つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 16-17.

私の「サイエンス・キッズ」

芳賀 和夫 (元 筑波大学 生物科学系)

ハカセー

 私は、たくさんの仲間を持っている。150人以上もいる。学校が休みの日には、たいていこの仲間と一緒に活動する。仲間はみんな小・中学生だ。「活動」と表現したが社会奉仕活動ではない。一緒にさまざまな体験をするための、 文字通りアクティビティーである。活動時には私は68歳という年令を忘れ、童心とまではいかなくとも仲間との年 齢差をかなり縮めている。さいわい、仲間たちもそう思ってくれている。

 仲間たちは私のことを「ハカセー」と呼ぶ。これは自然発生的にそうなって定着した。私が理学博士であることは知らないはずだし、私自身、決して物知り博士ではないから、私の姓をもじって誰かが言い出したのだろう。語尾をのばし気味にいうところが漫画的でおもしろく、そう呼ばれれば気さくに返事をすることにしている。

理念がない活動

 私が、停年退職後に、しかも方向が定まらない2年間を経た後に小、中学生の相手をするようになった理由は、私自身よく説明できない。

 私には教育に関しての固い理念とか改革への強い意欲があるわけではない。学校完全週五日制への対応を考えたわけでもない。ましてや、地球環境云々といった大きすぎるテーマを見据えて行動を起こすほどの度量は持ち合わせていない。在職時に生物科学系から学校教育部の所属になって、附属の中学校や小学校の授業を参観したり、自分でも授業をしてみたりしたことが根底にあると言えなくもないが、あえて動機を絞るならば、「ヒトアジチガイズム」の なせる業であろうか。他人とは少し違う考え方、生き方をしてみたいという、つまり、ひと味違う発想をしがちだと いう習癖が、私には、ある。

 停年退職した大学教授が子どもの相手をする例は珍しいことではないだろう。しかし、組織に属さず、個人が単独で、年間数十回も子どもたちとつき合うことは、もしかしたら、世間並みとは「ひと味違う」のではないかという発 想が、私を衝き動かしたにちがいない。

 このような大義名分にはほど遠い動機で発足したにもかかわらず、挫折することなく三年間を経過して、現在、無事に(?)四年目のメニューをこなしつつある。

サイエンス・キッズ

 私の仲間たちをネイチャー・キッズではなく「サイエンス・キッズ」と名づけたのにはわけがある。

 私の少年時代は太平洋戦争の最中だったが、生まれ育った武蔵野、集団疎開先の福島、家族疎開先の山形では自然に恵まれ、私は「昆虫少年」になった。それは進路に影響したが、後に、興味の範囲を狭めすぎたという反省にもつ ながった。子どもは、きっかけさえあればいろいろなものに興味を持つ。いろいろな体験に目を輝かす。子どもはで きるだけ視野を広げ、さまざまな体験を積み重ねた方がよい。

 停年を迎えて、専門分野のくびきから放たれてみると、あたかも少年時代の不足を補うかのように私自身の興味が広がった。生物学各分野は言うに及ばず、物理、化学、天 文、気象、地質鉱物、地理、数学 …。それらを一緒に体験する仲間だから、ひっくるめて「サイエンス・キッズ」 なのだ。

メニュー

 活動例をいくつかを挙げてみよう。

  • 〔霞ヶ浦ウオーキング〕湖岸を約三キロ歩く。堤防の距離標を使って自分の歩数、歩幅、速度を測ったりする。
  • 〔霞ヶ浦の中を調べる〕霞ヶ浦の水の濁りを五感で確かめる。底の堆積泥をとって匂いをかいだり、手触りを確かめたりし、さらに湖水の味もみる。
  • 〔オリガミクス〕紙を折ったときの数理を研究するおとな向き課題の中から、子ども向きにアレンジしたものを楽 しむ。私の世に問える特技でもある。
  • 〔筑波山の森の中の道〕筑波山中腹のゆるやかな山道を、自然物の謎掛け、謎解きをしながら歩く。
  • 〔キャンパスの自然〕筑波大学構内の水路、池、を使って、安全な場所で水中の生き物を観察する。
  • 〔クワガタムシと仲良し〕土浦市の業者から生きたクワガタを安く頒けてもらい、身体の構造をしげしげと観察し、 三人ずつ組んで、六本脚の歩き方も真似てみる。
  • 〔ウシガエルの解剖〕低学年であろうとキッズ全員1人1頭ずつ解剖する。みんな時間の経つのを忘れる。
  • 〔手づくり楽器〕板と釣り糸と牛乳パックで1弦琴を組み立てて、音階が出るようにする。
  • 〔カメラの分解〕いわゆる「ばかちょんカメラ」の廃棄品を徹底的に分解する。仕組みを調べることよりも工夫しながら分解する楽しさや巧緻さへの驚きを優先させる。
  • 〔放射線の検出〕ドライアイスで冷やしてプラスチックケース内をエタノール蒸気の過飽和状態にした霧箱で、自然放射線の飛跡を観察する。

 などなど、レパートリーは次第に増えて50を超えた。通常、キッズ30人前後を1つの班として活動するため、同 じ内容を2〜4回繰り返す場合もでてくる。

NHKの取材

 生物学類の卒業生には珍しく、産業界に関わる科学評論で名を挙げている赤池 学君が、知り合いのディレクターに話したことから、NHKがサイエンス・キッズを取材することになった。私とキッズのふれ合いを中心に「にんげ んドキュメント」という45分番組に構成するとのことだった。

 取材は2002年の4月中旬に始まり3か月間続いた。特に、5月下旬から1か月半はサイエンス・キッズの活動の すべてがていねいに克明に収録され、私という「にんげん」を描くため、長野県と山形県にも地方ロケに行った。撮 影は、時間にすると番組の百倍近い長さに達する。

 番組は8月1日(木)夜9:15から、NHK総合テレビで放送された。取材当初は、私のローカルな活動が全国 放送の素材として価値があるとは思えないという懸念があったが、何故か視聴者の反応はよく、モニターの評価も高 かったという。このため、アンコールの再々放送も行われた。これはひとえにディレクターの構成力によるものであ ろう。(ポスターはNHK本局内に掲示されたもの)

生物学類生

 ところで、この番組には生物学類生が数人出てくる。いずれも背景にちらっと映っている程度だが、サイエンス・ キッズの活動にはいつも筑波大生がアシスタントを務めている。過去3年半に手伝ってくれた学生をリストアップすると40人を超える。生物資源学類、自然学類、工学システム学類生など、人づてに輪が広がっているのだが、大半 は生物学類生だ。内容によって人数も変わり、カエルの解剖の時には7〜8人も学類の実習で得た経験を生かしてキッズを指導してくれる。野外観察はもちろん、生物に関係ない内容の時も生物学類生は有能かつ熱心である。学生 だけでなく、生物学類の教員や技官の方々にもアドバイスをいただくなど、サイエンス・キッズ活動では生物学類に たいへんお世話になっている。

何を期待しているのか

 NHKのポスターでは「自然科学塾」と表現されているが「サイエンス・キッズ」は通常語られる「勉強」「学力」 の意味の教育ではないし、目標を設定して達成度を云々すべき活動でもないと思っている。反面、「子どもに接する のが楽しいからやっているのでしょう」などと人に言われると、何か不愉快になるから、そんなレベルのことでないことも確かだ。

 かなりの時間と労力を費やして行うのだから、その「成果」を何らかの形で評価し、点検すべきであろうとは思うが、私には評価する気はない。評価の方法も考えつかない。しかし、リピーターが多いことと、初めは親が希望して 子どもを入会させる場合が多いのに、継続を決める時は、子どもが希望するからという理由に変わるという事実が、 もう一年、もう一年と私を駆り立てている。

 ただ一つ、私にも願いがある。それは、科学人が増えて欲しいということである。私が科学人と呼ぶのは、科学者 〈scientists〉を指しているのではない。問題解決に当たって科学的に判断して行動できる人 〈scientifically literate persons〉である。地球市民に科学人を増やすことが、徒な紛争をなくし、また、地球の安泰にもつながるのではないかと思うからである。

◇ 生物学類生、卒業生など、サイエンス・キッズ活動に力を貸してくれる人を歓迎します。メールでコンタクトしてください。

hagak@hi-ho.ne.jp

参 考 
  1. 芳賀和夫,2002.体験の積み重ねが科学の芽を育てる. 児童心理No.772〔8月号〕(金子書房):60-64.
  2. 読売新聞(茨城版)2002.3.31〔サンデー・ブレイク〕. 自然の「なぜ」楽しく勉強(芳賀和夫インタビュー)
  3. 茨城新聞 2002.3.31〔この人と1時間〕. 自然の魅力伝え続け(芳賀和夫インタビュー)
Contributed by Kazuo Haga, Received August 25, 2002, Revised version received August 26, 2002.

©2002 筑波大学生物学類