つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 164-165.

理科教育の現場から

高校教育の現場から

浅羽 宏 (東京学芸大学教育学部附属高等学校)

 東京教育大学を卒業して26年が経ち、何時の間にか、職場では年齢的にも上の部類に属するようになりました。お世話になった先生方にも、ご無沙汰をいたすばかりで不義理を重ねております。これから教職を目指す若い皆さんに、現場の教員が考えていることを多少ともお伝えし、恩師の先生方への感謝の気持ちを、ほんの少しですが表したいと存じます。

高校の現場で困ったこと

 大学時代に学問の先端を学び、アカデッミクな雰囲気に触れるのはとても大切なことだと思います。ところが、いったん現場にでると、生徒達は実に雑多な難問を持ちかけて参ります。素朴な疑問は実は恐ろしいことが多く、いいかげんなことを言うと早晩信用をなくします。たとえば、花や草や虫の名前はよく聞かれます。かりに、顕微鏡観察の材料を自分でもってきなさいという指示を出したとします。実験室には、野生植物、帰化植物、樹木の花、栽培品種となんでも集まる可能性があります。単に名前だけですが、聞かれていつもわからないのでは、やがて冷たい視線にさらされるでしょう。その反対に、ノーベル賞が報じられると高度な質問が来ることがあります。現任校に赴任直後、利根川博士が受賞され、当時の3年生に今度の受賞の意義はどこにあるかと尋ねられ、慌てて免疫学を一生懸命勉強しなおしたことがありました。

大学で学んでおきたいこと

 大学時代に多くの実験や実習を学んだことが、その後の教員生活のさまざまな場面で、非常に役立つことが多々ありました。あまり意欲的でなかった私のような学生に、懇切丁寧なご指導をして下さった当時の先生方に本当に感謝いたしております。分類形態学、発生学、生理学、生態学などの講義や実習などが、長く教師をすればするほど、私の生物教師としての根幹をなしているのだといまさらながらに実感しております。高校の授業は、教科書をそのまま平板に講義していくだけならば、多少本でも読めば、誰でもできるかもしれません。私の勤務校はその役割上、多くの教育実習生と接する機会が多いのですが、どうもそのような授業を行う学生が多いように感じます。しかし、教科書の一行の記述の背景にどんな実験があり、準備や方法や技術にどれだけの工夫があるか、といったことは、学んだものにしかわからないと思います。息を殺しての組織切片作成、臨海実習所での夜を徹しての発生観察や山のような生物の分類、ケージ内での電極を駆使しての生理実験、海辺や川での砂や泥にまみれての個体数調査など、今日私が生徒の前で自信をもって述べることができるのは、これらの実験や実習の貴重な体験のおかげです。若い皆さんは、ぜひ本物の実験や実習に取り組んでいくことをお勧めいたします。現場にでると、なかなか生物三昧の時間を過ごすことは難しいのです。

自分の研究テーマをもつこと

 高校生にとって、自分の教わっている先生が何らかの専門家であることは、いろいろとプラスの面が多いように思います。私の場合は、卒論・修論以来、菅平で安藤裕先生に幅広い昆虫学の熱心なご指導をいただき、無翅昆虫の発生を多少は手がけることができましたことが、何にもまして確かな自信となっております。先生には大変申し訳ないことに、その後は生来の不精と怠惰のために、研究現場からは全く遠ざかってしまいました。それでも、高校教科書には昆虫の発生が少ししか出てこないと嘆いたり、時々思い出したように虫を飼って、卵を生ませようとしたりすることもあります。そんなわけで、私自身は研究とは無縁で大層なことは言えないのですが、研究の方法や論文の書き方読み方などは、厳格にご指導いただいたせいで、まだ体に身についているようです。かつて自分自身で多少の研究活動をしたことが、高校生へのレポートの書き方の指導などにも良く活用できているように思います。

学校に雑用はない−謙虚に誠実に仕事を−

 学校の教員は雑用が多くて忙しい、という言い方がありますが、私はそれは甘い考え方だと思います。生徒指導上の対応や取調べ、家庭訪問と指導、清掃や部活指導、公務分掌の雑多な業務、保護者との対応、採点、その他いろいろな業務があると思います。しかし、これらの総体が現行の学校教師の仕事であり、すべては雑用ではなく本業なのです。大切なのは、今何をしなければいけないか、という優先順位ですが、どれもこれも手を抜けないことばかりです。安易な対応が破滅的な結果を招く恐れも十分にあります。特に生命や安全などに関わる点では、生徒さんを預かっており、自分が教師で給料をもらっているという自覚のもとに、謙虚に誠実に迅速に仕事を勧めるべきだと思います。だからこそ、専門教科の部分は紙とチョークだけでも授業ができるほどになっているべきかもしれません。こんなことをいうと、時代錯誤だ、とかそれは正統的な理科ではない、とかのご批判を浴びるかもしれません。しかし、教えるということ、生物の面白さを次の世代に伝え、語る、という原点に帰れば、情熱と言葉と実物の生き物があるだけでよいのかもしれません。パソコンもビデオも最新の施設・設備も、優秀な伝え手が欠けた場合には、突然に色あせてくるような気がするこのごろです。

 勝手なことを書き連ねました。勉学中の若い人達に、若干なりとも参考になるところがありましたら望外の幸せです。教育界は若く熱心な、やる気のある人材を求めています。教員志望の皆さんは、決して諦めずにトライしてください。道はきっと開かれることでしょう。

 最後になりましたが、皆様方のご活躍と、お世話になりました諸先生方のご健康とを心よりお祈りいたしております。

Communicated by Osamu Numata, Received April 28, 2003.

©2003 筑波大学生物学類