つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200504HW.

特集:入学

生物を研究する

和田  洋(筑波大学 生命環境科学研究科)

 新入生の皆さん入学おめでとうございます。若くてエネルギッシュな皆さんを見ていると我々も元気になれます。

 つい先日、いろいろと資料などをそろえたいと思って東京神田の古本屋街に足を運びました。学生の時に読みたいなあと思いながら、財布と時間と相談してあきらめていた本がたくさん陳列してあり、懐かしくなって思わず両手がふさがるくらい買ってしまいました。生物学を勉強した卒業生が処分していったのでしょうか。大学院に入って研究にどっぷりつかってしまうと、悲しいけれど自分の研究に関連した文献だけでも膨大な量になり、なかなかじっくり本を読む時間をとることができませんでした。社会の中での自分の研究、あるいは興味がどう位置づけられるかをゆっくり考える時間もなかなかとれずにきました。もう一度学生時分に考えていたことを追体験できたらいいなあと思いながら、財布のひもをゆるめました。

 おそらく誰にとっても学生の4年間は、その後の将来の方向付けをするもっとも大事な時期の一つではないでしょうか。自由な時間を謳歌して、充実した4年間を過ごしてほしいと思います。最近は3年間で卒業をする人も少なからずいるようですが、僕なんかはこんなにいい時間を短く終わってしまうなんてもったいないとすら思えます。

 今振り返ると、学生生活の中では、友人と過ごしたり、サークルの活動などを通していろんな経験ができたことはかけがえのないものだったのですが、何も予定入れずに一人で静かに本を読んだりしながら過ごした時間も、学生時代の大切な一コマだったと思います。自分はこれから何をやるのか、やりたいのか、よく考えました。そして、文系に変わって政治学を勉強したいとか、ガンの研究など人の役に立てるような研究をしたいとか考えつつも、結局基礎的な研究をすることに落ち着いていきました。飽食の時代とも言われるなかで、科学技術の発展をすべて是認してよいのかとも思え、むしろ心が豊かになるようなおもしろい研究を発信することの方が、価値があるかもしれないと思いました。僕は司馬遼太郎の小説が好きでした。今でも読むたびに、抑制された口調で紡ぎ出される物語に引き込まれます。彼が紡ぎ出すような物語をサイエンスの物語として自分も発信できたらどんなにすごいだろうと思いました。

 基礎研究を志したもう一つの理由は、生物学を研究する上での興味の核になるようなものを見つけることができたからだと思います。僕にとって生物学の最大のテーマは、生命がどこまで物理学的な現象として記述できるかという問題に集約していきました。宗教と科学の対立とか生気論と物質還元主義との対立とか、最初は通俗的な本に影響されていましたが、「生命の出現と分子選択」(S. フォックス著・東京図書)という本との出会いが決定的だったように思います。昔の人が生気論を展開したくなるような生命の不思議な力、あるいは自分に置き換えてみると、「自分の意志」が、どこまで物理学的な現象に還元できるか見極めたいと思いました。自分の意志に関して言えば、「物理学でわかられてたまるか」、なんていう気分もありました。これは「生命」とはどう定義できるかという問題でもあります。

 ただ、この興味は実際の生物学とはなかなか接点が見いだせず、大学で教えてもらう生物学はあまりまじめに勉強しませんでした。僕は小さいときから生き物が好きだったというわけでもなく、虫捕りするくらいならむしろ野球をやっていたかったという子供だったので、いろんな動植物をスケッチするなんてのは、なかなか好きになれませんでした。何よりもスケッチが下手でした。今だから弁解できますが、見ていないわけではなく、見たものを絵で表現できなかったのだと思います。ですが、ある実習を通して僕の興味と生物学の接点が見つかりました。ヒトデの卵を実習で見せてもらったときに初めて、僕の考えていた生命の神秘が手の届くところに現れました。顕微鏡で覗かないと見えない小さな卵ですが、視野の中で20個くらい入っていた受精卵がほぼ同時に分裂し、丸い細胞でしかなかったものがダイナミックに姿を変え、やがては泳ぎだしていく様子に生命の力を感じました。この現象を分子の言葉で理解しようとする発生学こそ、自分の知りたいことに答えてくれる学問だと思えました。以来、発生学を志して勉強し始めました。一度そういう体験をすると講義はとても魅力的になりました。ちょうどホメオボックスの発見を時期的に重なっており、リアルタイムで発生現象が分子レベルで解き明かされている過程を聞くことができました。ただ、幸か不幸か、講義を聴いているうちに、不覚にも発生生物学における基本的な問題はすでに解けてしまったのではないかと思ってしまったのです。今考えるとまだまだ解かないといけない問題はあるのですが、当時の浅薄だった自分はそう思ってしまいました。

 そのような中で僕の恩師である佐藤矩行教授との出会いがありました。佐藤さんは発生を比較する中から形態進化を調べようという研究が今から花開こうとしているという話を講義の中でしてくれました。その5〜10年後くらいにかけて進化発生学という学問が、新しい雑誌が3誌も出版されるなど、大きく花開いたことからも絶妙のタイミングだったといえるでしょう。発生学は、動物の発生がこれほどまでに精巧にできているということを教えてくれました。しかし、一方で進化は精巧にプログラムされたように見える個体の発生を、あえて改変していく中から生じます。個体発生を改変しながら環境に適応してきた進化の歴史こそ、生命のもっとダイナミックで生命らしい姿が見えるところだと思いました。

 それからは大学院の入試に向けて一生懸命勉強しました。大学の最初の2?3年間はろくに勉強しなかっただけに、ここからはがんばりました。そして大学院入試も近づいた夏のある日、日経サイエンス誌(当時は単にサイエンスという名前だったかもしれないが記憶が定かでない)に、ホメオボックス遺伝子の比較から動物の体の進化がこんなにわかってきた、という総説が掲載されました。まさに自分のやりたいと思った研究がそこで紹介されていました。でも、その研究をやろうとすればまず目の前の入試に合格しなければなりません。大げさですが、初めて自分が人生の岐路に立っていることを感じました。このとき初めてストレスから来る胃痛というのを経験しました。

 何とか大学院入試を乗り切って、研究らしいものを始めることができましたが、当然研究なんてそんなに簡単に進むものではないです。技術的にも未熟ですし、同じ実験をやっているつもりでもなかなか結果が安定しない、再現性がない。結果が出てしまえば簡単なものでも、その結果にたどり着くまでに最適な条件を探して試行錯誤を繰り返します。時には数ヶ月かかっていろいろ試した結果あきらめざるを得ないなんてこともあります。どちらかというとつらい日の方が多いです。そんなことが続いて心がすさんだ中で実験をしていると、生物に自分のほしい結果を無理矢理出させようとしている自分に気づくことがあります。実験というのは、丁寧に生物に問いかけていくことで、生物の心を開き、たとえば僕の研究ならその進化の歴史について教えてもらおうとする試みのはずです。でも時にふと気づくと、実験を通して生物をひっぱたいている自分に気づくことがあります。そんなときはスティーブン・J・グールドのエッセイを読むと落ち着いたりしました。自分の研究を少し離れたところから、たとえば文化の中の生物学という視点から見直すことができ、自分がいかに小さなことにとらわれていたかに気づかされます。

 研究の醍醐味はやっぱり論文を発表することでしょう。世界に向かって論文が自分の顔となって発信されます。自分の成果を誰かが引用してくれると、科学の小さな一歩だけど、自分が確かに科学の進歩に貢献したと感じることができます。教科書で取り上げてもらうことだってあります。そうすると世界の大学生が、自分の研究成果について考えてくれたりするわけです。そんなことを経験すると、もっとおもしろい情報を発信したくなります。データが煮詰まってくると、どういう論文に仕上げて、魅力のある論文に仕上げようか、さらにここからどう発展させようかと考えるようになります。不思議なことに、いいアイデアがでるのは朝研究室に向かう途中の橋の上だったり、寝ているときだったりします。イントロダクションの最初の1フレーズが、眠っているはずの夜中の4時くらいにふと思いついて、その後興奮して眠れなくなって、レポート用紙に論文の草稿を書き殴ったり、なんてこともありました。普段はできるだけ心静かに生物に問いかけないといけないのですが、こんな時はわくわくして仕方がありません。多くの人はデータがでたときに一番わくわくするのかもしれませんが、僕はどちらかというと、データがどういうことを語っているのかに気づいたときとか、こういう見方からデータを紹介することもできると気づいたときの方がわくわくします。そのときに無機的なデータが物語になるからかもしれません。研究って本当はエンターテインメントだと思います。特に基礎研究は、その成果をおもしろいと思ってもらうことが何より大切です。ヒトは物語が好きです。研究成果を魅力的な物語として発信していくことは、研究者の使命であると同時に、醍醐味だと思います。その物語が、どこかで誰かが静かな夜を過ごす時に選んでくれる本となり、その人がその日いい気分で眠りにつけたら、すてきだと思います。いつかそんな物語を紡いでみたいと思いますが、僕はまだまだ発展途上です。

Contributed by Hiroshi Wada, Received April 25, 2005.

©2005 筑波大学生物学類