つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2003) 2: 188-189.

特集:動物生態学研究室の人々

「生きものはおもしろい!」・・・・・未来を担う学生さんたちへ

彦坂 和秀 (愛知県立岡崎高等学校)

 「生きものはおもしろい!」生き物が好きだから生物学類で学んだ。それを高校生たちに伝えることが私の使命です。「好き」ということにもいろいろあって、野に咲く花をちらっと見るような“ふと目に止める段階”から、どうなっているのかと立ち止まって“調べてみる段階”、感動して克明に記憶する“記録する段階”、観察や分解する“分析の段階”、食べてしまうほど身近に感じる“独占段階”があるように思います。生物学類の仲間たちには、しばしば最終段階の食べてしまうほど生き物を好きになってしまった人がいるようです。大学では生き物が「好き」だから研究するという動因では許されません。研究者には物事を深く知りたいという強い欲求と、それを実現するだけの知力、体力が要求されます。生物学を学んだ者は生き物を“材料”といい、問題を解決する手段としてその材料を研究に使うのです。正しい理解のために材料を知らなければならず、研究者は徹底的に材料を調べ、知るために材料を「好き」になり、食べたりもするのでしょう。最近もある生物学類のOBから「ハエの卵を食べた」ということを聞きました。

 今日では、遺伝子レベルまでよく研究されている生物はキイロショウジョウバエ、ゼブラフィッシュ、シロイヌナズナ、線虫、イネ、ヒトくらいでしょうか。多くの研究者が材料としてこれらを選び、遺伝子がどのようなことを引き起しているのかを調べています。ここには「好き」ではなく、方法として「使える」とか「面白い」とかの感情があるのでしょう。では何が面白いのでしょう。知らないことが分かることが面白いのではただのガリ勉なだけで、分かりたいことを自分の設計した筋道で分かることが「面白い」のではないでしょうか。

 筑波大学生物学類を卒業してもう17年が経ちます。大学で学んだことは「ものの向こうには見えない本質」があることを知ったことで、そこを知ることが「面白い」ということです。生物学類ではそんな見えない本質に迫る勉強が出来たように思います。私の学んだ生態学という分野では自然現象や生き物の記載にエネルギーを費やすに留まり、本質の理解につながらないこともしばしばでした。「何が知りたいんや」と当時の卒論担当の藤井宏一助教授(現教授)はよくおっしゃいました。学問としての生態学の使命、即ち抽象化という科学の本質に迫る方法を考えさせて下さったように思います。自然や生き物が「好き」だと思っていた自分にとって、「好き」では済まされない学問の世界を、そして、初めて自然を分析的に見ることを教えていただいたように思います。本質の理解は人生に於いても、とても教訓的です。人々は意志をもってか持たずかいろいろな営みを行い、様々な人生があったり社会や文化があったりします。それらには目に見えない原因が必ずあります。因果関係の説明ができるのです。科学は自分の人生や社会の説明や解明にも似ていると思うのです。

 最近、愛知県ではこんなお話があります。ナガバノイシモチソウは、湿地に自生するモウセンゴケ科の1年生食虫植物ですが、全国でも非常に珍しい赤花種が県内に自生しています。絶滅に瀕したこの植物を保護しようという試みのために、そこに自生するこの植物のクローンを移植したということがありました。他地域からの移入では本来の在来種が駆逐されるという危惧から、あるいは、そこにあった植物をそこに増やすという純粋な発想からでしょう。多くのマスコミや教科書にはクローン技術の功罪の“功”として、希少生物の回復を挙げていたものですから無理もありません。素晴らしい試みと考えられたのですが、その後DNAの診断から重大なことが分かりました。集団内の遺伝子の均質化の進行です。実はこのクローン種が繁茂するにつれて集団内の遺伝子の組成が一様になり、狭い湿原では瓶首効果で遺伝的浮動が起こりやすくなってしまうのです。僅かな突然変異遺伝子が集団内に増えることで奇形が生じたり、集団全体の均質化で環境の変化に耐えきれなくなるということです。やがては絶滅も起こりうるのです。今までは個体数が少ないながらも遺伝子の多様性は保たれていたのでしょうが、むしろ、逆の効果を生んでしまったのです。今では愛知教育大学の渡部幹男助教授らの警鐘によって元への回復がなされています。最近の生態学において、遺伝子DNAの分子レベルの調査から理論を裏付けることが出来てきたということです。また、材料生物のゲノム分析が進めば、様々な生物の形をつくる遺伝子は勿論のことですが、様々な生き物の振る舞いを引き起こす遺伝子も次々と分かってくることでしょう。今後はナガバノイシモチソウのような集団遺伝学の知見から正しい自然の復元や保護の方法が模索されることになります。世間一般で善と思われることも「ものの向こうの見えない本質」を知ることで真実の善が行われるのではないでしょうか。

 ところで、私の大学生時代、当時としては(今でも)斬新な生物学単独学部“生物学類”では、教育内容も新しく、環境も素晴らしく良かったことは卒業してからひしひしと感じました。同期の教員の中にあって、自分が身を置いた筑波大学の教育内容や環境が素晴らしかったことや、多くの体験ができたことを嬉しく思い、誇りにも思いました。私はあまり良い学生とは言えませんでしたが、受けた講義の内容は20年近く経った今でも覚えていることが多く、中には印象的な大学の先生のことばまで覚えています。それから、未だに教科書や当時のノートを大切に保管していて、高校生の教材作成に使ったりもしています。当時の基礎生物学A、B(今では講義名が変わっているようですが)の教授陣(千原先生、堀先生、平林先生、岡田先生、渋谷先生)は今思うと一年生の講義としては生物学類の目玉とも言えるスーパーキャストでした。菊池先生の“membrane f l ow”のくだりは高校の授業で細胞を有機的に説明するのに役立ちました。全学向けの総合科目では三島次郎先生の“珍種巨木主義”のお話などは高校生に何が大切かを考えさせるのに役立ちました。山菜やキノコを採りに行く度に前田修先生の入笠山の生態学野外実習を思い出し、フィールドワークの大切さを再認識しました。関文威先生のバクテリアのカウント法や、純水を飲むとどうなるかという話や、平林民雄先生には目を輝かせて研究のお話をしていただきました。堀輝三先生の微細構造学や、原慶明先生の同実習は当時は先進的でした。学生実習で電子顕微鏡を使うことが、私たちにどれほどインパクトがあり、卒業後生徒たちに何度話してきたことか。その類の話は尽きないのですが、何と言っても藤井宏一先生のハードなゼミでは随分ご迷惑をおかけしました。就職後ちょっとやそっとのストレスでは参らない精神力もつきました。

 当時は無知な学生同士でしたが他学類の学生とともに、ものの本質を知るべく何時間も議論し合ったり、夢を語り合ったりしたものでした。夢の一つだった卒論は大学3年生から始めた予備調査から、大学4年生の3月までかかりましたが、微力ながら全力で取り組みました。私の場合は友人(現筑波大学講師徳永幸彦君)との共同研究で、毎日50km以上のバイクや自動車を使ってのサギ類の調査でした。午前中は勉強、午後は野外調査、夜は研究室でデータのまとめといった毎日で、厳しいながらも、充実した毎日でした。自由にやらせていただけた研究室や、知力・体力・精神力ともに最高の共同研究者に恵まれ幸せでした。友に言われたことばを未だに忘れません、「俺は人の3倍勉強するけど、ヒコはどうするねん。」と。卒論の体験は今でも生徒たちに話しをしますし、私自身よく思い出しては日頃の怠惰な生活を正したりしています。

 今勤務している愛知県立岡崎高等学校は、昨年度より文部科学省より3年間の期限で、筑波大学附属駒場高等学校と並んでスーパーサイエンスハイスクールという研究校の指定を受けました。未来を担う研究者の育成を大目標に掲げ、内容は大学・研究機関の研究者の支援を受けながら、高校生の教育を行うものです。研究施設や頭脳を利用して、高度で専門的な研究活動を体験させようというものです。生徒たちとともに学び、様々な分野の研究体験を1年間行ってきましたが、基本的内容からより発展的な内容へ広げていくことで、科学的なものの見方考え方を学びました。そして、今後予期せぬ困難に当たったとき、それを克服する力を身につけることを期待しています。事業の中で多くの研究者の方々と出会い、お話を聞く中で気付いたのですが、どの先生方も想像力に長けており、頭の中のイメージングの世界が広いという印象を持ました。それから、皆さんがおっしゃることは自らの研究を「エキサイティングで面白い!」ということです。いま、私たちのテーマは高校生の科学体験の場に終わらせないこと、自ら推論の設計図を組み立てて証明しようとする姿勢や方法を学ばせること、そして、それを発表できる形にすることで自信を持たせることです。私も今の高校教師という仕事が面白くて仕方がありません。筑波大学で学んだことや、研究者との人脈も大いに役立っており、筑波大学の卒業生で良かったと心から思っております。

Communicated by Koichi Fujii, Received May 1, 2003.

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