つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 62-63.

特集:大学説明会

学類長挨拶 ―筑波大学生物学類で学ぶ意義―

林 純一 (筑波大学 生物科学系)

 筑波大学の大学説明会で生物学類を選んでいただき心からお礼を申し上げたい。皆さんの中には国立大学が独立法人化したら一体どうなるのだろうと思っている方も多いと思うが、少なくとも私たち生物学類に関しては心配御 無用である。むしろこれまでは規制が多すぎたので、これからは自由を手にし思い切り個性を出すことが可能だと 思っている。もちろんそれに対しては重い責任をともなうことになるが、私たちは自信を持って質の高い個性ある 教育を学生に提供できると確信している。その先駆けとして私たちは9月から卒業生や退官教官と一体となって『つ くば生物ジャーナル』を刊行することにしたので生物学類ホームページでご覧になっていただきたい。

 さて、今回の説明会で教官や学生の話を聞いたり、さまざまな研究施設を見学することで、是非とも生物学類に恋をしてほしい。そうすれば、この一日を受験勉強に使った受験生と、この会場にまで足を運んだ受験生との間に動機付けの点で歴然とした差が生じるはずある。自分の力以上の物事を達成しようとする時、動機付けの差は極め て重要なポイントとなる。砂を噛むような受験勉強を義務としてやるか、本当に必要を感じてやるか、後者になるように今回の説明会で自分の魂に火を付けてほしい。自分の力以上の力を出す経験、つまり『火事場の馬鹿力』を 身を持って体験できれば、その貴重な体験は受験だけでなく将来にわたっても必ず役に立つはずである。

 まず大学で生物学を学ぶ意義についてお話したい。高校までの理系のスターは数学であり、次に物理や化学が続 く。理系では受験に際してこれらの科目の選択が多く、医学部では生物を選択させない場合もある。しかし受験が 終わり大学以降になると、理系のスターの座は一変して生物学になる。残念ながら高校の先生や受験生の多くはこ のことに全然気がついていない。実際、自然科学の国際一流誌に掲載される論文のほとんどが生物学関連の研究論文である。さらに、連日マスコミをにぎわわせている環境保全、遺伝子改変、クローン、再生医療など話題の中心も生物学であり、社会が生物学に寄せる期待はますます大きくなっている。つまり『受験』ではなく『研究』の世 界では自然科学の中枢を生物学が占領しているのである。

 それでは筑波大学生物学類で生物学を学ぶ意義は何だろうか。筑波大学の第一学群は国語、社会、数学、理科と いった高校までの教科の延長上にある学問を学ぶのに対し、生物学類が所属する第二学群の特徴は学際性で、文化、教育、農学など、高校までの教科にはない学問分野も含まれている。生物学類の場合はむしろ第一学群的な要素を持ち、多くの国立大学がリストラした伝統的な基礎生物学を重要視しこれを堅持している。一方農学との学際性を取り入れた応用生物学や、医学との学際性を取り入れた人間生物学を学べるコースも他大学には全くない極めてユ ニークなコースであることから、生物学類はこの学際的特色をアピールできる第二学群に所属している。筑波大学生物学類の強みはまさにこれらの多様なコース設定にある。

 以上の観点に立った上で、私たちは最低以下の二つの条件を満足できる生徒に入学してほしいと考えている。第一に生き物や生物学が好きで、とりわけ生命現象に対して好奇心と探求心のある生徒。第二に生物学類のカリキュ ラムをクリアできる能力を持つ生徒である。そのためには自分の好きな分野だけではなく、やりたくない嫌いな分野の授業でもきちんとこなすことができる能力を持ち、さまざまな障害を英知を持って克服できなければならない。 この能力は生物学類で卒業研究を遂行していく上でも、大学院に進学しても、社会に出てからも要求される大切な能力である。その意味からも、受験生の皆様は現在嫌いな科目の受験勉強にも励んでいただきたい。  時間の関係で十分にお話できなかった点がたくさんある。そこでその詳細をプリントにして配布したので参考に していただきたい。内容は以下の通りである。

世間の注目を集める生物学と本学類卒業生の就職

生物学はこれからますます需要が伸る学問分野で、社会から注目される理由は主に二つの点に集約される。

(1) 生物学は生命科学の中枢に位置しているという点。21世紀は生物学のビッグバンの時代であるといわれている。特に最近注目を浴びているゲノムサイエンス、再生医療、クローン動物や遺伝子改変作物、環境保全問題などは医学、農学、工学、薬学等の実用学問とも共有する部分もあるが、その中枢に位置しているのが生物学なのである。最近は多くの製薬会社、食品会社、化粧品会社などが長期的視野に立った上で、実用学問を学んだ即戦力とな る学生の他に、生物学をじっくり学んで、科学研究の基盤をきちんと構築できた学生や大学院生を積極的に採用する傾向がある。生物学類のカリキュラムを遂行できた卒業生はまさにこの要求を十分に満足する教育を受けている と高く評価されている。

(2) 生物学は自然科学の中枢に位置するという点。 生物学はまた、古くから数学、物理、化学、地学とともにピュアサイエンスである自然科学の学問分野に属するが、その中にあってもやはり中枢に位置している。筑波大学生物学類が自然学類と対等の立場にあるのはこのためである。高校までのカリキュラムや高校受験、大学受験においては、数学、化学、物理の方が生物よりはるかに重要視 されている。しかし、自然科学の研究対象となるとこの価値観は一変する。実際のところ、自然科学全般をカバー する国際一流誌(ネイチャー誌、サイエンス誌、米国科学アカデミー紀要)に掲載される論文の2/3以上が生物学 の領域である。しかも生命現象はあまりにも複雑であるため、それを探求する生物学は一握りの天才だけが独占して行うことができる研究領域ではない。その結果生物学には、まさに多様な才能、多様な発想が要求される裾野の広い研究のフロンティアが広がっており、多くの生物学類卒業生が研究者として就職し、さまざまな研究領域で大活躍している。

全国最大規模を誇る筑波大学生物学類の特色

 生物学類の最大の特色は、一学年の学生定員80名、教官数56名と全国最大規模を誇り、学べる領域が多岐に渡っているため、学生が選択できる専門分野の数が多いことである。しかも以下の2点は他のどの大学にもない生物学 類独自の極めてユニークな特色である。

(1) 基礎生物学を重要視したコース(基礎生物学コース、機能生物学コース):生物学のバックボーンとなる学問分野で、多くの国立大学では改組リストラによって消滅させた系統分類学や環境生態学など、生命現象を生物集団レベルで統合的に解明していこうとする統合生物学を主体とした基礎コースが中核となっている。もちろん最近の伸 展が目覚ましいゲノムサイエンスや遺伝情報発現系、シグナル伝達、神経生理など、分子生物学的手法を用いることで生命現象を分子レベルで分析的に解明していこうとする情報生物学が中心の機能生物学コースも充実している。

(2) 学際生物学を重要視したコース(応用生物化学コース、人間生物学コース):他大学の生物学科は組織上、数学、 物理、化学、地学とともに理学部の一学科として存在するのに対し、本学では生物学科だけが生物学類として独立 し、学際性を特徴とする第二学群に所属している。このアドバンテージを存分に生かしたのがこれらのコースの特色で、数学や物理学より生物学の応用分野である農学や医学との接点の方がより強い。応用生物化学コースは生化 学や酵素化学、人間生物学コースはウイルス学や免疫学の講義も取り入れているのが特色である。

 多くの大学の生物学科は改組によって何と基礎生物学の分野をリストラし、分子生物学のような売れ筋の分野のみを集めた単純なコンビニ・カリキュラムに変身している。これに対し生物学類では本学類の長い伝統にはぐくま れた基礎生物学の分野を大切にしているだけでなく、流行の分子生物学はもちろん、他大学では全く手を着けていない生物学と農学や医学など実用的学問との融合分野を精力的に取り入れた学際的なコースも開設している。このようなそれぞれのコースの多様な特色は、様々な個性と可能性を持つ学生諸君の要望に十分対応できるものであり、生物学類生や卒業生だけでなく社会からの評価も極めて高い。

生物学基礎研究の重要性

 実用的学問の場合、たとえば品種改良、再生医療やクローン技術などその研究に莫大な経費を必要とするが、同時 に莫大な利益にもつながる可能性を持つことから、時として企業の研究施設の研究の方がはるかに先端を進んでい る場合がある。しかし、ピュアサイエンスである生物学では、基本的には研究目的を直接利益につなげるという意 識はない。大切にしているのはあくまでも生命現象の解明なのである。したがって利益と結びつかなければ誰も投 資をしないため、基礎研究の多くは大学の研究施設でしか行う機会はない。ではこのような基礎研究、つまり研究 のための研究にどのような意義があるというのだろうか。

 基礎研究は単に実用(応用)学問の基礎になるから重要であるということだけでは決してない。基礎研究は多くの人々の好奇心を満足させ、ロマンと感動を与えるいわば文化として重要な側面をもっている。しかし、基礎研究 の最も重要なポイントは別にある。実用研究がはじめから人間の利便性を人間の英知で追求し達成しようという戦略を取るのに対し、基礎研究は人間の英知を直接利益につなげない。しかし基礎研究の裾野が広ければ広いほど、偶 然思いもよらず実用面の輝きを持つ場面にしばしば出くわす。「瓢箪から駒」、この偶然こそが基礎研究に人間の英 知をはるかに越えた爆発的価値を時としてもたらすのだ。大学での、そして大学でしかできないこのような基礎研 究の魅力はまさにこの点に集約されている[1]。

参考文献
  1. 林 純一 ミトコンドリアがつくるミステリー  講談社ブルーバックス 2002 印刷中
Contributed by Jun-Ichi Hayashi, Received August 1, 2002, Revised version received August 21, 2002.

©2002 筑波大学生物学類