つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200604YT.

特集:入学

「徳永レポート」事始め

徳永 幸彦 (筑波大学 生命環境科学研究科)

1. はじめに

 「徳永レポート」という名前が、何時の間にか学生の間に定着している。一年生にとって、大学での学問が何であるかを味わう最初の試練になっているらしい。現行の「徳永レポート」実験は、次のようなプロセスで行われる。

1. 10問ほどの設問が用意される。これらの設問の中には、一見生物学とはまったく関係の無いと思われるものも含まれている。また、幾つかの問題は相互に強く関連しあっている。

2. 7〜8人のリーダーが立候補し、それぞれ担当する設問を選ぶ。

3. リーダー以外の学生は、テーマそのもの、あるいはリーダーの資質に応じて自分の属するグループを選ぶ。

4. リーダーの指示のもと、各グループは与えられた設問を「生物学」として咀嚼し、個人個人がレポートを作成し、1週間後に提出する。

5. レポート作成を進める中で、リーダーの乗っ取りや、他のグループの設問を乗っ取ってしまうことも可能となっている。

6. レポートは提出(50点)、形式(10点)、論理(10点)、数理(10点)、引用(10点)、創意(20点)という基準で採点される。採点は徳永と、担当TAの平均値で決まる。

7. 採点結果は基本的に全員分が全員に対して公開される。

 毎年、レポート提出のころになると、「徳永レポート」に関する賛否両論が学生の中で巻き起こっているらしい。しかし、現在の「徳永レポート」は、先輩達の味わって来たそれとは、比べものにならないくらい、与しやすいものなのである。

2. 「徳永レポート」誕生

 1990年始め、助手になったばかりの私は、1学期の基礎生物学実験の「身近な生物」の担当を言い渡された。何をすればいいのか、当時の基礎生物学実験担当の教官(U先生だったと思う...)に問うたところ、「自分の分野のお好きなものをおやり下さい」と言われてしまった。実験の手引書の生態学関連の部分を見ると、コドラートを張って植物群集の調査をやったり、ライントランセクト法で動物の個体数推定を行うような項目になっていた。しかし、これじゃあ高校の生物読本にも紹介されている内容であり、入学したての学生達が「大学の授業って面白い!」と思うかどうか、いささか疑問だった。

 当時の生物学類には、入学当初から伝説を残す学生が、数年に1度、1人、あるいは複数人現れていた。伝説を残さないまでも、「チョウチョだったらまかせとけ!」とか「淡水魚だったら淵から見るだけで種が言い当てられる」といった、ミニ博士と呼ばれる学生達がいた。ならばこれらのミニ博士達をリーダーに仕立て挙げれば、徳永自身の持つ生物学の能力以上の実験・実習が可能にな
ると考えた。これが「徳永レポート」におけるリーダーの元祖である。つまり初期の「徳永レポート」のテーマはリーダー達が自分で決めていたのである。

 ミニ博士達は多くの場合目立ちたがり家で、毎年、2〜3人はミニ博士が名乗りを挙げ、基礎実験でテーマを提供してくれ、重要なリーダー役を果たしてくれた。また、ミニ博士ではないものの、生まれながらのリーダー役という者もいて、これらの学生達は、実験計画を周到にすることによって、足りない博学を補いつつ、十分にリーダーの役割りを果たしてくれた。もちろん、全ての学生がこれらリーダーの素質を持つわけでは無いが、中には補佐役こそが本領発揮と、グループの1構成員に敢えて甘んじることによって、むしろグループへの貢献をしている学生もいた。

 最初のころのテーマの中でも思い出に残っているのは、「ムクドリの気持ちになる」である。基礎生物学実験を担当する頃は、ちょうどムクドリが非繁殖期の群れ行動から繁殖期の番行動に移行する時期にあたり、ムクドリ達は雛のための餌集めに追われていた。そんなムクドリ達を追いかけながら、現在の遺伝子実験センターの建設予定地の上で、学生達は腹這いになって、ムクドリが舞い降りて摘んでいる餌を同定していた。ある学生はムクドリが摘んでいた芋虫や毛虫を採集し、きれいに種類や大きさ順に厚紙に並べ、元村の公式宜しく、多様性の尺度を計算していた。

 「蜜蜂は何を食べているのか?」というテーマは、全て女性で構成されたグループが、これまた生物農林学系棟裏で飼われている蜜蜂の働きバチを捕まえて、その花粉篭に含まれている花粉を顕微鏡で見て、その花粉の主である花種類を、第2学群棟周辺を駆けずりまわりながら同定するというものであった。花粉分析は花粉を同定するセンスと、それがどこにあるのかを推測する、探偵のような推理力が必要になってくる。そしてリーダーの指示のもと、大多数の花粉篭から発見される花粉が、ニセアカシアであることを見事に明らかにした。

3. 「徳永レポート」の変遷

 やがてこのような基礎生物学実験は成立しなくなった。リーダーとして立つことができるほどのミニ博士が、まったく見受けられなくなってしまったからである。虫を捕まえることもできず、鳥の名前も知らず、花の名前も知らない、そんな学生達を相手に、大学構内を縦横無尽に走り回る実習・実験は、担当教官側の負担が大きくなりすぎていた。私自身、生物学類に入った当時は物理・化学しか勉強しておらず、鳥で知っているのはスズメとカラスくらいで、それらが実はさらに複数種に分類分けされているということ知ったのは、大学生になってからであった。しかし、80余名もの生物学を志して入学した学生の中に、〜博士たる生き物好きが居ないという現実には、正直驚愕せざるを得なかった。

 しかし、愚痴を言っていても仕方がないので、私は180度方針転換し、設問は全て私が出し、ミニ博士云々は度外視にして、各設問にリーダーを募集する形式にした。私は敢えて、数学的表現を多用した設問を出した。中には専門の大学院生でも何を意味しているか分からないだろうというような設問も用意した。そうする事によって、大学に入ったばかりのより柔軟な頭の中から、こちらが思いもよらないような解法や答えが出てくるのではないかと期待したからである。ここ数年の設問は私だけではなく、手伝ってくれるTAの学生達が作成した設問も混じるようにしてある。TA達もかつて私の、あるいは先輩達の設問に悩まされた経験を持つ。そのような先輩と後輩の力比べが見れるようにしつらえてあるわけである。

4. おわりに

 SMAPの歌う「世界に1つだけの花」が流行ったことがある。私はこの歌が嫌いである。特に、

「一つとして同じものはないから
No.1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one」

で終わる件は最悪である。数年前の徳永レポートに、「大学に来て、やっと競争から解放されたと思ったら、また競争をさせようとしている先生はおかしい」といった内容のことが書かれていたことがある。人間の能力には違いがあり、みんなが平等で居られるはずがない。例えば、「○●□均等法」の「均等」とは、○と●をまったく同列に扱うという意味ではなく、●が○に比べて本質的にある能力で劣るならば、その劣った度合を補完する位の□価値が●にある場合にのみ、●を□するという意味であるはずである。そうでなければ社会も経済も動くはずがない。大切なのは、自分がNo.1になれる能力・分野は何か、それを大学在学中に見つけることである。

 個人情報の取扱いが厳しくなった昨今、上記項目7.の取扱いが微妙であったため、昨年の「徳永レポート」では成績の公開への賛同を学生に確認したところ、数名から「公開拒否」依頼が出された。「徳永レポート」の全員公開の趣旨は、実に単純明解である。どのレポートが良いと評価され、どのレポートが良く無いと評価されたのか、それを相互にレポートを見せ合い、議論する場が持てるようにしているのである。「徳永レポート」の成績は、一過性のものに過ぎない。「こんなもんで人生が決まってたまるか!」である。そのレポートが良い評価を得たかどうかではなく、そのレポート以後にどういう戦略でレポートを書いていけばいいのか、その方針を明らかにすることが本質である。

 新入生のみなさんは、間違いなく今、競争社会の入口に立っている。すぐに競争の荒海に揉まれることが分かっているのに、「競争など無い」と嘘を言っても仕方がない。今、自分の前に居る先輩は、競争を闘っている本物だろうか?自分が大学でやろうとしていることは、本当にこの大学に来なければできなかったことだろうか?みなさんと競争する相手は、多くの場合、生物学類の外側にいる。幸いなことに、つくばの周りには多くの研究所があり、外の世界と競争しながら切磋琢磨している本物の先輩達がいる。つくばに場所を限らなくても、TXの翼を借りて、積極的にもっと外側の世界に飛び出して、将来の競争相手のことを知る努力を惜しまないでいて欲しい。サークルなんて入って内弁慶している暇があったら、内に外に、自分探しの学問でも始めて見ては如何だろうか?

Contributed by Yukihiko Toquenaga, Received April 25, 2006.

©2006 筑波大学生物学類