つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 38-39.

研究室紹介(その1):マウス遺伝学を用いたヒト疾患研究

米川 博通 ((財)東京都医学研究機構・東京都臨床医学総合研究所 実験動物研究部門)

まずは研究所の紹介から

 私が勤務する東京都臨床医学総合研究所(臨床研)は、元は都立の、そして現在は都の外郭団体(公益法人)に属する研究機関である。臨床研は法人化当時には独立の法人であったが、現在は他の2研究所と併合され、東京都医学研究機構という財団法人に一本化されている。臨床研の研究員は、常勤が約100名、その他に常勤・非常勤流 動研究員(一種のポスドク)、研修生(大学院生・卒研生)を含め、総勢200名程度で研究所としては中規模クラス に属する。臨床研での研究組織は部門制を採っており、現在16研究部門が存在する。部門を主宰するのは部長(6 部門)、または室長(10部門)で、研究の管理・運営・遂行上の一切の責任を負わされている。部門長、特に室長の採用に当たっては、40歳前後の若手を重視してきたため、現在の室長の多くは40台前半、30歳代の室長も存在する。研究は(財)東京都医学研究機構という名にあるように、基礎医学への応用を目指しているが、純然たる基礎研究も盛んである。これまで歴代の所長の方針で「基礎が盤石でないと、その上にたつ応用研究は成り立たない」と いうことが、各研究部門の主宰者に深く浸透しているからでもある。

実験動物研究部門について

 私たちの実験動物研究部門は、他の研究部門と異なり、通常の研究を行う部分と、研究所内のマウス遺伝学に関する基盤技術の提供という部分を兼ね備えている。研究の詳細は後に述べるとして、基盤技術の提供という点では、 @動物飼育施設の維持・管理・運営を任されると共に、Aトランスジェニック(Tg)マウスやノックアウト(KO)マ ウスのような遺伝子改変動物の作製を請け負っている。現在、この基盤技術に関しては、遺伝子改変動物室が昨年度から新設され、実験動物研究部門の管理のもとに運営がされている。従って、臨床研内の1〜2部門を除いたほ とんどの研究部門からの要請があれば、遺伝子改変動物の作製を請け負うことになる。この他に臨床研外の研究機 関の人たちとも、遺伝子改変動物の作製を通じて共同研究をしている。この様な要請を受け、これまでに作製した遺伝子改変動物はおおむね100系統にのぼり、それらの動物を用いて公表された論文も20編近く、その中には、Cell、 Nature、Natureの姉妹誌、JBC、PNASなどの雑誌に掲載されているものもある。

 一方、研究では、「マウスと遺伝学」をキーワードにヒト疾患モデルマウスを用いたヒト疾患の原因遺伝子の解明 が主である。現在対象としているヒト疾患は、ヒトの集団中でも比較的頻度の高いものを選んで行っている。例えば、難聴、白内障、アトピー性皮膚炎や花粉症に代表されるアレルギー疾患などである。研究戦略としては、まず ヒト疾患モデルマウスを用いて原因遺伝子をポジショナルクローニングという方法で単離し、その遺伝子の構造や機能を解明した後、対応するヒトの遺伝子を獲り、そのヒトの遺伝子を用いて、対応する疾患の遺伝子診断等に役 立てたいと考えている。難聴の遺伝子に関しては、最近遺伝子が取れ、しかもそれがヒトのある症候群性難聴の1つの原因となっていることが判明したし、白内障も現在、候補遺伝子の最終的な同定までにこぎ着けている。この成果をどの様に都の医療行政に結びつけられるかが、スポンサーである都から現在求められている。東京都では、都立の大きな病院が多数存在し、難聴や白内障の患者数も多いと予測されることから、都立病産院との共同研究を通 じて、都民医療に役立つ方向を模索している。

遺伝学からポジショナルクローニングへ

 私たちが利用している遺伝学(Genetics)はメンデルに始まるが、この学問体系は表現型と遺伝子の間の因果関係 を研究するものであり、古典的遺伝学(Classical Genetics)では、表現型を支配する遺伝子が染色体上のどこに存在するか、すなわちその表現型の遺伝子座の同定とそれらの連鎖関係から染色体地図上へのその遺伝子座の位置 づけが主なテーマであった。この様にして、ヒトでもマウスでも疾患の遺伝子座情報が次々と蓄積されていった。疾患の遺伝解析が現在のような隆盛を見せたのは、この古典遺伝学での業績の最も大なるものである。

 一方、分子生物学の発展と共に、様々な遺伝子の単離(クローニング)が可能になり、その遺伝子をマウスに導 入して個体レベルでの遺伝子の機能を探る技術、すなわちトランスジェネシスの技術が1980年代に確立され、遺伝学は大きな変遷を遂げた。すなわち、これまで行われてきた「表現型→遺伝子」の流れに逆行する「遺伝子→表現 型」という学問体系の誕生である。その10年後には、単離された遺伝子を用いて、マウスゲノム内の対応する遺伝 子を破壊するといった遺伝子破壊(ノックアウト:KO)マウスの技術も確立され、この流れは確固たるものとなっ た。この様なTgマウスやKOマウス、すなわち遺伝子改変マウスを作製する技術は発生(生殖)工学と呼ばれ、ま た「遺伝子→表現型」の流れで研究を行う学問体系は逆遺伝学(Reverse Genetics)という言葉で呼ばれるようになった。従って、現代遺伝学(Modern Genetics)は、古典遺伝学の流れから発展した遺伝学(Forward Genetics)と上に述べた逆遺伝学(Reverse Genetics)に大別される。疾患の遺伝子の探索という点では、逆遺伝学的手法により多くの原因遺伝子が同定されるようにはなったが、このほとんどが偶然の結果であり、疾患の遺伝子を体系的に クローニングするという状態には至らなかった。

 疾患の遺伝子が体系的にクローニングする技術、ポジショナルクローニングは、遺伝学の流れから出てきた。ポ ジショナルクローニングは、遺伝子座、すなわちある遺伝子の染色体上の位置(ポジション)を手がかりにその遺 伝子をクローニングするという意味である。ポジショナルクローニングの理解には、非常に多くの専門的知識と技 術の理解が必要なので、詳細は他の成書(例えば拙書「マウスラボマニュアル」:東京都臨床医学総合研究所実験動 物研究部門編、シュプリンガーフェアラーク東京)などに譲るが、様々な突然変異マウスからポジショナルクロー ニングの方法により、その突然変異の責任遺伝子を体系的に同定することが可能になった。このクローニング法が開発されたのは、今からせいぜい十数年前であり、遺伝学の歴史の上では非常に新しい。開発当初は、「ポスドク殺 し」といわれ、何人ものポスドクが約10年程度の歳月をかけて行ってきた(その結果、初めに担当した幾人かのポ スドクは論文が無くて、下手をすれば研究者生命を失うというほど過酷なものであった)が、ゲノム科学の発展と共に、最近では2〜3年でできるようになり、ポスドクの期限内にも何とか終わるようにはなってきた。

 我々の研究室が開設されたのが1988年であり、上に述べたように1990年当初当たりからこのポジショナルクロー ニングの技術が海外の学会では話題に上るようになってきた。私は幸いマウス遺伝学の国際学会の設立後数年から加わることができたため、MRCのSteve Brown博士などこの方面の専門家と知り合い、彼らを通じてこの基礎技術 を私たちの研究室に導入すると共に、最終的にはポジショナルクローニング技術が私たちの研究室にも確立できた。 疾患の遺伝子の単離は、この延長上にある。この様な経緯のもとに、私たちの研究室では逆遺伝学とともに遺伝学 (ポジショナルクローニング)も同時に行えるようになった。この2つ遺伝学、遺伝学と逆遺伝学が同じ研究室でで きるという点が私たちの研究室の大きな「セールスポイント」でもある。

Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received September 10, 2002, Revised version received September 11, 2002.

©2002 筑波大学生物学類