つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2005) 4: TJB200504YS.

特集:入学

大学に入ったけれど...

齊藤 康典(筑波大学 生命環境科学研究科)

 新入生の皆さん、生物学類入学おめでとうございます。皆さんは、この大学で何を学びたいのか既に決まっていますか。大学に入ったけれど、何をやったらよいか分からないという人いますか。もし、そういう人がいても、焦らなくて大丈夫です。時間はたっぷりあります。ここでは、皆さんの役には立ちそうもありませんが、私がどのようにしてやりたい事に到達したか、そして、その過程で学んだ事をお話ししましょう。

 私が大学に入学したのは、大学紛争の嵐が吹き荒れた時代の1969年4月のことです。別に、どこそこ大学の何学部で何の勉強をしようなどとは考えもせず、ただ漠然と、高校で化学が得意だったのと、化学実験がとても好きだったので、実家から近い大学の理学部に進学しました。ところが、大学の化学の授業は、いきなり「シュレディンガーの方程式」で始まり、微分・積分、果ては三角関数まで出てきて、高校の化学とは似てもにつかなかったのです。そこで、化学とはこういうことから始めなければできないのかと思い、自分のやりたい事はもっと別にあるのではないかと、大学でのやりたい事や進路について考え始めました。

 その時、幸運だったのは、その大学が教養課程2年間を終えるまでに進学する学科(数学科、物理学科、化学科、生物学科、地球科学科)を決めるシステムだったことと、さらに、大学紛争のあおりで、入学して一ヶ月も経たないゴールデンウィーク前後から、ほとんどの授業が1年近くも休講になり、やりたい事を考える自由な時間がたっぷりあったことです。最初のうちは、休講でラッキーとばかりに、友達と麻雀ばかりやっていましたが、1ヶ月もすると、さすがに遊び飽きたのと、遊んでいることに対する良心の呵責もあって、科学に関する色んな本を読み始めました。さらに、大学祭の実行委員にもなって、多くの先輩達と話ができる機会を得たことが、自分のやりたい事や進路を決める上で非常に役立ちました。

 なかでも、先輩に紹介されたオパーリンの「地球上における生命の起源」で提唱された化学進化説が、私にとって非常に新鮮なものでした。私は、生物が化学反応そのものであり、つまり、生命現象は化学反応で全て説明できるという可能性を信じ、是非こういう研究をやりたいと思いました(これが非常に短絡的な考えであったことは言うまでもないのですが)。むろん、化学科でもこういう研究はできたのでしょうが、最初に受けた化学の授業がトラウマになっていたようで、生物学科に進学することにしました。当時、理学部の生物学科は企業からの求人がほとんどなく、中学・高校の先生になるか大学院に残るしかないと言うような悪い就職状況でしたが、「なるようになるさ」とやりたい事を優先させました。結局そのような大それた研究はできませんでしたが、卒業研究でも化学反応にこだわり、当時生物学では主流になり始めた生化学の手法を用い「無脊椎動物の乳酸脱水素酵素の精製とその化学的性質の調査」をテーマに、ザリガニやウニなど無脊椎動物の組織から酵素を取り出して、アイソザイムの存在や触媒としての反応速度などの性質を調べました。

 さて、皆さんの中には、まだ入学したばかりで、生物の何がおもしろいのか、どんなことを知りたいのかも分からない人が多いと思います。ひょっとすると昔の私のように生物学自体が本当に学びたいことなのかどうかも分からない人も居るかもしれません。私の場合と違って、皆さんの場合は専攻が生物学とすでに決まっており、大学紛争なども起きそうもありませんので、ゆっくり考える時間など無いと言われるかもしれませんが、そんなに焦ることはありません。自分の進路について常に考えていれば、大学で体験することや見聞きすることから、やりたい事が見つかってくるものです。やりたい事が見つかったら、そこで進路を修正すれば良いのです。長い人生ですから、回り道の一度や二度経験する方がかえって充実した人生になるかもしれません。私は、現在、生物の大学教員におさまっていますが、これまでに二度・三度と進路を変えています。

 いずれにしても、何をやりたいか見つけるためには、頭の中で考えているだけではいけません。実際に体験することが必要です。皆さんは、とりあえず、筑波大学の生物学類に入ったのですから、生物学の中に自分のやりたい事、知りたい事があるのかを検証しなければなりません。そのために、講義を聴いたり、本を読んだり、先輩の話を聞いたりすることも勿論必要ですが、私が一番お勧めするのは、自然の中に入っていって、動植物をじっくり観察することです。第二学群と第三学群の間を流れる人工の川の中を見るだけでも、色んな生物がいます。キャンパスの中には池や林や草原もあり、ここにも多くの生物が生きています。また、下田臨海実験センターや菅平高原実験センターまで出かければ、海の生物や高原の生物に触れることができます。自然の中で生物を観察し、生物に触れることで、生物そのものに対する興味や、生物達が示す多様な生命現象、或いは生物達が作り出す自然環境に興味を持つようなことがあれば、自分のやりたい事は、おのずと見つかるのではないでしょうか。

 私が、伊豆半島の先端にある下田臨海実験センターで、30年近く研究することになったのも、海の自然に触れたことがきっかけです。私は、海の無い岐阜県出身で、小学校の時に海水浴には行ったことがありますが、海に対して何か怖いイメージを持っていました。しかし、大学で臨海実習に出かけたのが、海の生物に興味を抱くきっかけとなり、それ以来漠然と海へのあこがれが募っていました。大学卒業後、一旦就職したものの、今度は物質としての生物でなく生きている生物について勉強がしたくなり、当時の東京教育大学大学院理学研究科動物学専攻の渡辺浩先生(筑波大学名誉教授)のもとに入学しました。しかし、具体的に何をやりたいのかも決まっておらず、ただ海の動物を使いたいという願望だけで入学しました。

 ところが、渡辺先生は、下田臨海実験センター(当時は下田臨海実験所)で、そんな私に、「毎日干潮になったら磯に行き、そこで見つけた動物を採集してきなさい。」という指示だけされました。そこで潮汐表で干潮の時刻を調べて、毎日バケツ、磯ガネそしてカミソリを持ち、いそいそと磯に出かけていました。磯から帰ると先輩達が私の獲物を見て、これはバフンウニ、それはマツバガイ、それはミズヒキゴカイ、それはイタボヤ等々動物たちの名前を教えてくれました。おかげで、2ヶ月もすると、私は非常に多くの磯の動物を知るようになり、また、湾内のどの磯に行けば、どういう動物を見つけることができるのかもわかるようになりました。さらに、磯での動物観察から、こんなおもしろいことがあるのかとか、こんな不思議なこともあるのかなど、知りたいと思うことがいっぱい見つかってきました。渡辺先生のねらいは、まさに、偉大な動物学者アガシー博士の言う「Study Nature, Not Books」の実践だったのです。私は、この磯観察から、磯の岩や石の上に付着する群体性動物の自己・非自己認識という現象に興味を持ち、認識のメカニズム及びそのメカニズムの進化について、さらに、その認識能の生物学的意義について研究を進めることになり、現在に至っております。

 私のように、先に漠然と進路を決めてしまってから、やりたい事を探すような生き方は、回り道の回数が増えてあまりお勧めできませんが、私にとって。それなりに楽しい回り道でもありました。皆さんには、生物の世界でやりたい事が見つかることを祈りますが、中には、生物の世界からは、本当にやりたい事が見つからない人もあるでしょう。いずれにしても、一度しかない人生です、色んなことを体験して、じっくり考えて、自分のやりたい事を見つけて下さい。皆さんには、時間は十分ありますから。

Contributed by Yasunori Saito, Received April 25, 2005.

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