つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 12-13.

迷える学類生へ

前田 修 (富士常葉大学 環境防災学部、 元 筑波大学 生物科学系)

はじめに

 「老兵は語らず、消え行くのみ」というD.McArtherの言を拳拳服膺する私に学類長は何か書けという。老害防止の時代を知る私には隔世の感だし、しなびた頭に碌なことは浮かばぬものの、求めに応じ、ひぐらし時雨のもと、「学生の迷い」について、えにしあることを打ち綴る。

悩みと読書

 夏目漱石の時代から学生に人生の悩み、「三四郎」のストレイ・シープのような迷いと不安は付き物だが、これはホモ・サピエンスの特権たる生理活動[1]であるから、この特権は大いに行使したい。ただし、行使には独善を避け ることが肝要で、人類に歴史があり、自分も歴史上の一点であることを思えば、自分の思い悩むことが、実は多くの類例を伴う可能性に気づくであろう。この類例の探索では読書に敷くはなく、とくに他人の人生を仮想体験できるのは小説だ。何が良いかはうまいラーメン屋を探すのと同じで、下手な鉄砲も数打てば当たる。そのうちに森鴎 外の「舞姫」のような擬古文の恋物語にも引き込まれるようになり、知らぬ間に就職試験対策にもなっている。ただし、私の経験では、思想関係の翻訳書はたいてい苦労し損で、読むなら原書で汗をかいたほうが分かりが早い。

 近頃の学生は新聞を読まないというが、昔から新聞を熟読する学生は限られ、読まないと嘆く大人は自分がゲー ム中毒と同類の新聞中毒であることに気づいていない。とはいえ、新聞も読めぬ活字嫌いは、知的職業人として通用しないから矯正を要する。かつて読みが苦痛な学類生に毎日三面記事を音読させたことがあるが、彼は教員になっ た。

 情報は巷に溢れても、正確な情報は少ない。無料インターネットは虚偽・誤解・デマに満ち、ハウツー本の多くも人類の智恵からとおい。わかり易い解説書にも眉唾が多いが、「細菌はミトコンドリアを持たないから呼吸しない」 という記述の嘘は見抜けても、「バブル期の開発でメダカが減った」という記述の不正確(詩人富士正晴[2]が「農 薬日本、目高がとんと欠乏」と詠うのは1961年である)を見抜くのは容易でない。だから、安物買の銭失いを避け、本はまっとうなものを選びたい。

日常を超越した疑問

 若いとき、極めて抽象的な疑問や悩みをもつことがある。私の場合、なぜ人間は「生きるために血を吸うノミ・カを殺す権利を持つか」という疑問に高2くらいから取り付かれ、これは長らく未解決で、いきものの勉強につながった。「生きているとはどういうことか」はbiologyの大命題で、「人間とは何か」を探る哲学思想とも関係が深い。いわゆる自分探しも含め、あまり実利的でない疑問と誠実に付き合うことは、そのひとの個性の形成にも深く関連するので、飽きずに続けよう(私はいま、エコロジ一運動や環境哲学が生き物の権利というのを聞いてこそばゆいが、 現時点では権利に関するベルクの説[3]に賛同している)。

つまらない大学

 偏差値などの都合から、心ならずも田舎大学にいる無念さに鬱々とする学生に出会うことがある。彼に大学の価値を云々しても始まらず、法科大学院のない大学に週刊誌がー目を置く日も来そうにない。学長の給与は国立大で 第三ランクだが、さまざまに比較すると、筑波大は名大に近く、日本のトップテンにカウント可能かどうかという ところだろう。それが嫌で退学するのも潔いが、もうひとつ道はある。それは、すこし勉強することだ。そして東大大学院に進め。ご承知のように、贅沢を言わなければ必ずどこかに合格でき、修了後は東大出を名乗れる。時間 は少しかかるが、いまどき単なる学卒で誇り高き君に適する職がありはしない。勉強するうち気が変わったなら、それはその時ではないか。

つまらない授業

 理屈嫌いに授業はつまらない。プレゼンテーションに工夫不足の批判は甘受するとしても、授業は面白がらせる ものでなく、明快に論を進めわかり易く学の基礎を教授するものだから。学習は耳・眼・手の分担で行われるので、 パワーポイントやビデオによる効率的授業展開と高い学習効果とは必ずしも結びつかない。だから、複雑な図や表 を面倒がらずにノートすることも大切なのだ。と、これは教師の弁解。

 冷静に見て、授業計画全般が多様化する学生のニーズに対応しきれていないのは事実だろう。だいたい、大学の 授業は学の教授であった。生物学のような「貴族の学問」の実用価値は低く、それを要求する職域は大学・高校な ど学校や研究所・博物館に限られたから、生物学科は学者養成所といってよかった。したがって学生数も少なく、社交性を欠く私でも、東京近辺の生物学科学生はほとんど顔見知りであった。そうした時代の授業計画を、大衆化マスプロ化の時代に適合すべく変革したと言い切るのは、とくに大所帯の筑波の場合、なお時期尚早と言わざるを得 まい。この点、教員はよくよく考える必要がある。

 とはいえ、現に在学する者は将来の改定を待てない。そこで君たちに教師いじめを提案する。教師の一挙手一投 足に注目し、揚げ足取りを含めた質問攻めにするのだ。攻撃には防御を伴うから君たちも油断できない。億劫とか恥ずかしいでは就職試験のディべ−トも覚束ないぞ。どうせ授業料を払うなら、少しでも楽しみながら利用せねば 損というものだ。そうしていると、学のうまみが分かってこよう。どんな分野でも、仕事や勉強はスルメのような もので、うまいと感じるには、しばらくシガむ必要がある。

やることがない

 太宰治の小説「トカトントン」のように、何をやっても無意味という悩みもかなり普遍的で、抜け出るのは容易でない。しかし、無意味さを追求して、例えばさして興奮もしなくなったゲームにルーチン的に没入する真似をしていると、やがていわゆる引き篭りに陥ることがある。その予兆を自覚したら、まず無理して旅にでよう。嫌々ながら知床縦断に引き出されて元気になった学生があったが、ルーチンが打破され、否応なく、なすべき事が山積す る状況に追い込まれたからだろう。そして、級友に引きこもりの兆候を感じたら、すぐ担任に連絡しよう。これは告げ口ではない。生物学類の教員はみな、君に迷惑を及ぼさず、適切に処置する筈だ。

何をやるか

 やる気はあるが、科目のデパート、売り子教員の数に圧倒されて、何を選ぶかに迷う話もよく聞く。これは生物 学類特有の悩みで、他大学ではふつう、店の数が限られて目移りする余裕はない。

 迷うひとは、まずは「決めている」友達に引き摺られないことだ。決めているのは高邁でも進んでいるのでもな く、「ボク豚カツだけでいい」と言っているようなものだ。そして、カッコよさや「適性を探せ」という言葉に惑わ されず、自分の非適性をチェックしよう。人間は融通性に富み、たいていの人は文系人間でも理系人間でもないの だけれど、弱点や虫の好かないものはある。だから消去法で行こう。残りから一つを選べないなら、人生は賭けだ から、あとはアミダだ。そして一度決めたら、もう逡巡しない。ルビコンを渡ったのだ。専門の上で学類教員はみな(少なくとも日本レベルで)たいしたもので、その点は安心してよく、また大方は学者にしてはお人よしで、学 生を無報酬労働者として酷使する奴もいない。

就職の不安

 専門性を持てというが、大学は過去を土台に教授するため現実社会に必ず一歩以上遅れるし、4年間で学べる専門的知識技能は知れている。だから、免許職を除き、すぐ役立つ専門性など世間は新卒に期待していない。何でも よいが、具体的な課題に関するトレーニングを経て、

  1. 筋道を立てて課題処理に当たる能力を持つこと
  2. 情報処理や語学や分析技術などの汎用能力を備えること
  3. 社会人としてのマナーを身につけること

が、優れた大卒に対する社会の要請だ。つまり高い一般的教養が求められており、したがって大学における教養教育強化の必要は今年 出された中教審答申[4]も強調している。

 就職対策で都会の学生にはダブル、トリプル・スクールも珍しくないが、その気さえあれば、筑波の学内利用で 十分いけるだろう。要は、備えあれば憂いなし。

 私の室の卒業生には技術系の公務員、会社員と教員が多いとはいえ、銀行員、国際機関職員、写真家、マスコミ や宣伝関係、コンピュータ関係など多士済済で、けして生物学の範疇に収まってはいない。卒論でクロロフィルを 定量したため製粉会社に重宝がられた者もいるし、理学を得意とする弁護士になったのもいる。縁は異なもので、犬 も歩けば棒に当たる。先の先は分からないから人生は面白い。不況に巡り合わせた不運を嘆く声も聞こえるが、大学10倍・就職100倍という私たちの世代から見れば、なお余裕がある。

むすび

 人間はヒトで、ヒトは生物で、生物は種も個体も他との干渉を避けて存続することはできない。干渉によるストレスは生存に不可欠だ。主体たる自己をとりまくあらゆる事物条件との関係を賢くつくるのが生き方のエキスパー トで、これは自己主張であり、他との妥協ではない。

 いずれにせよ、悩みや迷いの多くは、やがて丁半勝負で決着をつけるか、時の流れにより解決することになる。

参考文献
  1. 養老孟司:「カミとヒトの解剖学」、ちくま学芸文庫、 2002.
  2. 富士正晴:「こんなもんじゃよ、世の中はなあ」、ちくま日本文学全集、1993.
  3. オギュスタン・ベルク(篠田勝英訳):「地球と存在の 哲学、環境倫理を越えて」、ちくま新書、1996.
  4. 中央教育審議会答申「新しい時代における教養教育の在り方について」、2002,2,21.
Contributed by Osamu Maeda, Received September 5, 2002.

©2002 筑波大学生物学類