つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 18-19.

つくば市の国際化を考える

内藤 豊 (元 筑波大学 生物科学系)

まえがき

 林純一学類長をはじめとする筑波大学生物学類のスタッフのご努力により「つくば生物ジャーナル」というオン ラインジャーナルが発刊される運びになったのはまことに喜ばしい。良い雑誌に育つことを祈りつつ元学類スタッ フの一人として貧者の一灯を添えさせて頂く。老化した脳力にむち打って日頃の悪しき考えをまとめ、3回ほど intermittentlyに載せて頂くつもりである。お付き合い頂ければ幸甚である(気泡亭在布哇)。

*気泡亭は私の雅号です。あまり雅でもありませんが。気泡の様に放浪していることと、ドン・キホーテにかけてあります。在布哇は在ハワイです。





はじめに

 もう言い尽くされたと思われているが、国際都市つくば市の、そして日本の国際化とは何かを考えるのは今でも 大事だと思う。国際化には、日本人の外国人に対する意識というソフト面(外国人とどう付き合うかなど)と、外 国人に対する住環境というハード面(道路標識や住居表示などが外国人でもわかるかなど)での改革が必要である。 この論文では、日本人の意識の国際化を論じたいと思う。

日本人の国際化

 思い起こせば、私ども一家が、やや長いアメリカ滞在を終えてつくば市へ移住したのは昭和50年(1975年)5月、 筑波研究学園都市創成期であった。中学2年の息子は竹園東中学校へ入学した。当時の竹園東中学校には、地元桜村の子女に加え、東京その他日本各地から移住して来た研究者・教育者の子女、長期間外国で暮らしていたいわゆ る帰国子女、そして外国人研究者の子女等がおり、なかなか国際色豊かであった。つまり竹園東中学校の生徒は、習慣も、物の考え方もそれぞれに異なる子供達の集団であった。

 一方竹園東中学校の先生方は、この未来都市つくばの中学校では、これまで日本一般で行なわれてきた教育とは 異なる、国際人を育てる教育を行いたいという意欲に燃え、その道を真摯に追及しておられた。先生方の多くは、ど ちらかというと保守的な茨城の方々で、これまでの教育理念とは相容れないことにも挑戦しなければならなかった。 このような中学校に入れて頂いた息子は幸せであった。先生方は、アメリカ風に染まっていた息子の言動をすべて暖かく見守って下さったのである。息子がほとんど何の問題もなく、その後の日本における学校教育を完了出来た のは、まったく当時の竹園東中学校の先生方のおかげと今も感謝している。

 国際化とは実は当時の竹園東中学校のようになることではないかと思う。つまり、世の中には自分と言語も、文化も、価値体系も異なる人がいることを実感し、それを受け入れることなのである。ところが、これまでの日本の 教育理念は、同じ価値体系のもとで皆一緒に進歩しようというものであった。この理念は、第2次世界大戦後の日本の驚異的経済発展をもたらし、日本人が世界の人々と接触する機会を飛躍的に増大させた。それにもかかわらず、 これは日本人を国際化させはしなかった。この理念はむしろ日本人の国際化を阻んだとさえいえる。それは、この理念は必然的に日本社会の均質化をもたらしたからである。均質化された社会は国際化社会の対極にある。

 均質化社会においては、ある問題に対する回答は一義的に決まる。だから人々は自分自身で回答を考えず、むしろ模範回答が何処にあり、誰が教えてくれるかを重要視する傾向になる。したがって、このような社会では他人と の意見の交換は殆ど無用となる。一方、異質な人々の入り交じる非均質化社会においては、回答はそれぞれ人によっ て異なるのが前提であるから。回答は先ず自分自身で考え、そして他人と意見を交換しながら最終的回答に達する必要がある。そこで、短絡的な言い方にはなるが、人々がそれぞれ自分自身の考えを持ち、それを尊重し、お互いに議論を戦わせることが日本人の国際化への第一歩になるのである。

 日本人は、外国人から何か意見を求められた場合、あまりはっきりと自分の考え述べないことが多い。外国人は、各種分野で世界的に素晴しい成果を上げている優秀な日本人が意見を持たないはずはないと考えるから、それを述べない日本人に不安を感じるようになる。これはよく言われる「顔の見えない日本人」という問題につながってい る。日本人は英会話が下手だから外国人に意見が言えないとよく言われる。多くの日本人が英会話が苦手なのは事実である。日本語が、英語を代表とする欧米の言語と著しく違うのが主な原因と思われる。しかし、仮に外国人か ら流暢な日本語で意見を求められた時、我々はきちんと日本語で意見が言えるだろうか。テレビのインタービュー などを見ても、日本人は日本語でも意見を述べることが苦手のようである。つまり、日本人の英会話下手は英語の問題だけではなく、議論下手が問題なのである。

 日本人を議論上手にするには、小・中・高校教育課程の国語教育が大事である。この期間に易しい、正しい日本語の文章を沢山読ませ、沢山朗読させ、かつ沢山書かせることである。日記、生物観察記、遊園地体験記、旅行記、スポーツ大会出場記、読書の感想、観劇の感想、観スポーツ感想など何でもどんどん書かせるのがよい。さらに一つの問題について、賛成、反対両派に分かれて口頭で徹底的に討論するのが良いと思う。こうすれば子供達は自分 の考えがまとまり、それが他人とどう違うかがわかり、他人と真面目な議論をすることが可能になる。さらに、他人を説得するにはいろいろな知識が必要であることもわかってくる。こうなると、いろいろな学科を学習をする意義も見出せるし意欲も湧いてくるはずである。

 上記の提案は特に目新しいものではなく、文部省の指導要領にもありそうで、そして現場の先生方もとっくに実行していると言われるかも知れない。もしそうならば、私の提案はこの様な学習法の重点化、すなわちこの様な国 語学習時間の倍加(あるいは3倍加)と考えて頂きたい。

 ある事柄に対する自分の考えがはっきりとまとまり、そしてそれを他人に伝えたいという意欲さえあれば、中学 3年生程度の英語力で十分に外国人にその考えを伝えることが出来ると思う。外国人としゃべる際に大事なことは、流暢にしゃべることではなく、何を伝えたいか、何を議論したいかがわかっていることなのである。英会話上手に なるには、英語の学習をこれまで以上ににやることは言うまでもなく大事なことだが、日本語による議論の熟達が必須条件であることを忘れてはいけない。

 私は現役の大学教授時代、弟子に科学論文はまず日本語できちんと書くよう指導してきた。科学論文は英語で公表するのが殆ど国際ルールになっているが、自身の思考過程の道具である日本語できちんと表現出来ない限り、英 語で表現出来るわけがないという考え方からであった。21世紀中頃までには(残念ながら2001年までにHALは完 成されなかったが)、科学・技術論文の様に論理の明快な日本語の文章は、コンピュータが正確に英語に翻訳してく れるようになることは疑いない。自分で書いた日本語の論文を翻訳機に入れた際、翻訳機から「あなたの文章は論 理が破綻しているので翻訳不可能です」などと、科学者としこの上なく恥ずかしいことを言われないように、正確 な日本語を書くよう精進しなければいけないのである。同様に将来同時通訳機が完成された時、その様な恥ずかし い目に会わないためにも、日本語で正確にものを考え、日本語を正確にしゃべることが21世紀の日本人にとって最 も大事なことの一つなのである。

 「外国人が日本に来て日本語をしゃべらないのは失礼だ」という日本人もいる。その理屈や感情は私にもわからな いではないが、我々が英語が苦手である以上に、一般の外国人は日本語が苦手であることを思えば、このコメント は少々きつ過ぎる。そして英語が国際共通語あることは否定し難い事実であるから、外国人と英語で話し合うこと は人間の意思疎通手段として理にかなっているのである。たとえ相手がフランス人でも、英語の方が日本語より通 常ずっと良く通じるはずである。「私はアメリカ人でも英国人でもないのに、日本人は外国人と見れば英語で話しか けてくるのは気に入らない」と言う非英語圏外国人もいるが、これは「日本に来たら日本語をしゃべれ」という日本人と同程度に意地悪な発言と言える。

 国際都市の住人が外国人に親切であることは言うまでもなく大事なことである。この点でつくば市に問題はない。 これまでのつくば市の方々と外国人研究者や留学生の方々との間の心温まるエピソードは枚挙に暇がない。親切とは、何か困っている時に助けてあげるばかりではなく、日常生活のレベルで付き合ってあげることである。家族のこと、恋愛のこと、仕事のこと、病気のこと、人間関係のことなど、通常われわれ日本人が日常話し合うようなことを外国人とも話し合って、喜びと悲しみを共有することが最大の親切であると思う。

 数年前成田空港で、彼等の祖国に帰る中近東の方々と偶然に会話を交す機会があった。ほんの30分程であったが、 彼等は3年の日本滞在期間に日本人と世間話をしたのはこれが初めてだと言って喜んでいた。彼等が日本人と世間 話を交さなかったことについて、日本人側だけに問題があるとは思わないが、もう少し一般の日本の方々が外国人と気楽に接触してあげられるようになればと思う。つくば市の方々に率先してそのようになって頂き、つくば市が国際化と言う点でも日本の範になることを願って止まない。

おわりに

 現在日本には、アジアやアフリカや中近東の方々も沢山住んでいる。したがって、国際化の論議に欧米だけを念 頭に置いては片手落ちの誹りを免れない。しかし、日本に5年以上大学院生として住み、後アメリカに5年以上暮らしている私の中国人の友人は、中国人と容貌も、使う文字も共通の日本人に親しさを感じるのは確かだが、アメ リカでの生活の方が心理的には楽だと言っている。これはその友人にとって、中国と文化的に多くの共通項を持ちながらも均質化している日本より、文化的共通項は少ないが国際化している欧米の方が心理的に住み易いことを意 味している。したがって日本の国際化を考える上で、現時点では欧米を範としてもよさそうである。国際化社会と は外国人が精神・物質両面で住み易い社会と言い換えてよい。

Contributed by Yutaka Naitoh, Received August 9, 2002.

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