つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 166-169.

理科教育の現場から

高校で生命科学を必修に!新科目『生命』の創設 〜スーパーサイエンス・ハイスクール立命館高校の挑戦 (1)〜 新科目『生命』はいかにしてつくられたか

久保田 一暁 (立命館高等学校)

 立命館高等学校は、2002年5月、日本全国の25高校とともに、文部科学省からスーパーサイエンス・ハイスクール(以下SSH)の指定を受けた。その特色の一つは、生命科学の基礎的素養を高め、いのちを大切にする科学的視点を学習させることを目的とした学校独自科目『生命』を設置し、これを高校2年生の必修科目にしている点である。  これから、「つくば生物ジャーナル」の紙面で、この新科目『生命』の内容や取り組みについて、何回かのシリーズで紹介していきたいと思う。初回の今回は、SSHとしての立命館高校の簡単な紹介と、この新科目『生命』を創設するに至った背景について報告する。 

1.はじめに 

 立命館高校は、京都市伏見区の丘陵地帯にある男女共学の進学校で、1学年8クラス(約350人)、全校で約1050人の大規模校である。中高一貫の私学として人気が高く、他府県から通学してくる生徒もかなりの数に上る。立命館高校からは独自の推薦制度によってほぼ全員が立命館大学に進学できるため、そのゆとりを生かしてクラブ活動や生徒会活動などが極めて盛んである。

 本校では、従来から理系へ進学する生徒が多かったが、1998年度から始まった新カリキュラムづくりの議論の中で、科学的なものの見方や数学的な解析力がすべての学習の基礎となるような教育づくりができないかと考えてきた。そして、学習指導要領の改訂にあわせて、中高大連携から大学院進学までを見通した大胆なカリキュラム改革を実施した[1]。

 2002年度からスタートしたその新カリキュラムの中で特筆すべきものは、スーパーサイエンス・プログラム(以下SSP)の実施である。このプログラムは、高校2年生の生徒が毎週、立命館大学びわこ・くさつキャンパス(BKC)に通い、最先端科学研究入門(マイクロマシンテクノロジー、環境工学入門など4コースがある)などハイレベルな学習に1年間継続して取り組むものである。現在、SSPには2年生の理系生徒から志望理由書の提出と面接を経た63名が参加している。3年生になると、SSPの内容はさらに専門化し高度な内容となる。SSPに参加する生徒の多くは、将来の目標を明確に持っており、彼らからは「とても難しいが面白い」ときわめて好評である。このSSPは、将来の大学での単位認定のみならず、飛び級、低年齢での博士号取得、さらには立命館大学が3件採択されたCOE分野への人材育成なども視野においている。  新カリキュラムの第二の特徴的な取り組みは、独自科目『生命』を開発し、これを高校2年生に必修で学ばせている点である。この『生命』については、後ほど詳述する。

 この2点を初めとする教育計画全体が評価され、立命館高校はSSHの指定を受けることとなった(2002年5月)。その後、SSHとしての活動は、尾身幸次元科学技術政策担当大臣や椎名武雄日本アイ・ビー・エム株式会社最高顧問らを招いての連続講演会、バイオインタハイ高校科学論文コンクール最優秀賞受賞、生徒のアメリカ研修、物理のe-learningシステムの構築など多岐に渡っている。

2.新科目『生命』設置の背景

 21世紀は『生命科学の時代』であるといわれる。

 私たちが毎日手にする新聞でも『遺伝子組み換え』や『クローン』など、生命科学に関する記事が載っていない日を探すのが難しいほど、生命科学は私たちの生活や社会と密接な関係を持つようになっている。また、生命科学は非常に幅広く、臓器移植や遺伝子治療などの医学分野、品種改良や遺伝子組み換え作物のような農学分野、生分解性プラスチックなど応用化学や工学分野、さらには生命倫理など一部の社会的問題も包含している。医学系や生物系に進学する生徒はもちろんのこと、我が国の将来を支えるすべての若者にとって、生命科学は必要な一般常識と言える時代が来たのではないだろうか。

 さて、我が国では2003年4月から実施された高等学校の学習指導要領で、『物理氈x、『物理』、『化学氈x、『化学』、『生物氈x、『生物』、『地学氈x、『地学』、『理科基礎』、『理科総合A』、『理科総合B』の11の理科の科目が設置され、このうち『理科基礎』、『理科総合A』、『理科総合B』から1科目以上を含む2科目を最低限履修することとなった[2]。

 これら11科目の中で、生物に関係する科目は3つである。難解な言葉を極力用いず、生物学入門ともいうべき内容の『生物氈x、RNAスプライシングやPCR法などこれまでにない専門性も含んだ『生物』、地球と生命をテーマに自然界を総合的に学ぶ『理科総合B』、それぞれに魅力的な科目であり、各社からすぐれた教科書が作られている。  しかし、立命館高校で、単に『生物氈xを必修にするのではなく、学校独自科目『生命』の開発に踏み切ったのはなぜか。それは、以下の観点を含む新しい科目を編成する方が、本校の生徒にとって、より効果的なのではないかと考えたからである。

3.『生命』の学習内容の検討とその観点 

(1)高校生物の内容を『必修にすべき部分』と『それ以外』に分ける

 2002年度から始まった新しい学習指導要領では、遺伝子の働きなど生命科学の重要なテーマの多くは『生物』に含まれている。『生物』は『生物氈xを選択した生徒の中から、さらにその一部の生徒しか選択しないと考えられるため、我が国では遺伝子が働くしくみ(セントラルドグマ)やバイオテクノロジーの原理など生命科学の重要事項は、ごく一部の高校生しか学ばないことになってしまう。

 また、中学校の教科書からは『遺伝』や『進化』が削減され、高校へ移行してきたが、高校の理科はすべて選択科目であり、履修のしかたによっては、我が国では、これらの内容をまったく学習せずに社会人になる若者が層として出てくることになる。

 そこで、本校のように中高大一貫教育の環境下にある中では、中学あるいは大学との連携を取りながら、高校の生物の教科書に掲載されている内容(分子レベルから生態系レベルまで)を『21世紀に生きるすべての生徒に学ばせておくべき内容』と『選択した生徒が学ぶべき内容』に分割し、前者を必修の『生命』に盛り込むのがよいと考えた。そして、後者の内容は『選択生物』として3年生で選択させることにした。その結果、細胞の構造と機能の他、遺伝、免疫システム、遺伝子の働きとバイオテクノロジー、生態系のしくみ、地球と生命の進化などを『生命』の中に入れ、全員に学ばせることにした。

 このように高校の『生物』を『生命科学中心の必修部分』と『それ以外の選択部分』に分ける考え方は、京都大学大学院生命科学研究科の柳田充弘教授も著書『いのちのサイエンス 生命科学はこんなに面白い』の中で提案しておられる。少し長いが、許可を得たので引用したい。『いっそのこと、高校では「生命科学」を理科の必須に近いかたちで教育したらどうでしょうか。生命科学は、健康、福祉、食品、自然環境、農林水産業を当然として他の工業等の産業全般にまたがってかかわり、その知識の実人生での有用性はきわめて高いのです。必須的な生命科学と選択性の博物学的生物学の二本立てはどうでしょうか。[3]』私たちはこの柳田教授の意見にまったく同感である。

(2)プレゼンテーション能力を育成する

 第二の観点は、『教えてもらう学習』から『自ら探求し、発信する学習への展開』を目指すということである。本校の生徒の中にも『先生に丁寧に教えてもらえば理解できる』が、自らテーマを設定したり、自らの力で探求したり、さらにそれを発表したりという部分に弱さのみられる生徒が多い。これは、これまでの教育方法の反省点でもある。

 そこで、生徒の持つこのような弱さを克服し、大学で必要となる『プレゼンテーション能力』の育成にも寄与できる取り組みを創出した。それが情報機器を用いてのプレゼンテーション・コンテストの実施である。これは、生徒同士のコミュニケーション力やパートナーシップを育成する観点からグループ単位での取り組みとした。このプレゼンテーション・コンテストは、これまでの選択の『生物氓a』の授業の中でその有効性が2年間に渡って確認できたため、『生命』の中でも実施することになった。

(3)科学的な健康教育、性教育などの必要性

 第三の観点は、学校教育の中で、健康や性などを科学的立場から学ぶ場面が必要なのではないかと考えたからである。我が国で、今も不気味に感染を広げているエイズに対する予防教育もその一つである。免疫システムとの関連から学べば、エイズの恐ろしさがより理解できるであろうし、HIV感染のメカニズムをきちんと知れば、予防法にも納得し、自らやパートナーの体を守る行動につながるであろう。こういったことは、入試に出題されるかどうかに関係なく、すべての若者に教育しておきたい内容であり、実際に米国の高校生物の教科書では、ヒトの健康維持、エイズ感染のメカニズム、喫煙と肺がん、向神経性薬物の脳にもたらす影響、アルコール中毒が与える胎児への影響等、「生物」を学ぶことがいかに生徒たちのこれからの生活に資するかが具体的に示されている。立命館高校では、保健主事との協議の上、『性』や『ヒトの誕生』、さらには『エイズの感染と予防』などについては『生命』の中に盛り込み、保健体育科とも連携しつつ科学的立場からきちんと学ばせておくことになった。

(4)生徒の学習ニーズをつかむ 

 最後に、こちらが準備した教育内容が、生徒の学習ニーズとあまりにもかけ離れていてはいけないと考えた。そこで、生徒の学習ニーズを掌握するために、2002年12月に本校の1年生全員を対象にアンケートを実施した。実施にあたっては、大阪教育大学教育学部附属平野学舎の吉本和夫教諭の調査方法を参考にさせていただいた[4]。これは生物の22の分野から、各生徒に自分が学びたいと思う項目を5つ以内で選択してもらい、その思いの強さの順に並べてもらうものである。生徒がもっとも強く学びたいと思っているものを5点、次を4点、という形で集計を行った。その結果をまとめたものが表1である。表1からは、生徒が学びたいと思っている内容の多くは『生物』で取り扱う内容であることが読みとれる。しかも驚くべきことに、上位4つについては大阪大学教育学部附属平野学舎での調査結果と完全に合致しており、これは高校生の一般的な意識に近いものと推測できる。この調査結果も大いに参考にした。

4.新科目『生命』の内容

 このような検討をふまえて、『生命』では、次のようなねらいと実施計画をまとめ、授業で用いるための独自テキスト(約300ページ、目次は表2に示す)と年間指導計画の作成を行った。

(1)『生命』のねらい 

@ 自分自身のからだの成り立ちやしくみを科学的に学ぶことを通して、生命に対する正しい知識を身に付け、自ら、そして他者の存在を大切にして、倫理観にもとづいて行動できる思慮ぶかい人材を育成する。
A 遺伝子のはたらきを体系的に学び、『遺伝子組み換え』『遺伝子治療』など現代的課題の原理や利点・問題点などを理解できる基礎学力を養う。
B 生命科学を題材としたグループでの調査研究および発表学習を通して、情報活用能力、プレゼンテーション能力を養い、今日的課題に対しての自分の意見を発信できる能力を身につける。

(2)『生命』の実施概略

@ 前半(1年間の2/3 約50時間)
 講義、実験観察、映像教材、コンピュータシミュレーションなどを組み合わせ、細胞や遺伝子を軸とした“いのちのサイエンス”としての学習を進め、生命科学の基本をしっかり身に付けさせる。
A 後半(1年間の1/3 約20時間)
 自ら情報を集め、探求、発信できる力を養うことを目標とする。生徒が数名のグループをつくり、情報機器を駆使しながら、自分たちで決めたテーマに基づいての調査探求学習(フィールドワーク、自主実験を含む)に取り組む。その成果をプレゼンテーション・コンテストの場で発表させる。この取り組みを通して、立命館高校の生徒が全員、高度なプレゼンテーション力を身につけることを目指す。

5.まとめにかえて

 本校の独自科目『生命』はまだ始まったばかりであり、今後さらなる検討を加えてより充実したものにしていきたいと考えている。テキストについても毎年改訂を進め、年々完成度を高めていく予定である。

 『生命』の実施は、「高等学校で生命科学を必修で学ばせる時代が来たのではないか?」という立命館高校からのメッセージである。この考え方に理解を示してくれる人が増え、できれば近い将来、我が国の教育システムに反映されればと願う。 

 生命科学は、さまざまな産業や環境問題と密接に関係し、さらに私たち一人ひとりの生き方や考え方が問われるものでもある。また、自らの命が長い歴史の中で誕生したことや自らの命が、驚くほど複雑で神秘的なメカニズムで支えられていることを知れば、子どもたちが命の尊さや自然環境の大切さを認識する一つのきっかけになるのではないだろうか。 さらに、生命科学を必修に近いかたちで学ばせることは、資源の少ない我が国にとって、きわめて重要な先端科学技術を支える若い人材を、層として輩出することにも繋がると考える。

参考文献
  1. 田中 博:創造的で斬新な教育システム構築に向けて 〜スーパーサイエンス・ハイスクールの取り組み〜、立命館学園広報ユニタース354:8-9, 2003
  2. 高等学校 学習指導要領 理科、文部科学省 
  3. 柳田充弘:「いのち」のサイエンス生命科学はこんなに面白い、p29、日本 経済新聞社(2000)
  4. 吉本和夫:高校生物教育の問題点をさぐる 〜バイオ時代に対応した生物カリキュラムの模索〜、大阪大学「理科と情報数理の教育セミナー」生物分科会資料、p3(2002)
Communicated by Osamu Numata, Received May 27, 2003.

©2003 筑波大学生物学類