つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 30-31.

むさしの自然研究会

関口 晃一 (元 筑波大学 生物科学系)

 「自然観察の方法とその実例」という本のあることをご存じの方はまずあるまい。というのは、この本は近年の自 然観察ブームとは無縁で、今から60年も前の、太平洋戦争中(1943)に出版された、古本屋でも滅多にお目にかか れない代物だからである。あんな緊迫した物資不足の時代に、よくもこんなものが刊行できたものだと思うが、編 者の福井玉夫もそれを気にしたと見えて、その「序」に、

「一部の方々にはこの超非常時局に何を呑気な事をしていると思われるかも知れぬが、これこそ科学振興の本当の底 を成す培養土である事に思を致されたいと庶幾うものである。」
 と釈明めかして述べている。(が、実際私もこの通りだと思う。)

 この本は「ムサシノ自然研究会」(後にひらがなで「むさしの自然研究会」と表記するようになった)の会員が執 筆し、会長(この会には会長はないと、かねがね福井は云っていたが、会員は福井が会長だと思っていた)が編集 したような形になっているが、内容には本の表題から想像されるような、自然観察の意義とか方法論と云ったよう なことを,論じた部分は全くなく、それぞれの執筆者がそれぞれ好むテーマで、自由に調べたことを述べているだ けのものである。

 ところで、むさしの自然研究会というのは、編者も述べている通り、  「正体は心持の合った私共自然愛好者が作っているささやかな団体」で、一般に会と云えばまず規約をとなるのが 普通だが、本当に自然を愛するものにとっては、そんなことはどうでも良いので、この会は規約もなければ会費も いらない(通信費などは世話人のポケットマネーで賄われていたらしい。会則はずっと後にできた。)。参加した人 がその時の会員というわけであった。

 とは云っても、この会が戦前、戦中、戦後の20数年間にわたって生き続けることができたのは、和歌山、岩手、 新潟と全く異なる地方から東京へ集まって来た植村利夫、片岡佐太郎、小熊素泉という理科教育に熱心な3人の小 学校の先生(訓導)と、これをとりまとめた当時の東京府の視学で昆虫学者の岡崎常太郎らの協力と努力のお蔭で ある。これらの人人は終戦間際の一時期を除けば、毎月1回は東京近郊の公園や水辺などへ集まって自然観察の会 を続けていたのであった。

 こんな会であったから、長い間にはずいぶん参加者の顔ぶれも変わった。多くは小・中学校の先生や生徒であっ たが、専門学校や大学の先生や学生、時にはお役人の顔も混じっていた。会員の興味の対象も色色だったから、も し勉強する気があれば、さまざまなことが学べたはずである。だが多くの人は先輩の話に耳を傾けながら、自分な りの自然を見つめて、のんびりと歩いていた。

 実は私も、当時はまだ東京高等師範学校(後の東京教育大学・筑波大学)の学生であったが、この会が始まって 間もなくの頃から、私にとってクモの指導者であった植村に誘われて参加するようになっていた。上記の本にも、ク モの生態的な観察3篇を載せている。

 福井も「序」の中で、会の成立と会員のことを述べた後、

「本書はこうした人たちの自然観察の記録を集めたものであって、学問的価値は敢えて彼是論じないのである。唯 生々しい各自に体験が盛られているのである。口幅たい申條であるが、読者には記録の内容の貧弱さを笑わず、ど うか真面目に一生懸命自然と取り組んでいる我々同人の態度を見て戴きたいと思う。」
とも述べているのであるが、上記の私の文章もその通りで、今読んでみると、自分の眼で見たことをできるだけ 詳しく記述しようと、いささか気負い過ぎている所があるのが面映い。

 自然観察というのは、福井の云うように、学問的価値を云云するよりも、自分の感じた自然への疑問に、真正面 から取組むことが大切な態度だと思う。たとえ庭先で見かけた花の上の昆虫やクモの行動一つでも、自分の眼で観 察したことであれば、限りない感動を覚えるはずで、こういうチャンスは生物学を学ぶ者に限らず、あらゆる階層 の人が享受する権利があるはずである。

 先に私はこの本には方法論のようなものはないと述べたが、よく読んでみると、福井は短い序文の中に、自然観 察のあり方をちゃんと記していたのであった。

 私は筑波大学在職中、学生はもちろん、地元のアマチュアや子供たちまでが参加できる「むさしの自然研究会」の ようなものができないか、と考えていたが、その頃のような週休1日、長距離通勤、開学直後の公私の多忙といっ た悪条件の下では、実現は無理であった。その後のことは知らないが、今どなたかが中心になって、そんな会がで きていれば、こんなうれしいことはないと思っている。

 あの頃から半世紀もたって、私は数年前から地元の人たちと一緒に、小さな自然観察倶楽部を作った。今回は参 加者に小学生はいるが先生方が少なくて、一般の人々、とりわけ中年の女性が多いのが特徴である。私自身につい て云えば、昔のあの頃に比べて、記憶力の低下はあきれるばかりで、野草の名まえなどを憶えることは絶望的であ る。それでも私は毎回楽しみにして出かける。何故なら私にとって毎回何か新しく学ぶことがあり、それが日常生 活の中での私の自然観をさらに深めてくれるような気がするからである。

 それともう一つ、私は多くの人が見のまわりの自然に関心をもつようになることが、結局は荒廃する自然を救う ことになると思うからで、たとえ微力でもそんなことでお役に立てたら、これに勝る喜びはないと考えている。

文中敬称を省略させていただきました。なお、福井・岡崎両先生とも故人ですが、東京高等師範学校博物科のご卒業なので、筑波大学生物学類 の人々にとっては大先輩に当たることをつけ加えておきます。

Contributed by Koichi Sekiguchi, Received August 21, 2002, Revised version received September 6, 2002.

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