つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 24-25.

創刊号に寄せて ―基礎研究で味う苦楽一如―

渡邊 浩 (元 筑波大学 生物科学系)

 今から40年〜50年前のいわゆる萌芽的な「題名のない研究」について、研究費も乏しい苦しみの中で味わった 愉悦の一端を述べよう。

 飽食そして使い捨ての今日、想像するだにむつかしい戦後間もない耐乏の時代に、私は東京文理科大学(筑波大 学の前前身)の特別研究生として、1年の半分以上を伊豆下田の臨海実験所(現在の筑波大学下田臨海実験セン ター)で“実験所暮らし”をしていた。単体、群体を問わず、できるだけ多くの種類のホヤ(原索動物)を採集し、 この中から実験材料となるような適当なホヤを探し出そうと、大潮になると毎日々々実験所周辺の磯に出かけてい た。そして、双眼実体顕微鏡の下で、ホヤの心膊の周期的な逆転現象を興味と驚きをもって眺めながら色々と将来 の実験計画を練っていた。自分自身でテーマを決める点は今の若き研究者には理解できないに違いない。

 1950年6月の大潮の時、実験所近くの狼煙岬(通称,ノロシ)の波の砕ける先端の岩肌で、幸いにも茶褐色をし た珍しい群体ホヤの一種を見つけた。嬉しさの余り、採集前に吸った一服のタバコの味は今でも忘れられない(現 在はタバコとは無縁)。早速、文献にあたったところ、丘浅次郎(日本の高名な進化論者で、私の恩師・丘英通教授 の尊父)によって記載されているBotryllus primigenus(ミダレキクイタボヤ)であることが解った。スライドグ ラスの上に附着させて、湾内に浮かぶ生簀の中で飼育してみると、群体はぐんぐん拡がって、各個虫は互いに重な らないモノレーヤーの位置をとるので、顕微鏡の下での観察が極めて容易であることを知った。結局、私はこのホ ヤとの出逢いから色々な群体ホヤに惚れ込んで、40年の長いようで短かかった臨海実験所生活を過ごすことになる。 そして、伊豆の下田は私にとって正しく第二の故郷となった。

 ここでは、群体ホヤに関する一連の研究の中で、特に血管出芽と群体特異性の話について解かり易く述べよう。先 に述べたミダレキクイタボヤは群体内の多数の個虫が被嚢内を走るネット状の共同血管系によって連絡していて、形 態的にも生理的にも1つの個体としてみることができる。驚くことに、群体の周りの血管末端部(アンプラ)の基 部に、そして一定の時期に4日間の間隔で、突如として多くの芽(個体)が出現してくるのを発見した。興奮の余 り、接眼レンズが私の熱気でくもり、見えなくなったことが今でも脳裡に焼きついている。正しく「我と我が目を 疑えり」であった。つまり、特定の場所の血管壁にヘモブラスト(血球芽細胞)が集まって、新しい個体が形成さ れるわけである。早速、この現象を東京におられる恩師の丘英通教授に書信にて報告したが、仲々耳をかしてくれ なかった。当然である。やがて、当時カナダにいたホヤの世界的大家であるベルリ教授がこれを認めてくれて、私 たちの研究はようやく陽の目にあえることとなった。その後、無性生殖を盛んに研究していたレニングラード大学 のトーキン教授が来日し、丘教授と共に私は教授に逢うことができた。その時、教授がえらく感激し、非常に興味 をもって聞いてくれたことは、私にとって何よりの励みともなった。一方、1967年の夏、多くの若い卵母細胞が一 定の時期に被嚢血管の中を形を変えながら、血流にのって流れて行き、やがていずれかの芽体の側壁に着床するこ とを見つけたのも驚きであった。その後、故向井秀夫氏(群馬大学・教授)との共同研究によって、ヘモブラスト から卵細胞、精細胞及びその付属細胞の全てが生ずることをつきとめた。ちなみに、ホヤは雌雄同体である。つま り、血球から体細胞にもなれば生殖細胞にも分化できるわけである。ホヤはときどき、われわれ生物学者に、他の 動物にみられないユニークな、あっと驚かせるような現象を見せてくれるが、この現象も正にその1つである。体 細胞と生殖細胞との相違が絶対的でないとすれば、生殖細胞も他の体細胞と同じように環境によって変化するに違 いない。そして生殖細胞なるが故に、それを次の代に伝えることになる。これはある意味でラマルクの獲得形質の 遺伝を認め、一方、A.ワイスマンの生殖質の連続を主張する“生殖質説”を否定することになるわけである。生物 学的通念では考えにくいこの現象が現今では内外の発生学の教科書に正しく評価されていることは何よりも嬉しい ことである。血球から個体への転換に係わる遺伝子についてはこれからの課題であろう。

 なお、1962年10月、岡山大学で開かれた日本動物学会において、丘教授が「群体ホヤにおける血球からの新個体 形成」の研究で日本動物学会賞を受けられた。

 次に、群体特異性(自己・非自己の認識)の話に移ろう。ミダレキクイタボヤの2群体をスライドグラス上で向 かい合うように並べておくと、ある組み合わせでは癒合して血球の交流がみられるが、ある組合せでは接触部域が ネクローシスを起こして脱落してしまう。つまり、非癒合となる。群体の癒合性に限定して云えば、この種の中に は4つの系統があり、ある系統に属する群体は他の2系統とは癒合するが、残りの1系統の群体とは癒合しない、と いう実に興味ある結果を得た。当時、私は一言で云われぬ一種の興奮を覚えたものである。何分にも関連する参考 文献は見当たらず、すべて昨日の結果から今日の日程を組むという一喜一憂の毎日であった。1971年、メルボルン 大の免疫学者であるイギリス系のバーネット教授が私たちの研究を認め、「群体における自己認識」として“Nature” に紹介して、私たちの研究が免疫学の方面からも意義があることを述べてくれた。バーネット教授といえば、免疫 の抗体産生についてのクローン選択説を提唱して、1960年度のノーベル生理医学賞を受賞した位の学者であるので、 これは私たちを大いに力づけてくれた。これを契機として、その後に発表された私たちの一連の研究は理学のみな らず、基礎医学の分野からも大きな関心を持たれるようになった。このことも私にとって忘れ得ぬ想い出である。

 その後、“アロ認識”というテーマに拡大されたこの問題は、田中邦男氏(日大)、故向井秀夫氏(前述)、加藤秀 生氏(東北大)、種田保穂氏(横浜国大)、斎藤康典氏(筑波大)、小山洋道氏(横浜市大)、広瀬裕一氏(琉球大)ら の強力な協同研究者、更に各大学での若き研究者も加わって新しい発見を重ねて今日に至っている。話が前後する が、1975年、京都大学で開かれた日本動物学会で「群体ホヤにおける自己・非自己の識別機構」の研究で私は日本 動物学会賞を受賞した。ほぼ時を同じくして、朝日学術奨励金を受けるチャンスにも恵まれた。群体ホヤに関する 一連の研究で、2回の学会賞を受ける機会に恵まれたことは、東京に比べ、何かにつけて不便な実験所暮らしの者 にとって何よりの励みともなった。今までに得られた私たちの成果は、スペインから刊行されている “International J. of Developmental Biol.”の日本発生生物学者の特集号(1994.6)にallorecognition in compound ascidians Review)(by Saito,Hirose.& Watanabe)と題して発表された。

 40年ほど前に、私たちが提唱した群体特異性を支配している癒合性遺伝子が哺乳類の移植免疫を支配している主 要組織適合性遺伝子複合体(MHC)の原始形、あるいはMHCと同一の起源を有する可能性が示唆されるが、ホヤの癒 合性遺伝子の本体については何もわかっていないのが現状である。幸い、千葉丈氏(東京理科大)らのグループが 中心となって、遺伝子本体についての解析が精力的に進められているので、その成果を期待している。

 ホヤという小さな窓を通して自然の素晴らしさを垣間見てきたが、研究の中味は役に立たない、流行を追わない、 そして非主流であった。しかし、そのことを今でも誇りに思っている。同時に、萌芽的な研究というものはそもそ も予測の立てにくいものであることをつけ加えておこう。終わりに一言、研究とは発見である。一方、物真似は学 習であることを常に肝に銘じて各自の道を進んでいってほしい。更に、電話機を発明したアレクサンダー・ベルの “時には踏み固められた舗道(=学習と云い換えることができる)から離れて、一人で森に入りなさい。そこでは今 までみたことのない新しい何かを発見するに違いない”という、科学者が常々心していなければならない言葉を紹 介して筆を擱こう。

Contributed by Hiroshi Watanabe, Received August 5, 2002, Revised version received August 8, 2002.

©2002 筑波大学生物学類