つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 146-147.

特集:入学

フレッシュマンの皆さんへ

町田 龍一郎 (筑波大学 生物科学系)

 桜の咲く中、例外なくすがすがしい皆さんの姿、こちらまでなんだか嬉しくなってきてしまいます。そのような皆さんにメッセージを贈ります。

 私は生き物が好きでした。ですから大学では生物学科動物学専攻(東京教育大学の最後です)にすすみ、動物系統分類学を学ぶために筑波大学の大学院に進学、菅平高原実験センターで昆虫の系統進化を比較発生学・形態学という手法で研究、紆余曲折ありましたが、学位をいただきました。研究材料としたのは真正昆虫の中で最も祖先型に近いとされる、昆虫が翅を獲得する以前の体制をとどめる、イシノミ目という原始的な昆虫でした。それは愉しい時だったし、質はどうあれ、その時自分は確かに一生懸命やっていたという一点において誇りをおぼえました。そしていよいよ研究者としてスタートラインに立とうとしたとき、・・・、職がない!、食っていけない!、結局それは5年以上続くのでしたが。

 私は研究をずっと続けて行きたかったのですが、でも設備の整った実験室や組織学的処理にまとまった時間が必要な比較発生学のような研究は、アルバイトで忙しい身にはなかなかできないのです。しかし、何らかの形で研究の真似事でもしていなければやっていけない、どうしようか考えました。その結果、私が大学院で材料にしたイシノミ類、これは日本には専門家がいずに、そして選んだ種がどうも新種らしいということで、研究の最初に分類をせざるを得なかった、初めは面倒で嫌だったのですが仕方なく分類の勉強をし、それを記載したのでした。そして、そんなことをした「お蔭」で私はイシノミ類の分類の専門家ということになり、同定依頼がしばしば舞い込むようになっていました。あまり最初は乗り気の研究ではなかったのですが、人にせかされて勉強し面白くもなってきたのです。そう、職を待つこの時期に、このイシノミ類の分類をやったらいいのではと。空いた時間で採集に行き、自宅でプレパラートを作り、実験センターから借りてきた顕微鏡で観察しスケッチするのです、これならできる。

図1 ヒトツモンイシノミ Pedetontus unimaculatus Machida, 1980

 そのようなアルバイトとイシノミの分類を行き来する生活を続けていたのです。やっているといままで良く分からなかった種の特徴などがみえてくる、どんどん面白くなって夢中になってくる。比較発生学にこだわらなくてもいい、生物学ができているではないか、そして分類学も素晴らしい、となりました。

 分類学というのも総合的な学問分野で、その種の違いなどを理解するためには例えば生態学的な見方も必要です。その種の行動、分布、好む環境、植生・・・・、色々あります。私は大学時代は動物学しか専攻してこなかったものですから、植物の名前など皆目分からない、でも必要に迫られ、というより分布の違い、好む環境、植生の違いなどをはっきり理解したいとの「向学心」で勉強しました。そしてそこそこ植生の違いを口にだしていえるくらいになった頃でした。相も変わらず時間をみつけて採集に山々をさまよっていたとき、いままでただ「緑色」であった山が、「そうではなかった」ことに気がついたのです。それぞれの植物が個性をもってそこにある、自身を主張しているのです!、それらの樹々、草花が個性を主張して私に迫ってきていたのです、圧倒されるようでした。「眼から鱗」という言葉はありますが、そんな生優しいものではなく、心が激震するような感情でした。私は生物を、自然をもう一歩深く理解できたのだな、と感動しつつ、「良くぞ生物学を選び勉強してきた」と思いました。ここにあって、比較発生学、分類学、そして○○学などとの境界はどうでも良く、要はどの分野であれ生物に対する洞察を深め得ればいいのだと、分野とは生物・自然を洞察する一つ一つのツールにすぎないのだと。

図2 ヒトツモンイシノミの胚膜の胚発生に伴う変化(Machida et al. (1994) J. Morphol. 220)。このイシノミ類の胚膜の検討から、現在の私の重要な研究テーマの一つ、「節足動物における胚と胚膜の機能分化に関するの進化的変遷」に関する議論が萌芽しました。

 そのようなことをしながら、やっとのことで菅平高原実験センターに職をいただきました。分類学も継続しましたが、私の本業との自負もある比較発生・形態学的アプローチによる昆虫類の系統分類学に没頭したのです。そして、思い出にふけるほどにはまだ退官も近くありませんが、その当時、やった研究達は私にとって最も可愛いもの達となりました。そんなときです、自分の周りの事物、現象、それは生物関連のことだけでなく、社会科学や、さらには極めて世事がかったことまでも含め「俺は系統進化学的な、生物学的視点・立場で思考している」、「物を理解しようとしている」ということに気がつきました。私の思考が動物系統分類学に、いや生物学に拠っていると!

 私はこの何年か前、生物学の分野は何でもいいのだ、それは自らの自然観、生物観を築くツールであった、と気づいたのでした。そして今、生物学を含めた学問とは自らの自然観などにはとどまらない、人生観、世界観などのもっともっと広い○○観を築くための物、そのためのツールであったのだ!、と思い当たったのです。そして「良くぞ学問の道を歩んできた」と!

 皆さんは学問・科学として生物学を選ばれて大学に進学された、これは素晴らしいことです。そのような自らの広範な○○観を培うためのツールを得る、可能性を秘めた入学なのです。ですから、勉強して下さい。「このような学問をして何の役に立つのだろう?」などと考えるのはかなり検討違いなのかもしれない。元来、学問とは「効利的・実利的」に議論されるべき物ではなく、そして優れて個人主義的な物なのでしょう。敢えて突き詰めた物言いをするのですから誤解無きように、学問とは人のためでも、社会のためでも、役に立つためでも、ましてや名声を得たり富を得たりするためのものでは断じて無い!、きっと、自らをさらに豊かに、美しくするためのものなのです。皆さん、お互いに学問をし、そしてどのような将来であろうとも学問することを忘れずに、年をとるに従いさらにさらに豊かに、美しくなろうではありませんか。

 皆さん、サークルやクラスで友達をつくる、とても大事です、そして病気や怪我をしないで、自分を大切にして健やかに大学生活を楽しんで下さい。そしてその中に欲得もなく学問するあなた自身を据えることができたら・・・、素敵です。

Contributed by Ryuichiro Machida, Received April 18, 2003.

©2003 筑波大学生物学類