つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 58-59.

ジャーナルの継続性

浦山 毅 (共立出版(株))

 生物学類でこのほどオンラインジャーナルが創刊されるという。これまでの苦労を乗り越えて刊行に漕ぎ着けられたことはまさに快挙であり、卒業生としてまことに喜ばしい。創刊されるからには、1号でも長く継続して刊行されるよう心から望みたい。老婆心ながら、編集に携わる経験から継続のための要点をいくつか述べさせていただ きたい。

編集部の積極的な関与

 かつて学生だったころ、医生物学コース学生の意見交換のために『医生物シンドローム』という冊子を友人たちと作り、卒業後も細々と出しつづけて、10号をかぞえて休眠に入った。その時の経験からいうと、原稿は、黙っていても入稿するものではなく、事前に内容に関して執筆者と十分な打合せをしておく必要性を感じた。それは、今の仕事からも同じことがいえる。要するに、編集部の積極的な関与(原稿依頼、催促、内容の事前打合せ、入稿原稿の手直しなど)がないと、雑誌は続けられないということである。

 今回のジャーナル、つくば生物ジャーナルには編集委員会と事務局が設置されているが、一般雑誌でいう編集部 体制がどのようなものかはわからない。投稿規定や「創刊の経緯」(林純一先生)から判断すると、このジャーナル は論文誌で、編集委員会は投稿された論文を審査して、掲載された論文には権威(プライオリティ?)を与えると いう。執筆させるための動機としては、これも一つの手ではあると思うが、ぜひ市販雑誌のように編集部を設けて、 積極的な誌面作りを目指してほしい。編集部としては、原稿をただ待つのではなく、多くの執筆者を新聞や雑誌から捜し出してきて原稿を依頼したり、在校生が知りたい内容を抜粋して掲示したり、ときには特集を組んだりしてほしい。堅苦しい内容の記事ばかりでは息が詰まるので、息抜きのできるページなどもぜひ設けてほしい。

内容のおもしろさ

 掲載される記事がおもしろくないと、読み手も書き手もいずれは逃げていくだろう。「おもしろい」とはどういうことか。笑えるほどおかしいという意味もあるが、ここではもっと広くとらえて、知的好奇心を満足させてくれる もの、初めて聞くこと、興味があること、役に立つこと、まとまって紹介されていること、生活に潤いを与えてくれるものなど、とにかく読んでみて何か印象に残る内容がほしい。そのためには、書き手を選ぶ、あるいは書いた 内容を審査して「つまらない」ものはボツにするというのも一つの手であるが、編集部がそのための「箱」を用意 するという手もある。

 かつてニフティサーブというパソコン通信がものすごい勢いで会員を集められたのは、フォーラムという専門の箱をたくさん用意して、どれかの箱がユーザー(書き手と読み手)の欲求を満足させていたからである。ジャーナルに話を戻すと、1つの記事ですべての読み手を満足させることはできないだろうから、たとえば、企業の研究者向けや教員向けといったような専門の箱(コーナー)をたくさん設けられてはどうだろうか。

記事のインタラクティブ性

 このジャーナルは、小説とちがって、書き手と読み手がはっきりと分かれる性質のものではない。そのため、読んだ内容に触発されて(前の内容に続く形で、あるいは前の内容に反論する形で)別の読み手が原稿を寄せる(書き手になる)といった、執筆の連鎖が生まれる可能性がある。ジャーナルを継続させる(原稿を絶やさない)ための手段として、これは有効である。

 ただし、ここにも編集部の積極的な関与が要求される。先ほどのニフティサーブの例では、専門のフォーラムごとにシステムオペレーター(シスオペ)とよばれる管理人がいて、つねに内容の監視とメンテナンスを行なってい た。一部でシスオペが優遇されすぎて問題になったが、シスオペになるためには単位期間当たりのアクセスが一定 数を越えることが必要など、かなりの努力が要求されていた。

 この例にみられるように、あるコーナーで連鎖を継続させるには、専門の編集部員(あるいは編集部から委託された人)を常駐させておいて、つねに軌道修正を行なう必要がある。専門に特化した内容が煮詰まってくると、誹謗中傷の類いが出てきたり思わぬ隘路にはまりこんだりして、話が窒息してしまうことがある。また、話の展開が 思わぬ方向に飛んでいって本来の軌道から大きくずれてしまうこともある。そういうときに、話を元に戻せる議長役あるいは通信ネットワークでいうハブ的役割をもった人の存在が必要になる。『情報処理』誌の「インタラクティ ブ・エッセイ」というコーナーは、キーとなる人の問題提起を受けて、いろんな人が発言し、必要に応じて最初の人がまた問題を投げかけるという形式をとっている。

費用の問題

 このジャーナルの金銭面での収支バランスについてはふれる立場にないが、一般論として費用の問題を取り上げ ておきたい。一般に、オンラインジャーナルは、製作が簡単なことと、ほとんど費用がかからないことがメリットとして喧伝されているが、これはある意味で真実ではない。

 紙の雑誌に比べて、たしかに製作は楽だ。いちばん簡単なやり方は、全体をhtmlファイルとして作ってしまうことである。図や写真だって入るし、解像度も紙より粗くてよい。カラー化もRGBのままで簡単にできるし、レイアウトもブラウザに任せておけるので、編集に関する知識がほとんど要らない。PDFで提供する場合はすこし面倒だが、それでもQuarkXPressやPageMakerやInDesignなどのDTPソフトとAcrobat DistillerなどのPDF作成ソフトを使えば、かなり見栄えのよい誌面を作ることができる。また、たしかに費用の面で軽減できる部分もある。送料などはその典型例である。宣伝費などもその中に入るかもしれない。なにしろ新聞第1面の下に並ぶ「8ッ割」とよばれる広告が1回100万円もするのだから。  だが、先ほどから述べているように、ジャーナルとして成立させ維持させるためには編集部の存在がぜひとも必 要で、編集方針の設定と遵守、魅力ある誌面作りのための編集会議、スケジュール通りの製作など、編集部員の仕事は山ほどあり、そこには編集費や製作費や人件費がかかるのである。このジャーナルの場合は、読み手と書き手 のレベルでは金銭的な授受はないものと思われるし、製作費の問題もクリアーしているだろうけれど、「お金」でな くても編集部の「労力」という費用の問題はつねに念頭に置いておくべきである。

書き手の心得

 最後に、書き手の心得を述べておきたい。ジャーナルが継続するためには、書き手の積極的な参加も欠かせない。 文章を書くには、手本となるようなよい文章に接することと、構えないで書き続ける姿勢が必要だと思う。よい手本となる文章を見つけるのに近道はないので、とにかく書籍や雑誌をたくさん読むことが肝心で、その中から印象に残った文章を見つけて、自分の書く文章とどこがちがうかを日頃から考えてみてほしい。他人の文章を、「うまい言い回しだなぁ」とか「ここは言い換えたほうがわかりやすいのになぁ」などと思いながら読む、いわゆる書くための読書というか、攻めの読書を心がけてみてほしい。

 文章を書き続けることも大事な訓練だ。頭の中で考えていることを文章にまとめることは難しい作業である。掲載される予定もないのに書いてもしょうがないと考えないで、いざ連載を頼まれたときにでも備えるつもりで、自分の文章を書き溜めていってほしい。そのとき、ある制限を課してみる。1回の長さを1800〜2000字に収めると か、12回で終わるように起承転結を付けてみるなど。そのほうが勉強になる。  そして、できあがった文章は何度も推敲すること。頭を静めるためには、文章を書き上げて数日経ってから見直すほうがよい。そのほうが、他人の文章に接するときのように客観的に内容を吟味できるからだ。このとき、贅肉をおとすつもりで、全体を1割短くするよう制限を課してもよい。こんな小文でさえ、全面書き換えを2回、推敲を山ほど行なって完成した。

Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received August 28, 2002, Revised version received August 29, 2002.

©2002 筑波大学生物学類