つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200503NK2.

特集:卒業

科学者として生きる

季村 奈緒子(生物学類 4年生)

“It is our responsibility as scientists, knowing the great progress which comes from a satisfactory philosophy of ignorance, the great progress which is the fruit of freedom of thought, to proclaim the value of this freedom; to teach how doubt is not to be feared but welcomed and discussed; and to demand this freedom as our duty to all coming generations.”
Richard Feynman “The Value of Science”

 自由な発想を持つ。疑いをどんどん口にする。後世で絶えることのないように周囲からも自由な発想を促し求める。上記のリチャード・ファインマンの言葉自体をずっと忘れていたものの、大学在学中は常に脳裏のどこかでその内容について考えていたような気がする。それに加え、世俗における「科学」の存在の意味や価値などについても自分なりに答えを出そうとしていたような気がする。科学を土台に生きようとしている者は何を考えてどう行動すれば社会に還元できるのか。これは科学と向き合う誰にとっても大事な考え事であるように感じる。

 社会における科学はいかなる物なのだろうか。「科学」は「science」の和訳として用いられるが、「科学」も「science」も「サイエンス」という用語はなんとなく理系のイメージが強いと感じるのは私だけだろうか。本来の「科学」は学問全般を指す用語であり、それが便宜上、たまたま「自然科学」と「社会科学」の二つに分割されている。高校の頃から理系コースと文系コースに分けられ、受験を控えている者は特に自分がどちらの分野に属するかを強く意識する。しかし私はこのようなはっきりした分け方に疑問を感じずにはいられない。早い時期から自分は理系だから文系の科目を投げ出し、関心を持たない姿勢はどうかと思ってしまう。もちろん文系の場合も同じように言えるが、ここでは理系の場合を少し考えてみた。

 自然科学はいつの時代も社会と密接に動いてきた。20世紀でもそれが色濃く現れている。第二次世界大戦期には軍兵器の開発に参戦国は多額の国家予算を費やし、アメリカは核爆弾という科学的には著しい大発明、しかし人類にとっては最悪と言っても良い結果に至った。広島での投下だけでも約14万人の死者を生んだ原子爆弾の開発に関わった多くの科学者は終戦後に後悔の念を胸に生き続けなければならなかった。リチャード・ファインマンもこの一人である。この時代の世の中は全てが戦争に捕らわれ、科学者はそれに対して疑問を抱く間すら与えられないまま、時代は勢い良く流れ進んでいった。社会の動向に影響される科学は冷戦時代でも変遷し、冷戦期が終了したと同時に世界中で科学の位置付けが大きく変わった。それまで重要とされていた兵器の開発・製造の必要性が薄れたため、科学の方向性はそれ以降、違う道、言ってみればバイオの道へと向いたと言える。国家予算によって研究が行われる以上、近代科学は政治や経済から切り離せる存在になれない、とこのとき感じた科学者は少なくなかっただろう。

 行動学における偉業が評価せれ、1973年にノーベル賞を受賞したコンラード・ローレンツのナチスとの関わりが薄ら知られている。宗教的な理由でウィーン大学では禁止されていたローレンツの動物学研究はナチス政権ドイツでは認められ、彼はドイツに移り住んでナチスのイデオロギーを合理化する研究及び働きかけをするようになっていった。ここで、ファシズムに染まっている時代に繁栄の時期を迎えてしまったローレンツのタイミングの悪さを配慮して彼を哀れむべきかもしれないが、結果として後世に受け継がれる重要な研究成果を残してくれたとは言え、彼がジェノサイドという人類のあるまじき罪悪に関わってしまったことは否めない。

 どの研究者も少なからず社会の動向を考慮した研究を行っているに違いない。所詮、研究予算を取得するということは、どれだけその研究テーマをアピールして支持を得られるかによるからである。政府機関の支持を得るのには世間体の同意を得られなければならない。言ってみれば社会の動きを読むことは研究者として生き延びるテクニックの一つである。上記で挙げたローレンツの例はもちろん極端な一例に過ぎないが、時代の波に飲み込まれる事態を避けるのにはやはり常に疑問を抱えなければならない。そもそも疑問を感じるのには柔軟な発想力を持ってなければならない。専門を持つということはその一つの分野についての知識を究めていくということである。裏を返せばそれだけ他との繋がりを欠いてしまう危険性があるとも言える。他分野への深い理解が及ばないのはしょうがないことかもしれないが、少なくとも関心は持つべきであるように思う。様々な領域に触れることによって私たちは新たな刺激を多く受け、自由な考えが出来る。疑いは多いに議論し、正しい選択というものを厳選していくことは科学者の一つの義務であるように感じる。

 自由な発想は科学の進歩にとって極めて重要であるということは言うまでもない。トーマス・クーンが『科学革命の構造』で紹介した「パラダイムの転換」という造語がある。これの説明を少しばかりさせてもらうと、科学は普段、ある規範内で問われ、そこからはみ出るような発想はされないとクーンは論じている。しかし極稀に既存の規範を覆すような発想が生まれ、思考の前提となっていた「パラダイム」のいわゆる転換が起きると、新たな規範の下でその後の科学は続くという説である。「パラダイムの転換」は当たり前だったことが当たり前ではなくなる事態を招く。もちろん科学革命が起きるほどの発想はそう滅多に生まれないが、新たな発見のためには普段から広い知見を育てる意欲を失わないでいるのは大事ではないだろうか。

 幅広い知見というのはとても身近なところでその重要性を見ることが出来る。例えばリガンドや受容体のタンパク質の解析を行っている生物学と化学の分野の境に属する者は、扱っている試料の構造機能を多方面から把握しなくてはならない。少なくともその分子構造の知識から始まり、四次構造と生体内での点在分布、そして臨床的な役割までも理解することは必須となる。概要として「病気を治すための学問」である医学を取って見ても、細かく分割されている全ての自然科学との密接な関係を持っており、加えて、宗教、倫理、政治や経済もが絡んでいるのが現状である。

 数学者であるジョン・ナッシュが展開したゲーム理論は生物学を含む様々な分野で応用され、主に経済界にもたらした業績が評価されてナッシュは1994年にノーベル経済学賞を受賞している。数学の理論と聞いてすぐに経済学や生物学との繋がりを即座に想像しにくいが、改めて各分野同士の意外な連結を実感させられる。言ってみれば各分野間の仕切りは勝手に築かれた物であり、皮肉にもその「壁」を取り除いた状態が最近では流行になっている「学際的学問」である。自発的に一つの分野の応用範囲を広げていく働きかけをするに至らなくても、少なくともそのような視野を持つべきであろう。

 多種多様な人間と交流を持ち、見識を偏らせないことは科学の発展において大切であると感じている。日ごろ一緒に仕事をしている同僚とは似た趣向を持っていたり、普段集う仲間もまた似た境遇の者だったり、何処かしら考え方を共感して友情関係が芽生えているに違いない。似た者同士が集まれば小さな文化が形成されるように、そのコミュニティー内で考え方が同じ方向に向かい、固定観念も根付いてしまう恐れがある。特にメディア業界における報道の政治的偏りは懸念されるが、科学の世界においても研究理念やその集団内の見識等のいわゆる「偏り」が無いわけでも無いような気がする。そこで交換留学生や外国人研究者の交流を介した知識や技術のやりとりがとても重要であるように感じる。そのような情報の交換は個人の利益に留まらず、その研究室からその研究分野に、更に科学の成長にも貢献する。同一の物を見るにしても、常に見方を変えて日々小さな発見を重ねていきたいものである。そして科学者として社会は型にはまらない存在であると認識しつつ、その一員として社会との一体感を持ち続けたいものである。「科学」が地球上の歴史に残してきた貢献を称え、今後も社会に還元されるような科学に期待したい。

 最後に、学部生としての大学生活に終止符を打とうとしている今、私は大学生として過ごした4年間を色々な思いで振り返る。楽しかったこと、辛かったこと、嬉しかったこと、悲しかったことなど様々な思い出が甦ってくる。明日から続いていく将来に期待を持っている反面、学部生という身分から脱却する不安は拭いきれない。入学当初の自分と比べて成長したとはいえ、やはりまだまだ一人前からは程遠いのは確かである。自己形成のためには勉強をし続けるしかない。意識していなくても毎日が勉強であると認識すれば、日常生活を通して色々と学び続けたいと言った方が適切かもしれない。近いうちに学校という場を離れて行っても、「教育」は一生受け続けていきたいものである。また、次世代以降の科学者たちのために柔軟な教育基盤を築いていくのは私たちの担いでもあると信じている。

 学部生活を共に過ごした同胞の皆さんの将来に乾杯!そうして見守って下さった先生方に重ねて御礼申し上げます。

“Education is the capacity to confront the situations posed by life.”―「教育は人生の困難に立ち向かう容量である」
Henrik Ibsen

参考文献
  1. Feynman, Richard P. (1988) “What Do You Care What Other People Think?”. W. W. Norton & Company.
  2. Ridley, Matt (2003) Nature via Nurture. Harper Perennial.
  3. Kuhn, Thomas S. (1962) The Structure of Scientific Revolutions. University of Chicago Press.
  4. 立花隆(2000)『脳を鍛える 東大講義 人間の現在@』株式会社新潮社
Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received March 2, 2005.

©2005 筑波大学生物学類