つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200503YO.

特集:卒業

皆さんは、京都議定書の発効と共に卒業

小熊  譲(筑波大学 生命環境科学研究科)

 生物学を学んだ諸君は、生物学がますます発展してゆくであろう社会へ新たに旅立つ。そこで、諸君が生まれてから現在に至るまでのいくつかの大きな科学上の出来事を私なりに取り上げ、私見をまじえながら、皆さんへのお願いと期待を述べさせていただく。

チェルノブイリ原子炉爆発事故

 皆さんが生まれてまもなくの1986年4月26日、チェルノブイリの原子炉の大爆発があった。空中撮影による同じ映像が5月の連休中に何度も流され、白い煙が上がる原子炉を見て大変なことになると思った。しかし、近くの川で釣りをしている人の映像があったりして、これは何だ、と我が目を疑った。これは、爆発事故がたいしたことなく安全である、という一種の宣伝であったのではないかと思った。私が小学生の時(1954年)、ビキニ環礁で行われた水爆実験によって、第5福竜丸の乗組員が被曝し漁業にも大きな被害が出た。乗組員23人の多くが20代前半の若者だったが、今でも生存しているのは半数以下である。集団の遺伝的構成に影響を与える放射線の影響は重要である。担当する講義の関係もあり、チェルノブイリの事故による放射線の影響がNatureなどで報告されるたびにチェックした。人々に対する影響が全くないといった報告から、マウスにたいする染色体異常が見られたという報告まであった。放射線の影響は生体に取り込まれた放射性物質の種類や量や器官によって大きく異なるので、長期にわたる調査が必要である。このような事故の被害をなんとか小さく見せたいのが当事者の常なので、わからないことだらけだった。真実を伝えたいと願い行動した人々が多くいたことによって、真相を知ることができた。ビキニ諸島の住民の正確な被害も、かなり長い間知らされなかった。都合の悪い情報を隠蔽する政府の犠牲者は、自国民、他国民であることを問わない。原子炉爆発による放射性物質はヨーロッパへは直接的に、その他全世界へはジェット気流に乗り短期間に拡散した。この原発事故から、大きいように思える地球の「小ささ」を認識させられた。

ドリーの誕生

 皆さんの中学生時代(1996年)、ドリーが誕生したことを覚えていることだろう。その後、いろいろな有用哺乳動物を使ってのクローンの誕生が報告された。哺乳動物の成功率は今でも数パーセントとのこと。やはりクローン動物にはいろいろ生物学上の問題があるということがわかってきた。もちろんその問題を解決してゆくことに、生物学的な意味があるわけだが、この問題の中に生命の奥深さが秘められていることだけは間違いない。しかし、ヒトクローンの作製を好奇心と野心によってのみ試みる科学者が少なくないことも事実だ。

ヒトゲノム計画

 諸君が生物学類に入学された2001年に、ヒトゲノムの解析概要(ドラフト)が発表された。ヒトゲノム計画があることを知ったとき、私はその意義をはっきりと理解できなかった。あのジェームス・ワトソン博士でさえも計画に猛反対したとのことであるから、私がわからなかったのは当然、と妙に納得した。しばらくたって、これは大変と思い勉強し、授業でも積極的に取り上げた。今では多数の生物種でゲノムが解析されていることはご承知のとおりである。

土星の衛星タイタンはピーターパン

 大学生活最後の年(2004年〜2005年)に、土星の衛星タイタンに探査機が7年の歳月をかけて到着した。打ち上げられた時はその計画の目的を知って興奮したが、全く忘れたときの到着に、また驚いた。ちょっと先の知らないところへ車で行くのも危なっかしいのだから、私にとっては驚異と言わざるをえない。メタンに覆われたタイタンは誕生してから若いときに進化が止まった、ちょうどピーターパンのようであると形容されたが、地球生命の誕生の原始状態が保存されているのかもしれないという。これまで明らかにされている惑星の衛星に大気があることの発見と今回のタイタンの観測結果から、生命誕生の端緒について、今後の発表が楽しみである。

京都議定書の発効

 今年2月16日、京都議定書が採択から7年余を経て発効した。いろいろな障害が予想されるが、ともかく発効までこぎつけたといえる。この議定書のすばらしさは、地球の将来と人類の未来に対する、「生物学的根拠に基づく成果」にある。「生物の多様性に関する条約」(生物多様性条約)は政治的取引きの産物のような側面もあるが、科学的成果に基づく条約である、と言っていいだろう。生物多様性条約はすでに発効しているが、米国政府は京都議定書と共に、知的財産権などに問題があるとして、生物多様性条約も未だに批准していない。生物学、農学など広範囲の研究者がまとめた科学的成果に基づく提案を信用せず、実行しようとしない政府というのは、許されないと思う。さらに言えば、恥ずかしいことだ。我が国でもCO2削減目標を何とか先延ばしにするような画策や抜け道探しが行われようとしているようだが、経済界をはじめ見識のある人々は何とか実現できるようにと努力しているのも事実である。京都議定書と生物多様性条約は、地球規模の観点から人類の生存を正面から取り上げた記念碑的産物と言って良いだろう。

 ここで取り上げたほんの少しの出来事からも、皆さんは人類の進歩に対する輝かしい科学上の成果とともに負の遺産もある時代に成長してきた、と言えるだろう。

もう一度、「生物学を学んでいかに生きるか」

 私は皆さんが入学されたとき、「生物学を学んでいかに生きるか」を考えていただきたいと申し上げた。学問を進めるに当たって、好奇心は重要な動機である。しかし現代科学からの過剰な誘いに惑わされて、「いかに生きるか」を抜きにして学問をすることはひ弱である、と私は考えている。日々の授業や実験に追われ、遠くの大きなことを考える時間がなかったかもしれない。そういう人は卒業に当たってもう一度、考えてきた人はさらに深く、「生物学を学んでいかに生きるか」を考えていただきたい。

 京都議定書の精神は、日本国憲法の前文にある、「われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって……」に通ずる。議定書はまさにこの部分の体現である。また、生物多様性条約の前文に、「生物の多様性の著しい減少又は喪失のおそれがある場合には、科学的な確実性が十分にないことをもって、そのようなおそれを回避し又は最小にするための措置をとることを延期理由とすべきでないことに留意し」、とある。私たちは証拠を積み上げる過程で、科学という名において物事の蓋然性に基づく思考を排除することに馴らされている。不確実なことに基づいて行動することに躊躇しがちである。それ故、この条約にある文言は私たちの思考と行動に対する性癖への警鐘と考えられる。

 技術に助けられた生物学上の発見と知識の累積の早さは、私たちの想像を越えている。この早さに目を奪われると、「生物学の力」は強いように錯覚してしまうが、生物学はそのままでは、「強い学問」になれないと私は思う。しかし、人類の生存をかけての「真っ当な学問」であるなら、力を持つべきである。どうしたら「強い学問」になれるか、いろいろ考えを巡らせている。大部分の方々が大学院に進学されることだろう。しかし、熱心に仕事をいていれば2年間あるいは5年間は、あっという間に経ってしまう。また就職される方は、初めてのことを死にものぐるいで学ばなければならないだろう。どのみち忙しい毎日が待っている。少しの時間を割いて大きな視点から社会を見て、考えていただきたい。学位を取って就職したら考えればよい、などと安易に先延ばしにしないで欲しい。若い頭脳で柔軟に考え行動して欲しいと切に願う。

日常に埋没することなく

 筑波大学で医学博士号をこの春取得予定の中国人留学生(夫と子供を故国において留学)から、最近次のようなことを言われた。「日本はこのままやっていたら、世界から孤立する。」私たちの社会が、とても「内向き」になってきていることを常々気にしていたので、大変ショックだった。タイタニック号に自分が乗っていて、静かに沈み行くことに気付かず、船外からそのことを突然教えてもらったような錯覚を覚えた。彼女は若い人ばかりでなく、年輩の人も含めて、日本人に対してそのように発言したのであるが、私を含めて年寄りに付ける良い薬はないので、今は若い諸君に期待して、敢えてこれを記す。皆さんがこれから活躍するにあたり、自身の軸足をしっかりと地につけて大きな視野を持って生きてゆくにはどのようにしたらよいだろうか。もちろん、皆さん一人ひとりがその解答を求めて旅に出て欲しい。一つの解答として、京都議定書が発効されたことを記憶し、その意義を確かめつつ、実行に向けて個人のレベルでも努力する、ということを勧めたい。これは諸君がどのような分野で活躍しようとも、多くの人々と人類共通の認識に立てる基盤となるからである。さらに大きな独自の視点を得る糸口にもなることだろう。生物学の研究者になろうとしている人はもとより、どのような分野に身を置こうとも、京都議定書と生物多様性条約の精神は日本国憲法にも通じ、これからの「地球人」として活躍してゆく際の基盤になると私は確信している。

 生物学を学び、新しい世界へ旅立つ諸君へのお願いと期待を込めて、私の餞の言葉とさせていただく。

Contributed by Yuzuru Oguma, Received March 23, 2005.

©2005 筑波大学生物学類