つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200504JH.

生物学類長の任期を終えて

林  純一(筑波大学 生命環境科学研究科、第二学群長)

 この3月で3年間の生物学類長の任期を終えた。この期間はまさに大学全体の激動の時期で、特に昨年度から国立大学法人となり、あらゆる活動に対して社会への説明責任が発生しそれが評価されるようになった。第三者機関による学類や大学の格付けも行われ、もはや法人化の是非ではなく法人化したことによるアドバンテージをいかに活用すべきかを議論するステージに突入している。この局面で学類組織として最も大切なことは、社会から高く評価されるだけでなく在学生や卒業生からも評価されることなのではないかと筆者は考え(1)、そのための教育改革について生物学類教員会議を中心に議論しながらいくつかの取り組みを実行に移した。

 幸いなことに生物学類は組織的に学系や大学院の専攻と構成員がほぼ同等であるだけでなく、生物学類生の学内大学院への進学率が極めて高いため、実質的な6年一貫教育が可能である。そこで、関連組織とりわけ大学院とうまく協調することで、教育改革に関するさまざまな実験(試行錯誤)をしてきた。

1 生物学類が主体で行いつつある改革

1-1:生物学類オンライン月刊誌、「つくば生物ジャーナル」の創刊

 筑波大学の建学の理念は「社会に開かれた大学」である。生物学類はこの理念を学類レベルで実現するため、社会との双方向情報交換情報公開の媒体としてオンライン月刊誌「つくば生物ジャーナル」を2002年9月に創刊した(2)。このような学類レベルのジャーナルは、他に例を見ない極めて独創的な取り組みであるとして新聞でも取り上げられた(3)。つくば生物ジャーナルの生命線は、生物学類生、卒業生、退職教官からの投稿と、きちんとした査読である。膨大な数に及ぶ卒業生そして退職教官の方々は私たちの貴重な知的財産であり、このジャーナルを絆にして彼らが持つゆるぎない伝統の重みを存分に活用することで、現在のスタッフの限界を遙かに超えた力が生まれようとしている。

1-2:「TWINS(4)による授業評価」とその公表制度の導入

 「TWINSによる授業評価」に関しては、大学全体で導入される前に生物学類はすでに教員会議で十分な議論をし、合意を得た上で実施にふみきった。さらに「つくば生物ジャーナル」による評価結果の一般公表も激論の末実施された(5)。その経緯と意義についてはすでに本誌(6)でも詳細を述べているので参照されたい。TWINSによる電子回答の魅力はその高い匿名性により、受講生から忌憚のない意見が聞けるという点である。また一般公表を前提とすることで生物学類生の授業参加意識の向上だけでなく、生物学類授業担当教官の授業改善(ファカルティー・ディベロップメント:FD)も期待できる。むしろFDのため、最も有効で最も手間がかからない手法が授業評価と結果の公開で、現在までのところ多くの生物学類生から歓迎されている。

1-3:時限付き学際カリキュラムの導入

 近年、生物学分野は爆発的な進展を遂げており、生物学がカバーすべき分野として、従来の伝統的学問体系に加えさまざまな学際領域がどんどん誕生しつつある。このようにめまぐるしく変遷する世の中のニーズに臨機応変に応えるためには「時限付きの学際カリキュラムコース」新設による対応が有効であると考え、生物学類の予算要求の際に執行部に提案した。要点としては生物学類の授業科目の一部と、関連学類の授業科目の一部を選択し、両学類の授業科目でカバーできない学際新領域を、まさにその分野の専門家に非常勤講師として授業をお願いする制度である。5年ごとに評価を受け、発展性が期待できる場合は、「時限」を取り外して固定化し定員を移すことも検討する。必要ない場合は新たな時代に即した別の新しい学際カリキュラムと入れ替えるというのが骨子である。この制度は既存のカリキュラムの運用上の工夫と非常勤講師でカバーできるので、従来の固定カリキュラムにない「簡便で臨機応変な柔軟性と速効性」を持たせることができるため、さまざまな「試行錯誤」が可能になるという大きな利点を持っている。

 その一例として「サイエンスライター育成コース(仮称)」があげられる。生物学の領域では必ずしも爆発的な進展を見せている最先端の情報が適切に報じられないケースが多く、サイエンスライター育成に対する社会的ニーズがさけばれており、生物学類卒業生からも「つくば生物ジャーナル」に魅力ある提案が寄せられた(7)。そこで本学際コース新設の有用性を調査するため、本年度は夏休みに大学院と共同で生物学類生や大学院生を対象として、この分野の専門家(生物学類卒業生を含む)の講演会と懇談会を予定している(生物学類 HP:http://www.biol.tsukuba.ac.jpで閲覧可能)。

2 生命環境科学研究科との連携で行いつつある改革

2-1:終身雇用制からテニュア制へ

 生物学類教育に対する学生の満足度を高めるための対策の一つとして、上記のように「TWINSによる授業評価」とその公表制度を導入し、受講生との意志疎通がはかられた授業を提供する努力は必要である。しかしそれ以上に重要なことは、いかにしてクオリティーの高い卒業研究課題をわれわれが提供できるかという点である(6)。そのためには優れた研究を展開できる教員を採用し育成するシステム作りがポイントとなる。しかし、教職員の終身雇用制度はわれわれから緊張感を奪っているように思える。また仕事をしようがしまいが給与は変わらないというまさに「平等悪」がはびこり、その結果、片足をぬるま湯に、片足を棺桶につっこんだ毎日を送っていても決して解雇されることはない。これらは、民間が味わっている生存競争と緊張感からわれわれを遠ざけ、これまでの組織はまるで「生きた化石」のように長い間進化をやめていたようにも思える。これは学生にとってはもちろん、われわれ自身にとっても不幸なことではないだろうか。

 諸悪の根元はおそらく終身雇用制なのだろう。任期制を採用したTARAセンターの成功を目の当たりにするとそう思わざるを得ない。ただし、このことを議論する前に、なぜ「いったん採用されたらよほどの問題を犯さない限り定年まで解雇されることはない」という終身雇用制度を英知ある先人たちが確立したのかを理解しておく必要がある。この制度の神髄は研究の自由、とりわけ基礎研究の自由を保障することであり、長期間かけて歴史に残る基礎研究を展開するために必要不可欠であることはいうまでもない。しかし、それだけでは何もしていない人間と、将来評価される基礎研究を地道に展開しながらまだ具体的な成果が得られていない人間の区別がなかなかできないことになる。そしてそのことが隠れ蓑になって、緊張感を失い何もしていない人間の巣窟を作ってしまったのも事実である。この制度は本来そういう人間をつくったり守ったりするためのルールではなかったはずである。

 このように考えると、無条件の終身雇用制にかわる何らかのより健全な制度、例えばテニュア制(5年程度の仮採用後に評価を受けた上で終身雇用として再任するかどうかを改めて判断する制度)のような条件付き終身雇用制の導入は考慮されて当然ではないか。ただし、再任の可否を決定するための評価の客観性をいかにして確立するのか、可否の線引きをどうするのかという点は極めて難しい問題である。情緒と感情が評価に入る余地が決してあってはならないことは言うまでもない。これらの問題を解決するために、生命環境科学研究科の構造生物科学専攻と情報生物科学専攻では下田臨海実験センターや菅平高原実験センター勤務の教員を含め生物学類担当教員を新たに採用する際は、採用時に再任の可否の基準を当該者自身が決め、それが達成できない場合は再任されないというルールをつくった。つまり5年間で達成する研究業績目標(例えば論文数とそれぞれの論文が掲載された雑誌の引用率の合計数など)を候補者にあらかじめ出してもらい、選考の際、目標が高い候補を高く評価する(もちろんそれがすべてではない)。そしてその候補者が採用された場合、自分で出した目標を達成できなければ自己責任で再任されない。このルールは、新しく採用された教員をむしろエンカレッジすることが目的である。現在、きちんとしたルール作りを執行部と協議中であるが、すでに紳士協定で新任の講師からこのテニュア制の適用を開始しており、他の教員にも意識改革の兆しがみられている。

 法人化後さまざまな取組が行われているが、人材はほとんど変わらないままである。国立大学時代の価値観を長時間に渡りたっぷり刷り込まれた人材が、これらの取組に迅速に対応できるとは思えない。もちろんわれわれが始めようとしているテニュア制の成果もすぐには期待できないが、テニュア制の洗礼を受けた人材がリーダーシップをとる時代が来れば、法人化による実質的な変身が実現できるのではないだろうか。

2-2:スクールカウンセリングの充実

 われわれが仕事を遂行していく上で緊張感は必要だと述べたが、誰しもこの緊張感が逆に過なストレスとなり精神的療養を必要とする場合が起こり得る。そしてこの問題は何も教職員にだけではなく、学類生や大学院生にもあてはまる。これまで生物学類では、新入生のオリエンテーションで「何かあったときは保健管理センターを受診するように」と指導するだけであった。その後は、個人のプライバシー保護のためクラス担任や学類長といえども当事者の状況は当事者本人から聞くしかなかった。

 この「保健管理センター丸投げ」システムは、われわれにとって楽ではあるが、決して良い方法とは思えない。場合によっては(もちろん本人が望めばであるあるが)プライバシーに介入し、症状や個性に応じた近隣の専門医をクラス担任や研究指導教員と一緒に受診し、常に主治医との間で情報交換し、その情報を何らかの形で蓄積し次の世代の人たちが活用できるようなシステム作りを目指す時期に来ていると思う。しかし、この問題は保健管理センターとの協調が必要で、われわれだけで解決できる問題ではなく、また全学的な問題でもあるので是非執行部に「血の通った」対応をお願いしたい。

 大学院前期課程の生物科学専攻と生物学類では、今年度から保健管理センターにお願いして新入生のオリエンテーションやフレッシュマンセミナーに専門の講師を派遣してもらい、「転ばぬ先の杖」として、さまざまな精神的な疾患とそれに対する対応策を講義してもらうことにした。場合によっては新入生に限らず、2-4年生、大学院生、教職員の参加も考えているところである。筆者は生物学類長在職期間中に数こそ少ないが何名かの学生とこのような問題で面接する機会があった。彼らの一部は退学に追い込まれ、そこに至るまでに何の助けにもならない自分の無知無力に対するいらだちだけが残った。

 この問題は、法人化によって民間の価値観が導入され、常に改革へ向けて前進することを考えなければならない宿命を背負った組織としては、できれば大げさに扱いたくない暗い部分でもある。しかしこの問題をないがしろにして馬車ウマのごとく改革に突き進むのはとても空しいことではないだろうか。どのような組織でも一部の構成員が本人の望みとは裏腹に精神的な病に陥る場合が少なからずある。にもかかわらず、彼らに対する適切な対応システムの構築が遅れている現実をわれわれは無視すべきではない。

2-3:アウトソーシング

@教養ではなくスキルのアウトソーシング

 生物学類は大学院と共同で英語教育の一部をさまざまな形でアウトソーシングした。生物学類生と生命環境科学研究科の大学院生の有志が大幅に割り引かれた実費を払ってこの取組に参加しており、おおむね良好な成果をあげつつある(8)。そして新たに生物学類の「筑波スタンダード」としてTOEIC/TOEFLスコア70%を中期目標とした。外国語センターは教養としての英語教育を実施しており、この取組を否定するつもりは毛頭ない。しかし、口だけでなく本気になって国際A級大学を目指すのであれば、国際的に通用する英会話のスキルが「道具」として必要になってくる。この部分を外国語センターに依頼するのは余りにも酷である。現在は有志として受講生を募り、費用は受益者負担で、もちろん単位も出ないが、今回の取り組みのレビューをきちんとした上でいずれより有効なシステムを構築したいと考えている。

Aスキルではなく教養のアウトソーシング(退職教官=教養教育のための魅力的な知的財産)

 昨年度から「人生の達人が語る生物学のススメ―今甦る幻の名講義―」というタイトルで現役当時、生物学類担当教官として受講生から人気があり、現在は退職された方々を非常勤講師として総合科目の一部を担当していただいている。彼らの講義を通して新入生諸君に熱いメッセージをお願いし、長年の経験に裏打ちされた重厚で強烈な個性を存分に味わってもらうこととした。その結果、昨年度の受講生からは極めて高い評価を得ることができ(5,9)、今年度も実施する予定である。

 21世紀は生物学の時代といわれ、この分野の爆発的な進展に生物学類教育は臨機応変な対応が常に要求される。佐藤忍 新生物学類長の元、新しい発想で更なる生物学類教育の発展を心から祈っている。

参考文献
  1. 林 純一 生物学類カリキュラム委員長の任期を終えて 筑波フォーラム 62:102-104, 2002
  2. 林 純一 つくば生物ジャーナル、Tsukuba Journal of Biology創刊の経緯 つくば生物ジャーナル 1:2-3, 2002
  3. 読売新聞茨城版記事 2003年1月23日
  4. 宇都宮公訓 TWINSの主役 筑波フォーラム 69:131-133, 2005
  5. 特集:平成15年度生物学類授業評価結果公開 つくば生物ジャーナル 3:320-472, 2004
  6. 林 純一 教育改革の実験:「つくば生物ジャーナル」による生物学類授業評価の完全公開 筑波フォーラム 66:41-45, 2004
  7. ストーン(吉田)睦美 筑波で科学ジャーナリストの培養を! つくば生物ジャーナル 3:TJB200412MS
  8. 白岩善博 生物系大学院生のための英語コミュニケーション能力のステップアップ戦略 筑波フォーラム 68:60-64, 2004
  9. 筑波大学新聞第238号記事、2004年6月7日

この原稿は「筑波フォーラム」に「生物学類の新たな挑戦」というタイトルで掲載されたものを一部改変したものである。

Contributed by Jun-Ichi Hayashi, Received April 13, 2005.

©2005 筑波大学生物学類