つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 128-129.

研究室紹介(その2):ミトコンドリアDNAの母性遺伝の機構解明

米川 博通 ((財)東京都医学研究機構・東京都臨床医学総合研究所 実験動物研究部門)

ショックの後で

 この疾患原因遺伝子の単離・同定、機能解析という1つの大きなテーマの他に、もう1つ力を注いでいるテーマがある。ミトコンドリアDNA(mtDNA)がどの様にして母性遺伝を行うかという問題である。従来、mtDNAが母性遺伝を行うということは遺伝学的常識であったが、何故父親のmtDNAが子孫に伝わらないのかということは大きな謎であった。1991年にA.C.Wilson博士らが、当時発明されたばかりのPCRを用いて、父親のmtDNAも子孫に伝わるということをNature誌に発表し、大きなセンセーションを巻き起こした。私自身は前任地、埼玉県立がんセンター研究所時代は、元同僚の林 純一博士とも共同で、mtDNA多型を指標にしたマウスの種分化をテーマにしており、研究をその根底概念、「mtDNAが母性遺伝(片親性)遺伝を行う」ということのもとに行ってきた。もし、Wilson博士らがいうように、mtDNAが父親からも伝わるということになれば、「mtDNAは核の遺伝子同様、両親性の遺伝をする」と いうことになり、概念上は全く異なることになるとともに研究の根底概念が完全に崩れ去ることになる。このことは、これまで築き上げてきた研究の大幅な修正を余儀なくされることであり、私の研究は大きな危機に瀕した。

母性遺伝の分子機構

 そこでこのことに対処するため、「mtDNAが片親性の遺伝なのか、両親性の遺伝なのか」を実験的に確かめることにした。もちろん、「mtDNAが片親性の遺伝である」ということを期待してである。そのためには、「父親のmtDNAが子孫には伝わらない」という否定的実験を行う必要がある。それにはマウスの成体を使っては証明にならない。例え、有りとあらゆる臓器からmtDNAを抽出し、そのmtDNAが母親からのものしかないといったところで、調べていない臓器に父親のmtDNAが存在するかもしれないからである。しかも、父親のmtDNAは微量にしか存在しないと予測されるため、PCRを使う必要がある。マウス1頭をPCRで解析するにはどうするか。答えは簡単で、受精卵1つ1つをPCRで解析すればよいということであった。もし、調べた受精卵の中に父親由来のmtDNAが存在していなければ、そのなれの果てマウス成体にも父親由来のmtDNAが存在しないということ、すなわちmtDNAは片親性の遺伝をするという証明になる。そのためには、マウス受精卵中で存在するかもしれない父親のmtDNAを特異的に、かつ超高感度に検出するPCR系を確立する必要があった。しかし、受精卵中には、父親由来のmtDNA1分子に対し、その約1,000倍も多い母親からのmtDNAが存在すると考えられるため、材料に使用するマウスの系統の作製、父親由来のmtDNAを特異的に検出できるプライマーの設計など、約5年の歳月をかけた試行錯誤の末、受精卵中に父親由来のmtDNAが1分子でも存在すれば、1,000倍多く含まれる母親由来のmtDNAから特異的に検出できるという系を確立した。この系の確立は元研究員の金田秀貴博士(現理研GSC)が全て行ったものである。この系の確立が突破口とな り、この系を用いての解析の結果、3つの重要な知見が得られた。(1)マウスの同種間の交配では、父親由来のmtDNA は、発生初期の前核期後期には卵中から完全に消失する。従って、マウスの卵細胞質中には父親由来のmtDNAを選択的に排除する機構があること、(2)マウスとマウスの近縁種間の交雑(種間交雑)では、約50%の確率で父親由来のmtDNAも排除されずに残ること、従って、Wilson博士の主張は、種間雑種という特殊なケースを見ている可能性が高いこと、そして(3)この排除機構を支配する遺伝子は核にコードされていること、であった。マウスの種間交雑は自然環境下ではほとんど起こりえない。したがって、(1)の結果から、mtDNAは片親性の遺伝、すなわち母性遺伝をするといって良い。これらは、1995年にPNASに発表したが、その直後の権威ある遺伝学関係の総説誌「Trends in Genetics」での「Selected Paper」の1つに選ばれ、大変嬉しい思いをした記憶がある。

筑波大研修生たちの貢献

 ちょうどその時期、筑波大に移った林 純一助教授(当時)の研究室から、遺伝子工学の技術を用いて、mtDNAを遺伝子導入したマウスが作れないかというテーマで卒研生が私たちの研究室に入ってきた。設楽浩志君である。当時はmtDNAの遺伝子導入動物作製などというのは、発生工学を手がけているものから見れば、荒唐無稽のアイデアであり、予想のごとく行う実験のことごとくが失敗した(これが荒唐無稽でないことは、悔しいかな最近の林教授の業績で明らかになってしまった)。設楽君はその後、筑波大の博士課程に入り、林教授の研究テーマに沿って実験 を行う予定であったが、万が一のことを考え、サブテーマとして、上記Aの「マウス種間交雑においてmtDNAの母性遺伝がどうなるか」ということを金田博士と共同で行うことになった。こちらの方は、基礎が確立していたので、研究はトントン拍子に進み、「種間交雑においてもmtDNAは母性遺伝をする」ということを証明し、それらの結果を Genetics誌に2報の論文として発表することができた。設楽君のその後は、私たちの研究室で研究員の採用ができることになったため、博士課程を6ヶ月残した時期にも関わらず、研究員として採用してしまった。今は臨床研を代表する若手研究者の一人である。現在設楽君は、上記(3)の「mtDNAの母性遺伝を支配する遺伝子の単離」をテーマとして研究を続けているが、彼がそのために開発したmtGFP-TgマウスがFEBS Letterの表紙を飾り、それと共に細胞内のミトコンドリアの動きを観察できる系をNHKテクニカルサービスやNHK放送技術研究所の方たちと共同で開発したことから、NEDOの「イメージバイオ」の班にも参加することが約束されている。設楽君を見ていて感じることは、「私が設楽君と同世代でなくて良かった」ということである。もしそうだったら、「私などではとても彼の敵にはなり得ないだろう」というのが、私の率直な感想であり、それほどに彼は研究者として成長を続けている。

 設楽君以後も、林研からは2名の研修生が私たちの研究室にやってきた。すべて、林教授のテーマをもとに、彼らが開発したmito-miceを発生工学的に解析するため送られてきた人材である。今、博士前期課程2年の佐藤晃嗣君、彼はmito-miceの解析の合間に、設楽君の指導を受けてトランスジェネシスの技術を完全に身につけ、またマウスの臓器から採取したミトコンドリアをマウス個体に導入する技術も自ら開発した。この技術では私たちの研究室では彼の右に出るものがいない。彼はまたmtGFP-Tgマウスの関連で、新しいTgマウスも樹立した。現在、その内容はまだ公表できないが、我々の研究には大いに役立つと期待されている。佐藤君の一級下の船山智生君、彼も佐藤君同様にmito-miceの解析を行っている。これも残念ながら、研究内容の話しはできないが、設楽君の言によれば、私の研究室でのトランスジェネシスの技術では、一二を争うほどの腕を持っているとのことである。

 この様に、3人の筑波大学の研修生たちは、mito-mice の解析を主に研究をしてはいるが、その合間に私たちのテーマ、mtDNAの母性遺伝の機構解明にも大きな貢献をしてくれている。もし、この3人が今、いなかったら、私たちのテーマはこれほどまでに進んだだろうかと思うと、この3人と共に、彼らを送り出してくれた林 純一教授にも大いに感謝をしなければならない。

Communicated by Jun-Ichi Hayashi, Received September 10, 2002, Revised version received September 11, 2002.

©2002 筑波大学生物学類