前に座ってみた。私以外の読者諸氏にどれだけの意味があるかは分からないが、偉そうなことを言える性格でも立場でもない。とりあえず自分のために書いてみようと思う。

 フロラ調査が始まるきっかけは、1年次の冬であっただろうか、学芸員の資格を取ることを目標として、当時の学類担当の事務職員であった川島氏にカリキュラムの相談に行ったことから始まる。彼から、学類の技官である路川氏が学芸員資格を持っていると聞き、さらに、話を伺う機会を設定してくださる旨、約束してくださった。路川氏は学類の技官としての職務を全うしながら、カヤツリグサ科草本に関する様々な業績を残されている。また、学内の植物相に関しても詳しく、今から約20年前の1985年に構内のフロラ調査の結果を報告している。その路川氏との話の中で、学内フロラ調査を行うこととなったのである。20年前と現在で、植物相の比較を行うとのことであった。しかし、当初植物などに興味もない私は、正直「面倒なことになった」と思っていた。うまく逃げ出すタイミングを計っていたのである。そのような私の思惑をよそに、路川氏の指導の下フロラ調査は始まった。

 2年次に進級し、路川氏と共に学内を歩き回りながら植物を採集し、同定を行い、標本を作製するという、とてつもなく煩雑な作業が始まった。始めた当初、「こんな大量の植物の名前など覚えてられるか!やってられん!」と思いながら、一度乗りかけた船だ、もう少し、と惰性で作業を進め、2ヶ月ほどが経過した。

 ある日、帰宅した矢先に、共にフロラ調査を行っていた友人から連絡が入った。なんと、フロラ調査をまとめて学園祭で発表するというではないか。しかも申し込みの締め切りはその日であり、代表者として私の名前で申し込んだという。完全に欠席裁判、引くに引けない状況に追い込まれてしまったのである。だが、どうせ引けないのならば徹底的にやってやろう。この日から、私をフロラ調査に駆り立てるものは、惰性から義務感へと変化した。

 やる以上は納得できるものを作りたいのは当然で、その下準備である標本作成、整理に奔走することとなった。採集、同定、標本作成のルーチンに標本整理が加わった分、仕事量は格段に増えた。標本整理といっても、標本を並び替えて種ごとにまとめるだけではなく、その標本と種名と一致しているかを精査していかなければならない。時間と根気の要る作業であった。しかし、学園祭に発表することが明るみに出たことでフロラ調査に参加する仲間も増えていた。心理的には非常に楽であった。

 途中、企画発案者の離脱というアクシデントがあり、それに加えて全て自分で抱えなければ気が済まないというそんな性格も災いして疲弊してしまったり、どうしようもないケアレスミスも多発したが、仲間たちの助力のおかげをもって、何とか準備はできた。発表当日、学類長である林先生をはじめ、多数の先生方、学生諸氏、また一般の方々など、私の想像以上の来場者を迎えることができた。

 学園祭でまとめたことを要約すれば、20年前と比較し、帰化植物が増加している、全体の種数、特に湿生植物が減少している、といったことから、大学構内の植物相は単調になる方向を向いていることが示唆された。これだけである。この分かりきったことを示すだけに半年という時間と労力をかけたのである。

 学園祭を終えた後、路川氏と話しをしている中で、私の口から「次の採集いつから始めましょうか?」などと出てきたときは正直自分でも驚いた。学園祭に対する義務感だけならば、このタイミングが身を引く好機だったが、それをしなかったのである。今思えば、学園祭を機会に、フロラ調査に対する自分のスタンスが大きく変わったのだろう。フロラ調査は分かりきったことを、時間と手間をかけて証拠を集めることで、地道に証明していく作業であること、証拠となる標本は、後々精査することのできる唯一のデータであること、大学構内という狭い地域の中でも300を越える植物種が自生していることに対して、単純に驚き、また興味深く思ったことなど、当時は言葉にすることはできなかったが、感覚的にフロラ調査の面白さを感じていたように思う。学園祭後も路川氏について植物採集を続けていたのは、そのためであろう。

 その後、全学の技官による技術発表会でのポスター発表(2003)を経て、最終的に標本2000点以上、103科295属461種が記録されたそうである(2005、農林技術センター技術報告に投稿中)。私は途中から標本採集、整理に参加することはできなかったが、路川氏をはじめ、現在の2、3年生が精力的に標本採集を行った結果である。有り難いことに投稿中の原稿に著者の一人として名を連ねることができたが、学園祭に参加した仲間たちをはじめ、フロラ調査に参加した仲間たちの代表として、名前を載せているに過ぎないと思う。

 悲しいかな、植物の名前の大半を忘れてしまったが、また時間ができれば、野山の植物と標本を通して付き合ってみたい。その時のための準備、経験を積むためだけの4年間だったかもしれない。それでも充実していたし、幸せな4年間であった。このような機会を与えてくださった路川氏をはじめ、学内フロラを共に調査した仲間たち、植物採集にかまけて成績の振るわなかった私を厳しくも暖かい指導や単位認定をしてくださった先生方にこの場を借りて厚く御礼申し上げることで、この文章を終えることとしたい。

Communicated by Takeo Hama, Received March 24, 2005.

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