つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2004) 3: TJB200403JH.

特集:卒業・退官

平成15年度卒業式生物学類卒業生への祝辞

林 純一  (筑波大学 生物科学系、生物学類長)

 4年生の皆さん卒業おめでとう。今年度の生物学類卒業生に関しては、驚くべきことに4年前の新入生のほぼ全員が卒業するという前代未聞の素晴らしい学年となった。もちろん今日卒業を迎える皆さんの中には4年間ではなく5-6年かけて卒業までこぎつけた方も何名かいるが、途中で投げ出さず、きちんとけじめを付けたことに対し心から敬意を表したい。

 筑波大学の年報や学生生活実態調査報告書によると、生物学類生は例年、全学でもトップクラスの「卒業率」、「進学率」、「満足度」を誇っているが、今年度は特にこれらのいずれもが例年よりさらに高かった。生物学類生の授業に対する「満足度」が常に全学のトップクラスであり続けることは生物学類担当教職員にとって、また生物学類のカリキュラムの評価としても大変名誉なことは言うまでもない。しかし、生物学類生の高い「進学率」や「卒業率」に関してはこれまでほとんど注目されることはなかったが、筑波大学が大学院大学となり、「大学院の教育・研究」にその軸足を移行しつつある中で、各学群・学類の大学院への「進学率」はこれまで以上に重要視されるようになっている。因みに今年度の生物学類の「進学率」は86%で、これは他の学群・学類の中で群を抜いている。

 では「卒業率」(卒業する学生数/4年生在籍学生数)が高いことに意味があるのだろうか。多くの学生が退学せずに卒業することが各教育組織にとって重要な課題であることはいうまでもないことで、退学する学生数が極めて少ないと言うことは生物学類の教育システムが優れていることの一つの証明である。ただし大学教育で最も重要なことの一つは、学生がいかに卒業までに自分の進路決めるのかということで、学生によっては4年間では短すぎて決めることができない場合もある。また休学や留学などをすることで、自らを見つめ直す時間が必要な場合もある。このため何も新入生全員が4年間での卒業を目指す必要はなく、6年かけて卒業する学生がいてもそれはむしろ当然のことだろう。個人個人が持つ個性の多様性こそ重要視されるべきである。しかし進学率が突出している生物学類では、進路が決まらなくても先ず4年で卒業し、大学院に進学することでそこにたっぷりと広がっている時間を使って自分の進路をじっくり考えることを推奨してきた。つまり6年間をかけて学士号をとるのではなく、どうせ同じ時間を使うのならばはじめから6年かけて修士号をとるという戦略が可能なのである。このため生物学類では、学類が提供している学習プログラムを4年間できちんと修了して卒業するというけじめを付けるよう指導してきたし、皆さんはこの方針に見事に対応してくれたと思っている。

 もちろん、在学中に生物学とは関係のない分野に興味が移ることがあっても決しておかしなことではない。生物学類生の中にも生物学以外の分野に興味が移り、退学を希望する学生が稀に出てくる。私たちはその場合でも生物学類をきちんと卒業した上で進路を変更するよう提案してきた。では退学して興味のある分野に進むのではなく、退学せずに卒業を目指すことにどのような意義があるのだろうか。それは本日、卒業生の皆さんにお渡しした卒業証書に極めて重大な意義があるからである。もちろん卒業証書はただの紙切れでしかない。しかし、この証書には社会に対し少なくとも二つの重要なメッセージが込められている。この証書を持つ人間は、第一に物事を途中で投げ出さず最後まで遂行できる能力を持つこと;第二に逆境に耐え英知でそれを乗り越える能力を持つことである。これらはいずれも社会でリーダーシップを発揮する上で極めて重要な能力なのである。

 第一の能力、つまり「やりたくないこと」でも「やるべきこと」は途中で投げ出さずに最後まで遂行できる能力は社会のリーダーとしての信頼を得るためにも極めて重要な能力である。もちろん生物学類を卒業したことだけでこの能力を持つことを証明するというわけにはいかないかもしれない。しかし、私たちの場合、歴代の生物学類卒業生が社会で認められていることが紛れもない証拠なのであり、これは諸先輩が長年かかって築き上げた一種の信頼のブランドなのである。ただし、だからといって学歴にしがみついた消極的な生き方をしないでほしい。なぜなら、残念ながらブランド勝負では東大卒に負けてしまうことがはっきりしているからである。ここは開き直ってこの劣性を逆に利用するしかない。全てをリセットし、背水の陣という緊張感と自ら培った英知をもって社会の荒波を制覇し、社会のリーダーとして活躍することを心から願っている。そして皆さんの努力によって、是非この伝統と信頼の生物学類ブランドをさらに発展させ確固たるものにしてほしい。

 第二の能力、つまり逆境を乗り越える能力も社会では極めて重要となる。社会に出るとこれまで大切にしていた価値観が根こそぎ倒されることがある。そしてこれまで以上に思い通り行かないことに出くわす。皆さんは1年間の卒業研究で何を学んだだろうか?おそらく、自分が予想した通りの結果が出ないという現実ではないだろうか。当然だろう。サイエンスの世界は失敗の繰り返しで、状況証拠から立てた作業仮説がことごとくはずれて残ったのは絶望だけという経験をしてもらうことこそ卒業研究の主たる目的なのである。そして本当の問題はそこから始まるのであり、その失敗を教訓にどう乗り越えるかが問われる。生物学類の卒業研究の真の目的は、失敗の絶望からいかにはい上がるかを鍛錬することなのである。皆さんのほとんどは進学するが、大学院に進学しても、また社会に出てからも、そして就職先が仮に生物学と直接関係のないところであっても、この経験はきっと役に立つはずである。ノーベル賞の受賞対象となった実験の多くは失敗から生まれているように、所詮「人間万事塞翁馬」。素晴らしい馬を手に入れた幸運が、落馬による骨折という不運を招き、骨折という不運が戦争に行かずにすんだという幸運につながる。逆境に置かれた時、絶望の淵からはい上がる時、ぜひこの合い言葉を思いだし試練を乗り越えてほしい。

 最後に一つお願いがある。生物学類の後輩のために、皆さんの人生の節目節目に「つくば生物ジャーナル」に原稿を寄せてほしい。新年度からは筑波大学も国立大学法人となるが、いかにクオリティーの高い教育を生物学類生に提供できるかがこれからの私たちの重大なポイントとなる。生物学類は全学に先駆けて今年度から生物学類生による「TWINSを用いた授業評価」と「つくば生物ジャーナルを媒体とした評価結果の完全公開」の実施を開始した(1)。これは生物学類開設授業科目を担当している教官の授業改善(ファカルティー・ディベロップメント:FD)を目的とした取組である。しかし、カリキュラムの真の価値は卒業した後にこそ問われるべきものではないだろうか。皆さんが筑波大学生物学類卒業生として社会に出て、過去に生物学類で自らが受けた教育を振り返った時、「評価できる点」「改善すべき点」などがあればこのジャーナルに投稿してほしい。かつて、同じ筑波大学生物学類のカリキュラムを刷り込まれた先輩たちが、社会に出てから生物学類が提供したカリキュラムをどのように評価しているのか、私たちとしても是非知りたいところである。卒業生の皆さんからのメッセージを生物学類のカリキュラムにフィードバックさせることで、ゆるぎない自信を持って新入生に生物学類のカリキュラムを提示することができるようにしていきたい。

 また一昨年の本ジャーナル創刊号で述べたが、生物学類生が現在必要としているのはより洗練されたカリキュラムの他に、自分と同じようなカリキュラムで教育を受けた諸先輩がどのような職種でどのような活動をしているのかという最新情報である(2)。生物学類生の中には自分の進路に対して不安を持つと同時に、今何をすべきなのかということに対し明確な方向を見出せないでいるケースが少なからずある。しかし皆さんもご存じのように、生物学類は実に多様な若い才能、資質の宝庫であり、生物学類生一人一人の素晴らしい個性にフィットした職業は必ずあるはずである。価値観がめまぐるしく変化する現代社会の中にあって、実際にどのような職種があり、それぞれが具体的にどのような能力を要求しているのか、大学にいる私たちも正確に把握できているわけではない。だからこそさまざまな職種の、さまざまな立場の先輩たちの生きたメッセージが現役の生物学類生には必要なのである。

 生物学類は自ら発行するこのジャーナルをコアにして、生物学類担当教職員、生物学類生、退職教員、卒業生が一体になって生物学類教育のクオリティーを高め、希望を胸に入学してきた生物学類新入生に充分な満足感を持って卒業してもらうため最大限の努力をしていきたいと考えている。皆さんには卒業後も私たち生物学類との関係を断ち切ることなく、連携して生物学類の発展にも積極的に関与するようお願いすると同時に、教職員一同、皆さんの今後の活躍と発展を心からお祈りしている。

参考文献
  1. 林 純一 教育改革の実験:「つくば生物ジャーナル」による生物学類授業評価の完全公開 筑波フォーラム 66:41-45,2004.
  2. 林 純一 つくば生物ジャーナル、Tsukuba Journal of Biology創刊の経緯 つくば生物ジャーナル 1:2-3, 2002.
Contributed by Jun-Ichi Hayashi, Received March 29, 2004, Revised version received March 31, 2004.

©2002 筑波大学生物学類