つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: TJB200312HW.

特集:下田臨海実験センター設立70周年記念

渡邊 浩 筑波大学名誉教授

(元下田臨海実験センター長、動物発生学)

 一番の思い出は、私が使っていた実験材料のホヤは室内ではまだ飼育することができないのです。したがって、センター前の鍋田湾の生簀にホヤを全部飼ってある。台風が来ても台風の直前まで行かねばなならい。台風が過ぎたら、またすぐ行かねばならない。そのようなことをずっと昔から繰り返しておりまして、それが今、苦楽一如の研究生活での懐かしい思い出です。

 私の行っていた研究の一部は、いわゆる群体性のホヤの無性生殖です。1950年、鍋田湾の先端「のろし」で、新種(?)と思われた群体性のホヤを見つけました。丘浅次郎先生(進化論者)の文献を調べてみると、これは和名でキクイタボヤという名前が付いていました。これをスライドグラスにつけて、生殖過程を観察していると、血球(hemoblast)から、体細胞もできるし、生殖細胞にも分化することを発見したわけです。つまり、同じ血球がある場所で育てば、そのまま新しい個体を形成し、他の場所で育てば卵・精子となり、受精されて新しい個体を作る。このことはラマルクの「獲得形質の遺伝」を容認することになるわけで、正統派生物学者からみたら「とんでもない」と言われるに違いありません。私が自分で言うのもおかしいけれども、「我と我が目を疑へり」の大発見であったと思っています。

 もう一つの研究は、群体ホヤの自己・非自己の認識(群体特異性の問題)です。免疫の専門家であるメルボルン大学のバーネット教授(ノーベル賞受賞者)が、『nature』(1971)にこの現象を紹介してくれて、大変褒めてくれました。私たちのやっていることが何であるか、免疫の起源を探っているのだということを紹介してくれて、ようやく日本人の研究者も関心をもつようになり、これは面白い研究だということになったのです。

ホヤの群体拒絶反応の研究を紹介したネイチャー誌の表紙と論文表題

 日本の科学というのは、いっぺん外国へ輸出して逆輸入しなければ評価されないと言うことは、誠に情けないと言うか、科学のレベルはまだまだ低いと当時、私は実感したものです。

 アガシー(米国の動物哲学者)の“study nature , not books”(自然を学べ、書物を学ぶな)という有名な言葉があります。これは権威に盲従、盲信するなという意味です。「はてな?」というクエスチョンマークをつけて生物現象を看るという基本姿勢が、私は最も大切であると思います。

 実験所あるいはセンターを水力発電所に譬えて言いますと、ここで、水力発電をするということは、研究するということなのです。次に、送電するというのは、研究したものを学生に流す(教育)わけです。だから、研究なくして大学教育はあり得ないというのが、私の昔からの一貫した考え方です。

 ここのセンターのいいところは、自分の好きな研究を誰からも束縛されることなく、自由に研究ができることです。例えば、ヒトゲノムの解読のみが研究ではありません。これは分子生物学の第一歩であって、これで問題が解決したと思ったら大間違いであると思います。どのような研究でも、“etwas Neues”(独語)少しでも新しいことがあれば、それは立派な独創性ある研究だと私は思っています。センターはそのような研究・教育の場であってほしい。流行に従うのではなくて、流行となるような研究分野を拓くことが最も大切であると思います。終わりにセンターの今後の発展を祈ります。

Contributed by Taketeru Kuramoto, Received October 21, 2003, Revised version received October 28, 2003.

©2003 筑波大学生物学類