つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200503KS.

特集:卒業

2クラ担任を終えて---卒業に向けて思うこと

坂本 和一(筑波大学 生命環境科学研究科)

 この季節になるといつも思い出すことがあるのだ。

 その日、冷たいはずなのにどこか柔らかい夜風の下で、私たちは学群棟前の芝生に横たわっていた。賑やかな謝恩会の会場を後にして酔いを醒ましていたのだ。興奮して上気した顔には三月の夜気が心地よく、目をつぶるとゆらゆらと宙をさまよっている気がした。誰からともなく思い出話が始まった。サークルのこと、友人のこと、夏の北海道旅行、下田の海で叫んだこと、実験のこと、石打のスキー合宿。誰かが、自然に告白めいたことを話し始めた。これまで言い出せなかった打ち明け話、友達との確執、失恋、笑い話。同期でありながら4年間ほとんど口をきいたこともない友もいたのに、私たちは驚く程に饒舌で、そして皆素直になっていた。「二十年後、俺たちはみんなどんな顔をしているだろうか」「どこでどんなことをしているのだろう?」「生物学に関わっているのだろうか、それとも他の何か、、、、」。いつしか話題は変わっていた。変わり易い三月の空のような自分たちの将来について、誰もが春先の胸騒ぎのような不安を抱えていた。遠くにチラチラと筑波山の灯りが見えた。あたりには、甘くてどこか切ない香りがふんわりと漂っていた。

 二学D棟の南西端にある入り口の前。そこに三本の梅の木がある。老成した幹からは見事な枝が八方に腕を伸ばし、枝の彼処には淡いピンク色の花が咲き乱れるのだ。遠目には桜と見紛う程の豊穣な花弁が、決して忘れることもなく毎年春の訪れを告げる。私はこの木を「かばさんの梅」と名付けた。生物学類第三期生の同窓会「かば三会」にちなんで、たまたま「かばさん」としただけである。誰かが認知している訳でもない。自分で勝手に名前をつけて合点し、幾度も頭の中で反芻し、いつしか一人で馴染んでしまっただけの名だ。別れの日、私たちはこの木の近くでこれから先のことを語り合った。就職の決まったもの、留年するもの、進学するもの、教員試験に落ちたもの。私たちの将来は春の空のように不安定なはずなのに、卒業式を終えたばかりの私たちは、それ以上に無知で、楽観的で、そして何よりも若かった。諸々の不安をかき消すように、私たちはひたすら快活にありったけの声を出して笑い合った。以来、この梅を見る度にその夜のことを思い出す。

 あれから二十数年がたった。

 生物学類第27期生の担任となった私は、新入生歓迎会の席上で二クラの手荒な「葉っぱ隊」に迎えられた。人気テレビ番組をまねた腰簑姿で踊る彼らは、大学生というにはあまりにも無邪気で幼すぎたが、一方でそんな無鉄砲な奔放さが眩しくも羨ましくも感じられたものだ。季節は夏を過ぎ、秋を終え、いつの間にか時間だけが流れていた。気がつくと、私の意識だけがまだあの頃のまま取り残されているような気がする。フレッシュマンセミナーがまだ続いているような気持ちなのだ。フレセミの議題が決まって討論が始まり、さあこれから議論が白熱するかなという矢先に、あえなくも時間切れとなって終わってしまった。なぜかそんな気がするのだ。もう4年が過ぎたとも言えるし、まだ4年しか過ぎていないのだという気もする。その間、私たちは諸君に何をしてあげることができたのだろうか?大人びた顔立ちは幼さを払拭したようにも見えるし、誇らしげな後ろ姿は4年前の無邪気さを内包しているようにも見える。何かが大きく成長したようでもあるし、何も変わってないようにも思えるのだ。いつか必ず卒業の日が来る筈であるのに、いつの間にか自分の意識から考えることを遠ざけていたのかもしれない。まだまだ君たちに対してやり残していることがいっぱいあり過ぎる、そんな気持ちでいっぱいなのだ。だが、律儀というか無情というべきか。「かばさんの梅」は今年も芳醇な香りを漂わせている。またその季節がやってきたのだ。

 今、君たちはいったいどんな想いでいるのだろう。筑波でいったい何を得たのだろうか。何を抱え込み、そして何から決別していくのだろうか。4年という時間の中で、筑波は、生物学は、そして私たちは、いったい君たちにどんな刺激を与えることができたのだろうか。君たちの持つどんな遺伝子を刺激し、そしてどんなシグナルを動かすことができたのだろう。君たちは何を受容し、何を発することができたのだろうか。果たして、十年後、二十年後、君たちは一体どんな顔をしているのだろう?何がどのように発現し、そして皆どんな表情をしているのだろう?

 また会おうではないか。楽しみにしている。

 

Contributed by Kazuichi Sakamoto, Received March 22, 2005.

©2005 筑波大学生物学類