つくば生物ジャーナル Tsukuba Journal of Biology (2002) 1: 2-3.

巻頭言

つくば生物ジャーナル、Tsukuba Journal of Biology 創刊の経緯

林 純一 (筑波大学 生物科学系)

 2002年4月1日より小熊 譲 前学類長の後任として生物学類長になったが、2年後の独立法人化が本決まりとなり、その準備も含めて多くのことがこれまで通りとは行かなくなってきた。まず要求されるのが、私たちの活動をいかに社会に還元し、社会からの理解を得るのかということである。産業構造がうねりをもって大きく変化していく中で、社会の要請を先取りし、的確に対応できる教育体制へと変革をせまられている。産業構造だけではない。入学してくる学生の価値観、人生観、大学に対する要望も大きく変貌しつつある。社会がリストラを繰り返し、生き残りを懸命に模索している中で、国立大学だけがこれまでのシステムを変えず大名商売をしていればよいという時代ではなくなってきた。  生物学類もこれまでのように伝統的重みのある学習プログラムを提示するだけではすまされず、学生や社会の期待に対し迅速に対応しなければならなくなってきた。21世紀は生物学のビッグバンの時代といわれ、環境保全、遺伝子改変作物、クローン人間、再生医療、遺伝子治療などの話題が連日のように社会をにぎわわせている。そしてこれらの話題の中枢に生物学がある。だからこそ社会から本学類への期待も大きく、激動する社会の変化の中でも私たち生物学類は常に光を放ち続けるものでなければならない。しかし教官も学生も大学で生活しており、必ずしも社会の要請を適格に把握できない状況にある。生物学類の卒業生たちが社会に出て活動をしていく中で、自分たちが生物学類で経験した学習プログラムを振り返ってどう評価しているのだろうか。その価値は卒業で終わりではなく卒業した後こそ問われるものではないだろうか。さまざまな職種の、さまざまな立場の卒業生からのフィードバックによって私たちの学習プログラムは生きてくるし、入学してくる新入生に自信を持って提示し履修させる説 得力を持つことになる[1]。

 一方生物学類生が現在必要としているのはより良い学習プログラムの他に、自分と同じような学習プログラムを経験した先輩たちがどのような職種でどのような活動をしているのかという情報である。生物学類生の中には自分の将来に対して不安を持つと同時に、今何をすべきなのかということに対し明確な方向を見出せないでいるケース が少なからずある。しかし生物学類は実に多様な若い才能、資質の宝庫であり、彼ら一人一人の素晴らしい個性にフィットした職業は必ずあるはずである。そうであるにもかかわらず、社会にどのような職種がありそれぞれがどのような能力を要求しているのか、私たちも学生も正確に把握できているわけではない。だからこそさまざまな職種の、さまざまな立場の先輩からのメッセージが必要なのである。

 逆に卒業生にしても退官された教官にしても、長年在籍した大学から離れ、これまでとは異なった社会で生活する中で、距離と時間をおいて再び生物学類を振り返った時、私たち現役の教官が見過ごしている問題点の指摘や、私 たちとは違った視点からの改革への提言があるのではないだろうか。先輩からのメッセージが必要なのは何も学生に限ったことではないのだ。私たち教官にしても、膨大な人数に及ぶ東京教育大学時代からの卒業生や退官教官からの支援を受けることができれば、これまでにないより多様で柔軟な学習環境を在学生に提供できるはずである。卒業生や退官された教官の方々が社会のそれぞれの立場でどのようなことを肌で感じておられるのだろうか、是非知 りたいところである。

 このように考えた時、現在の生物学類生、学類担当教官、事務官、技官はもちろん、卒業生、大学院生や退官教官の声を集約することが極めて重要なポイントになってくる。しかし、問題はこれらの声を『いかにして』集約するかということである。現在、生物学類ではホームページ[2]を充実し、生物学類に関するありとあらゆる情報を社会に発信している。その中には掲示板があり、ここを通して社会からのメッセージを受け取ることを始めたが、これを利用するには問題があった。掲示板に書き込まれたメッセージは多くの人に読まれ、それに対するコメントなどから思いも寄らぬ広がりを見せることがある。しかし多くの場合単なるおしゃべりの広がりで終わったり落書き に近いものもあり、ルールを設けて厳しく管理する必要に迫られた。ただしこの問題に収拾をつけ有効に活用する ためには大変な労力が必要であった。

そこで同じように大変な労力をかけるのであれば、いっそのこと個人の意見は個人の意見としてその独創性を厳 しく審査した上で私たちが権威づけること、つまり著者に知的所有権を与えることができれば、おしゃべりの場ではなくフォーラムとしての価値が生まれてくるのではないだろうか。そのための有効な方法を模索していく中で、最も適切なのは生物学類がきちんとしたオンラインジャーナルを刊行することではないかと思った。さらにこの時、こ のようなジャーナルが実際に創刊されるのであれば、もっと別の価値も加わるのではないだろうかとも思った。たとえば同窓会などで恩師や大先輩に久しぶりにお会いした時、昔話や雑談の中から彼らの卓越した素晴らしい意見 を聞くことがある。しかしその感動は残念ながらその場にいる限られた人にしか伝わらない。是非多くの人と共有 したいと思うことがこれまでにも何度もあった。何ともったいない話ではないだろうか。しかし、このような話を このジャーナルに掲載し社会に発信すれば多くの人々と共有することができるだけでなく、その場で消えることな く後世にまで伝えることもできる。

 それだけではない。このジャーナルは学校の先生などからの研究論文や教育論文発表の場としても活用できるはずである。筑波大学はその前身である東京教育大学の時代から伝統的に教員になった卒業生が多い。本学類も例外ではなく多くの卒業生が生物の教員として活躍している。そして中には生物に関する研究論文を専門誌に発表し続けている先生も確かにいる。しかし、仮に実験実習でのちょっとした工夫で、たとえば染色体が簡単にしかもきれ いに観察できるとか、生徒の興味をうまく引きつけることができる、ということがあったとしても、その程度の創 意工夫や発見ではあまりにも小さすぎて論文として専門誌に受理されるのは極めて難しいのではないだろうか。あるいは自分なりのユニークな授業や生活指導、部活動を展開して生徒から高く評価されている先生も多いはずである。しかしこのような小さな創意工夫を気軽に公表できるシステムがほとんどなく、教員の自己満足で終わってしまうケースが多いように思う。これではせっかくの発見や工夫が無駄になるだけでなく、何よりも新たな挑戦への意欲までもがかき消されてしまう。そこで登場するのがこのジャーナルなのである。私たちはどのようなささいなことでも、十分な査読をした上でそれが他人の模倣ではなく新たな発見や独創的な工夫であれば、このジャーナル に掲載することでその著者に知的所有権を与えるべきだと考えている。

 以上述べてきたように、このジャーナルは少なくとも二つの極めてユニークな役割を担うことになる。第一は、卒業生や退官教官から生物学類の学習プログラムに対する提言や生物学類生へのメッセージなどを受け取り掲載する ことによって、学習プログラムの再編成に役立てたり、生物学類生の知的好奇心を満足させるだけでなく、彼らが自分の将来に対する方向性を自ら切り開いていく上での貴重な指針として活用できるという役割である。第二は、逆に卒業生や退官教官のせっかくの貴重な提言、随想、仕事の成果、独創的な取り組みに対して、それが誰のものかということをきちんと権威づけるシステムを提供することで彼らに知的所有権を与え、かつ後世にも伝えるという役割である。これは卒業生や退官教官に対して私たちができる唯一のサービスである。そしてこのジャーナルはこ れら二つの役割を完全に果たしていけるものと確信している。

 ただ、このジャーナルが同窓生や退官教官と私たちの間の貴重なコミュニケーションの場であるからといって、何も投稿の対象や読者層を東京教育大学や筑波大学生物学類の卒業生、在学生、大学院生、退官教官、教職員などに限るものではない[3]。生物に興味のあるさまざまな方々の研究や意見の発表の場として、またそれをきっかけにお互いの意見交換や議論の場として広がることを大いに期待している。そしてできれば、生物学類の諸行事、卒業研究の要旨、さらに生物学類教員会議の決定事項なども差し障りがない限りこのジャーナルを通して公開していきたいと考えている。

 このジャーナルは月刊誌であるため、その生命線は多くの皆さんからの積極的な投稿と、きちんとした査読である。月によっては掲載論文数が極端に少なくなる場合があるかも知れない。しかし、毎月新しい論文が掲載され読めることを楽しみにしていただけるはずである。

 この方針は、今年(2002年)6月に開かれた生物学類運営委員会と生物学類教員会議で了承され、ここに『つくば生物ジャーナル』創刊の運びとなった。このような学類レベルのジャーナルは他に例を見ない、筑波大学生物学類だけの極めて独創的な取り組みである。したがってこのジャー ナルは、決して独法化に備えるなどという消極的なものではない。むしろ独法化によって得られる自由を最大限に積極的に利用する手段として思う存分活用できるはずである。

 膨大な数に及ぶ卒業生そして退官教官の方々は私たちの貴重な知的財産である。このジャーナルを絆にして彼らが持つゆるぎない伝統の重みを存分に活用させていただくことで、現在のスタッフの限界を遙かに超えた力が生ま れ、生物学類関係者が一体となったこれまでにも増して充実した生物学類を構築したいと思っている。

参考文献
  1. 林 純一:生物学類カリキュラム委員長の任期を終えて 筑波フォーラム 62:102-104,2002.
  2. 生物学類HP:http://www.biol.tsukuba.ac.jp/
  3. 投稿規定: http://www.biol.tsukuba.ac.jp/tjb/tebiki.html
Contributed by Jun-Ichi Hayashi, Received July 15, 2002, Revised version received September 24, 2002.

©2002 筑波大学生物学類