つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2006) 5: TJB200605SE2.

ヒトの治療へ向けて
〜生物学類生たちがこじ開けたミトコンドリア病遺伝子治療への道〜

TJB学生編集部 (筑波大学 生物学類)

 ミトコンドリア。私たちの細胞の中にあり、呼吸をつかさどる細胞小器官で、休むことなく生命活動に必要なエネルギーを生み出している。1つの細胞内に数百個も存在し、それぞれが核とは別に独自のDNA(ミトコンドリアDNA)を持っている。さらにミトコンドリア間には互いに作り出した物質を交換することができるような相互作用が存在する。もし、ミトコンドリアDNAに変異が蓄積してミトコンドリアの呼吸機能が正常にはたらかなくなれば、生存に必要なエネルギーが不足し、変異の量がある一定値を超えたとき、「ミトコンドリア病」と呼ばれる疾患になる。

 ミトコンドリア病は、ミトコンドリアの呼吸活性が下がることで発病する。ヒトがこの病気にかかると、知能低下・小脳失調・筋力低下・けいれん・難聴といった症状がみられるようになる。今までは治療法のない病であった。

 2000年、本学大学院生命環境科学研究科の林純一教授は、世界で初めてミトコンドリア病モデルマウス「ミトマウス」を作製。2005年にはミトマウスに対する遺伝子治療に成功し、難病の克服に向けて大きな一歩を踏み出した。長年ミトコンドリア研究を続けてこられた林教授に、研究について、また今後の抱負についてお話をうかがった。(TJB学生編集部)

ミトマウス。マウスがミトコンドリア病にかかると、心伝導障害・低身長・低体重・筋肉異常・腎肥大といった外見的な症状がみられる。

TJB――ミトコンドリア病の研究の経緯を教えてください。
林――私は筑波大学に赴任する前、埼玉県立がんセンターに勤めていました。その頃の研究テーマは、がん(腫瘍)とミトコンドリアDNAとの関係でした。正常細胞とがん細胞間でミトコンドリアDNA を交換する実験を行った結果から、両者の間に因果関係が存在しないことを明らかにしました。しかし当時、ミトコンドリアDNAの突然変異はがんではなくミトコンドリア病の原因になることが疑われるようになり、ミトコンドリア病のなかにミトコンドリアDNAと同じく母性遺伝するものがあるということも分かってきました。もしかしたら、ミトコンドリアDNAとミトコンドリア病は直接関係あるかもしれないと思い、筑波大学に赴任後、意欲的な生物学類生たちとともに研究にとりかかりました。

 母性遺伝するミトコンドリア病があっても母親の食生活や母乳から伝わる等のいろいろな可能性があるので、本当にミトコンドリアDNAの変異がミトコンドリア病に関係するのかは分かりませんでした。直接の証拠がなかったのです。

 あるとき、ミトコンドリア病患者のミトコンドリアDNAのなかに突然変異が見つかりました。そこで、この変異ミトコンドリアDNAを、まったくミトコンドリアDNAを持たないように処理したrho-0(ローゼロ)という培養細胞に入れて呼吸活性をみました。実験の結果、変異ミトコンドリアDNAの割合が多くなればなるほど、培養細胞の呼吸活性が下がりました。この結果から、「この変異ミトコンドリアDNAが原因で呼吸活性が低下する」ことが確かめられたのです。この手法は埼玉県立がんセンター時代にがん研究で培ったもので、ようやく新しい研究成果につなげることができました。

 ここで最も重要な問題は、「この変異ミトコンドリアDNAが原因で呼吸活性低下する」としても「呼吸活性低下が原因でミトコンドリア病になる」のかという点です。核が原因で病気になっている可能性を否定し、ミトコンドリア病とミトコンドリアDNAの変異の因果関係を調べるために、核がひとりひとり異なるヒトではなく、マウスを使って研究を進めました。実験に用いるマウスは近親交配を繰り返しているため、核DNAに個体差がありません。そこで、ミトコンドリア病モデルマウスを作製したのです。核と異なり、ミトコンドリアにDNA を導入することは難しいので、自然界から変異を見つけてこなければなりませんでした。また、ミトコンドリアは相互作用によってお互いに足りないものを補い合うので、持つ変異がすべて同じでなければ呼吸活性が下がりません。生物学類生が行った卒業研究のおかげで、非常に手の込んだ地道な作業を通して、ようやくミトコンドリア病モデルマウス「ミトマウス」ができたのです。

TJB――ミトマウス作製ではどんなところに苦労しましたか。
林――突然変異を起こし、それとまったく同じ変異を持ったマウスを生み出すところです。今回用いた変異ミトコンドリアDNAは実験中に「これは突然変異だ!」と奇跡的に見つかったものです。今では私たちの研究室の中で、変異を作り出すための方法がきちんと確立しています。ミトマウスを作って5年が経ちますが、いまだに他の研究機関から同じようなマウスの作製に成功したという報告例はありません。

TJB――なぜマウスで研究しようと思ったのですか。
林――マウスの一番の魅力は核のバックグラウンドが均一であることと、ヒトと同じ哺乳類であるという点です。ミトコンドリアDNAが変異を起こしたときに、マウスの顔色に変化が現れたり、震えたり、他にも異常が見られたりします。そのような場合に、マウスなら解剖して臓器を観察することも可能です。一方、ヒトがミトコンドリア病になったときの主な症状は知能低下ですから、今後の課題はミトマウスで知能低下(学習行動異常)がおこっていることを証明することです。

 また、マウスの核のバックグラウンドは、一卵性と同じ程度に均一で、同系統であれば個体間での違いがないことも研究しやすい要因の一つです。先ほども述べたように、核の違いがあると、ミトコンドリア病の原因がミトコンドリアDNAの変異のせいなのか、核DNAの変異が起こっているせいなのか判別が難しくなりますが、核DNAが同一であることにより、そのような問題を除くことができました。

TJB――ミトコンドリア間の相互作用について聞かせてください。
林――これもやはり生物学類生による卒業研究からですが、ミトコンドリアはお互いに融合と分離を繰り返しており、その際にミトコンドリアDNAに存在する遺伝子の転写産物や翻訳産物を交換していることが明らかになりました。ですから変異ミトコンドリアmtDNAの割合がそれほど多くないうちは、呼吸活性は正常な値が保たれます。また、野生型のミトコンドリアDNAは自分自身の必要量の2倍以上の物質を合成して供給できるので、ミトコンドリアDNAに突然変異があったとしても、その割合が全体の8〜9割にならないと呼吸活性は低下しません。合成された物質は、細胞内のすべてのミトコンドリアに均等に行きわたります。変異を起こしたミトコンドリアDNAの割合が9割近くになると呼吸活性は急低下してゼロになるのですが、これは各ミトコンドリアが呼吸活性を維持するのに必要なだけの物質を得られなくなるからです。

TJB――ミトコンドリア病の治療法についてお聞かせください。
林――我々は実際にミトマウスに対して受精卵遺伝子治療を行いました。この研究も生物学類生の卒業研究がベースになっています。まず行ったのは極体を用いた診断です。卵が減数分裂の際に放出する極体はミトコンドリアを含んでいて、極体と受精卵の変異ミトコンドリアDNAの割合はほぼ同じです。極体を取り出し、変異ミトコンドリアDNAの割合を遺伝子診断で調べます。次の図のようにミトコンドリアDNAは母親からのみ次世代に伝わります。つまり、ミトコンドリア病も母性遺伝するので、母親がミトコンドリア病だと子どもも病気になります。ミトコンドリアDNAに変異があれば、母親の受精卵から核を取り出して、核を除いた健康な第三者の未受精卵に移植します。こうすると、自分の子どもは必ず病気になるという運命を背負った母親からも、核DNAは両親からもらい、ミトコンドリアDNAだけ第三者のものを持つ、病気を持たない子どもが生まれるのです。

 実は核移植の際に、母親由来の変異ミトコンドリアDNAがわずかに一緒に移植されてしまいます。しかし、移植後は受精卵内のミトコンドリアの大半は第三者の正常なものです。ミトコンドリアDNAは組換えを起こさないし、わずかな変異なら相互作用でカバーされます。

精子・卵形成における減数分裂。卵形成時に極体が排出される。受精によって核は両親から半分ずつ受け継ぐが、ミトコンドリアDNAは母親からのみ次世代に伝わる。

極体遺伝子診断。顕微鏡下で受精卵から極体だけを取り出し、遺伝子診断によりミトコンドリアDNAの変異量を調べる。

ミトコンドリア病の受精卵遺伝子治療。ミトコンドリア病のマウスの受精卵から核を取り出し、除核した正常なマウスの未受精卵に移植すると、生まれてくるマウスは正常な個体となる。

TJB――今後の研究について教えてください。
林――まず1つは、他の種類の変異ミトコンドリアDNAを持ったマウスを作り出すことです。今までに、ミトコンドリアDNAの一部の塩基配列を失った欠失突然変異を持ったモデルを作りました。しかし、異なる種類の遺伝子に異なる種類の突然変異が生じることにより、呼吸活性の下がり方は異なってきます。ミトコンドリア病が発病した際の臨床症状(表現型)も異なってきます。ですから、今は別の変異を入れたマウスの作製に励んでいるところです。

 2つ目に取り組んでいることは、成体に対する治療法の開発です。受精卵治療の成功で、現在ミトコンドリア病になっている世代の次の世代がミトコンドリア病になることを防ぐことはできるようになりました。しかし、今、ミトコンドリア病である人に対する有効な治療法は見つかっていません。ここで注目したのが、骨髄幹細胞の中にはあらゆる種類の細胞に分化できる能力である「全能性」を持った細胞があり、それが体中を巡って例えば神経幹細胞になり神経分化に関わっているという可能性です。そこでミトコンドリア病になったミトマウスの血液中で骨髄幹細胞が正常な組織の幹細胞に分化し、さらにそこから正常な細胞が作られるのではないかと考えたのです。白血病治療と同じように、ミトマウスの骨髄にX線照射して骨髄細胞を除去し、正常なミトコンドリアDNAを持つ骨髄幹細胞を移植しました。すると、血液細胞のミトコンドリアDNAは完全に置き換わり、寿命も移植をしない場合よりも、約4週間延びました。現在この方法の改良を進めています。

 近年、ミトコンドリアDNA の変異が老化やがん化にも関わっているらしいことが多くの研究者によって報告されていますが、この問題にも決着を着けたいと思っています。

林純一(はやし・じゅんいち)
筑波大学大学院生命環境科学研究科情報生物科学専攻教授。同大学第二学群長。
生物学類では発生学概論、発生学T、総合科目(遺伝子がつくる文明)などの講義を担当。著書であるミトコンドリアのダイナミックな動態を記した「ミトコンドリア・ミステリー」(2002年 講談社刊)は2003年に講談社科学出版賞を受賞した。

Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received June 13, 2006.

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