つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 52-53.

生物学類を卒業して

桑原 睦樹 (関東学園大学附属高等学校)

 このような、ジャーナルが刊行される事は実に素晴らしい事だ。情報社会さまさまである。だからといって、生 物学に対して蘊蓄を述べるつもりはない。今の自分の立場を考えると、今回は「生物学類生へのメッセージ」と「生物学類の学習プログラム」への提言をしてみたい。教職に就いたということもあり、現時点で教員を目指している学生を中心に、メッセージとして伝えたい。適当なところを読んでいただければ幸いである。 >/P>

学類生で教職を目指している学生へ

 「無駄」「意味がない」「忙しい」は理由にならない。
 教員を目指している、特に理科や生物の教師を目指している人にとって生物学類はやり方によって適した学類に もなるし、不適な学類にもなる。できる限り、臨海実習や野外実習は参加すべきだ。実際、生徒の興味・関心を引 くもっとも良い手段は、実物をみせたり、実験をしたり、自分の体験を踏まえた話である。他大学で公開されてい る実習にも参加してみると良い。予想以上に刺激を受けられる。それから、実験は一つでも多く履修したほうがい いだろう。実験のネタがない理科の授業は「楽しくない」と言われてしまう。さらに、基礎生物学の分野を疎かに しない事である。幸運にも、生物学類は基礎生物学の分野に秀でている。動物系統分類学は個人的にお気に入りだった。履修する単位も幅広く取ることを進める。自分が研究者に向いていないと感じたのは、どの分野も「面白い」も のであったし、「これだ!」というものに出会えなかったからだろう。ところが、広く浅くではないが、そうやって 幅広く蓄えた知識が、今、意外にも役に立っていたりする。教職の単位は、実に取りにくいものだった。ほとんど は、6校時目に用意されていたし、集中講義も実習と重なっていたりで、非常に大変だった。「我慢」と「やる気」 がなければ、教職の単位は早めに諦めて、方向転換をしたほうがいい。それから、教職の半分は、雑務に追われる。 授業以外の雑務をいかに効率良く、迅速にこなすかが問われる世界だろう。研究の分野もそうかも知れないが、スポーツデーの申し込みや飲み会の幹事などを練習の場としてみてはいかがだろうか。家庭教師や塾講師の経験もしてみるとよい。教える事に加え、人と話す事が楽しいと思えば、教職に向いているかもしれない。

 さて、問題は、採用試験である。自分は私立高校に採用されたが、公立も考えていなかったわけではない。採用試験の勉強や情報収集なども3年生くらいから少しずつ始めていた。結局、卒業研究やその他、たくさんの煩わしい事情などで受験しなかったが、大学院を受験後、私立高校の採用をいくつか挑戦し、このような形になった。焦 らずに、筑波大学ならば、教育研究科という修士過程も用意されているので、そちらを受験する事も勧めておきた い。実際、自分は、教育研究科に合格しておき、気持ちを落ち着かせてから、教職の道を考え直していた。また、事 務の方々とコミュニケーションを常に交わしておくのも大切だ。就職や試験等には、とにかく書類が多い。幸い、自 分は事務の方々とできるかぎりコミュニケーションを多くとっていたために、素晴らしい協力をしていただいた。採 用試験の勉強と情報収集はとにかく早めが肝心である。迷いは誰にもでも生じるが、要は、教師に本気でなるとい う気持ちである。自分は、中途半端な気持ちが最後まであったので後悔している面もいくつかあるが、一度、教職 を目指すと決意すると生物学類は強い味方になってくれた。そう思うと自然に、どんな講義もどんな人付き合いも 「無駄」なものでも「つまらない」ものでもなく、本当に楽しいものになる。最後まであきらめずに一生懸命になっ てほしい。

 個人的には進学を勧める。教職を例に挙げると、高校の場合、修士過程を終えていた方が望ましいようである。近年の流れから、より専門的な知識や経験が要求されてきている。社会に出ると、その会社・企業・団体の理念等に即した再教育が行われるが、それ以外の面は、大学で何を学んで何ができるようになったかが問われる。「君、何が できるのかい?」と聞かれて、危機感を感じ取ろう。例えば、パソコンの使い方などは、今や当たり前にもなりつつある。それから、例えば、挨拶、言葉使い、TPOに合わせた振る舞いなど、とにかく「常識的な即戦力」というも のが必要になってくる。進学にしてもそうだろう。基礎的な学力なくして研究していても、何も成果が上がらない。 「最低限の知識は大学4年間で蓄えているはず」と言われてしまう(自分も例外ではないのだが)。どちらにしても、 何か一つ、自分にできることがないとやっていけない。そうなると、悩んでいる時間はないだろう。本来、大学に 入学してくる段階で明確な目標設定がしてあれば、将来に悩む事もないのだが、日本の教育体制上、仕方ないもの なのかもしれない。しかし、諦めずに、一つでも多く、「自分にできる事」を大学の中で見つけ出してほしい。

生物学類の学習プログラムに対して

 学習プログラムがいくら素晴らしいものでも、学生のモチベーションがなければ無駄であろう。ほとんどの学生が、将来を明確に見定めているとは言いがたい。しかし、学生としての立場を思い出してみると、自分で自分を進学指導なり就職指導なりをしていかなければならず、それらに関わる情報も収集せねばならなかった。個人の行動に任されるのは、大学なのだから当然と言えば当然なのだが、やはり今まで受けてきた教育体制上、指導者が欲しいのは確かである。良き相談役となる先生や事務の方が必要である。そのためにも、クラスセミナーは充実したものにして欲しい。単なる事務連絡や、英語論文を読んでくるような時間にしてほしくはない。クラスをもっと少人 数にし、学生同士でのディスカッションの場であるとか、進路相談であるとか、将来や生活上の悩み相談や、時には真面目に講義で生じた疑問点や生物学の将来像を想像してみるなど、とにかく講義という形態ではなく、学生と教授と事務とが真剣に話し合えるような時間にしてみてはいかがだろうか。そういった中で、自分に必要な事が見つかるだろうし、情報収集もしやすくなるだろう。学生には多くの研究で明らかになった知識を受け継ぐ責任があ るように、教授には知識を伝え新しい人材を育成していく責任があり、大学には学生がいろいろな意味で生活しやすい場を提供する責任がある。相互に連携し、一人一人に合った環境づくりをお願いしたい。そうすることで、コー スの選択時に悩んだり、卒業研究を行う研究室を選ぶ際にも問題が少なくなるような気もする。興味・関心の対象は変わりやすいものなのに、コースを選んだ時点で、研究室が限られてしまって、行きたい研究室に行けない学生 も出てくる。もう少し柔軟な対処と情報交換の場を広げていただきたい。また、卒業研究中の教育実習に関しても考えて欲しい。こればかりは、文部科学省との問題であるかもしれないが、どちらにも集中できないし、何よりも本気で教職を目指している学生には酷な面もある。特に生物の研究は、生き物を扱うので、時間を空ける事が難しいものだ。そういった事も考慮して、柔軟な学習プログラム作りをお願いしたい。

最後に

 教職という職種は、実に面白い。自分の専門とする分野はもちろんだが、相手は人間であり、しかも成長過程で最も激動する時期にあたる。毎日、生徒と体当たりで勝負しているようだ。心理学やカウンセリングはもちろん、安全管理のため最低限の救急救命も学ぶ。さらに、近年、「総合的な学習」の導入により、教師というよりも人間そのものの質が問われている。我が校でも、これに準じた体験学習を実施しているが、その中心はどうしても先生になる。時には、地域の市民講座にお願いして講師を招く時もあるが、内容や準備は先生の仕事である。そんな中で、生徒が楽しく体験でき、しかも、ためになるようなものは、先生自身も一緒になって楽しんでいられるもののようだ。 自分の場合、大学での多くの経験が役に立っている。授業においても、何となく教科書をまとめた授業づくりをすると生徒はついてこない。こちらが面白そうに話していると、生徒は楽しく授業を受けられたと言ってくれる。研究も実験をしないと分からない事もあるように、実際に体験しないと分からないというのが生徒である。そういっ た体験の場を用意できるかどうかは教師の力量にかかっている。ぜひ、教職を目指している学生には、どんなこと にも好奇心を持ち、多種多様の経験を積んで来て欲しいものである。生物学類は、他にはない経験ができる場が用 意されており、強い味方になってくれるはずだ。何ごとにも、一生懸命になっていただきたい。

Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received August 31, 2002.

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